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 それからルルの熱が下がるのに一週間ほどかかった。


 ベッドから身を起こせるようになったルルが、看病をしていたレオニスと一番に顔を合わせた時、戸惑ってモジモジとする一幕があったらしい。


 彼女は大嫌いと言ってしまったことを結構気にしていて、その事を怒っていないかとレオニスの顔色を伺った。

 けれどもレオニスがいつも通りに接するのを見て、ようやく意を決して「ごめんなさい」を言ったという。


 ルルの様子にレオニスもようやくホッとし、改めて彼女とピクニックの日取りを決めた。

 いわゆる一件落着というものである。


「ーーだというのに私は何故か変わらずベルトゥリー伯爵領領主のお仕事をさせられているのであった」

「なんだ、不満か」


 げんなりと領主の書類に印章を押しながら、ぼやいたエナにそう問いながらレオニスは無慈悲に新たな書類を積み上げる。

 ルルが体調を持ち直したおかげで多少余裕が出たレオニスは、エナが領主の仕事を肩代わりしたためかきちんと休養を取ってすっかりいつもの調子を取り戻している。


「婚姻契約書に女主人の義務なしと入れ込んだはずなんに……」

「そうだな。変わらず家政は触らなくていい。そちらは家令が回す」

家政(そっち)じゃねえよ!」


 エナの吠え声にレオニスはため息をつく。


「君がやりたくないなら今まで通り俺が引き受けるが」

「やってもらいたい気持ちはあるんですけれど、すごくあるんですけれど……でもムーンランド子爵が嬉々としているのを見ますとね……レオニス様が大丈夫になったからもう止めますと言いにくくて……」

「ああ……」


 確かにエナと仕事をしている時のムーンランド子爵はずいぶんと精力的だ。

 おそらく自分が忠誠を誓っていたエミリアのひとり娘がようやく領主として仕事を学ぼうとしてくれたことが嬉しいのだろう。

 自分に教えられることはすべて教え込もうと気合が入っていて、あのやる気に水を刺すのは確かにいささか気が引けた。


「役場の人たちも親切だし、またこういうことがあっても困るから仕事はきちんと覚えておこうかなって。なのでもうしばらく頑張ります」

「そうか」

「愚痴が多くなるのは許してください」

「特に相談がないなら俺は次の仕事に向かわせてもらう」

「ぐぁあああああ、レオニス様イケズ! そういうとこやで!」


 ぼやくエナをあっさりと切り捨てたレオニスにエナは悲鳴に似た声を上げてヘッドバンキングかと言うぐらいに荒ぶった。

 その様子に世話役の侍女が宥めるだろうとあっさりと無視して彼女の執務室に変わった彼女のアトリエを出ようとして、


「待って待って。相談はあるの、まだ行かないで!」


 そんな悲惨な悲鳴がレオニスを呼び止めて、レオニスは胡乱気に彼女を振り返った。

 エナはそんなレオニスに渋い表情を向け、ため息まじりにこう切り出す。


「…………実はですね、ムーンランド子爵夫人が差し入れを持ってきてくださった時にちょっとこう……デリケートな話題が出たもので」

「デリケートな話題?」

「…………後継者のお話です。正確には子供、のことを、探られたというか……」


 エナの言葉にレオニスも軽く眉をひそめた。

 確かにそれはデリケートな話題である。だが彼らにとっても大切な話だし、気にするのもわかる。


「その時は『こういうのは授かりものですからー』で笑って流したのですけれど、これ、多分避けて通れない問題なので早めに相談しておこうと」

「確かにな」


 エナの言葉にレオニスは踵を返し、エナの元へと引き返す。


 後継者の問題は彼女といずれは話さないと思っていた。


 何せ二人は今の今まで閨を共にしたことはないし、それをすることはないと婚約時に互いに同意している。

 つまり子供が出来るはずがないのだ。


「ちなみに君はどうしたいと考えている?」

「可能ならルルちゃんを養子に引き取って」

「却下」

「まだ全部言っていないのに!」


 エナの言葉にレオニスは冷え冷えとした視線をエナへと向ける。


「ルルを養子に迎えさせはしない。それは決して認められないし、できたとしてもルルの幸せには繋がらないからだ」


 何せルルはどこの誰の子とも知れぬ孤児だ。

 そんな平民の子を後継者として養子に迎えるなど、お家乗っ取りと同じだ。

 エナが了承したとてムーンランド子爵を筆頭とした分家がそれを許したりしない。

 社交界からも徹底的に排斥されるだろう。

 それほどまでに貴族の血統主義は徹底されている。


 できるできない以前に不可能なのだ。


 できたとしても貴族とは下賤な成り上がりをひどく厭う。それが強引な手段で割り込んできたものならばなおさら。


 レオニスとて商会で積み上げた顔の広さ。そして鉄道事業という実績。王弟殿下の知り合いというコネ。貴族とは名ばかりの伯爵、しかも自らその爵位を得るのではなく婿入りという形。

 これらを積み上げてようやく許されているようなものだ。


 だが何もないルルが突然貴族の、しかも伯爵位の継承者となったら相当な反発が生まれ、叩かれることは必至だ。

 逆風の中、茨どころか剣山が敷き詰められた道を裸足で歩くようなものだ。


 それをエナに淡々と説明すれば、エナはぐぬんと唸って机に沈んだ。


「じゃあ、レオニス様はどうするのが一番だと思うんですか?」

「一番角が立たない方法は君と俺との間に子を儲けることだが、君は今更俺に抱かれたくはないだろう」


 あけすけ過ぎる物言いにエナの目が半眼になる。

 どこか遠く、死んだような目はきっとエナが自分で自分を見ていたらチベットスナギツネを連想していただろう。


 そんなことには一切構わず、レオニスは淡々とこう続けた。


「なら次点。君自身が好きな男と子を儲けることだ」

「なるほど。不倫……待って」


 倫理観をすっ飛ばす提案にエナは戸惑いに声を上げた。


「待って、それって……どうなの」

「倫理の問題はこの際置くぞ。ベルトゥリー伯爵家の後継者は結局、父親が誰であろうと君の胎から生まれた子であればいいんだ。そもそも俺は元が孤児だ。髪の色や瞳の色が違う子が生まれたとしても隔世遺伝だなんだと、どうとでも説明がつく」

「い、いやいやいや、でも、あの不倫って……そんな、あっさり推奨します? あなた私の夫ですよね?」

「なんだ、君は先に俺に愛人関係に口出しをしないと言っただろう。だとするなら俺だって君の愛人関係に口出しする権利はない」

「レオニス様そういうところ本当に対等にしてきますよね、この商人!」

「それは罵倒のつもりか?」


 吠えたエナにレオニスは呆れてため息をつく。


「……もっとこう、穏当な……養子を取るとか、そういう方向はないので……?」

「どうしてもその方向で行くなら、筆頭候補はムーンランド子爵の孫息子になるだろうな。だがそれはどうしようもなくなった時の最後の手段だ。向こう十数年、君が懐妊できなくなるまではムーンランド子爵もそれを許可しないはずだ」


 そう告げられて、エナは再度ぐぬんと唸った。


 子を産むか、向こう十数年子供を催促され続けるか。


 そんな未来が見えたのだろう。

 ついでに言うなら子供を産まない選択をした場合石女の嘲りや誹りが混じってくるのも予想はできたが、レオニスは追い打ちは控えて口を噤んだ。


「ーー結論はそう急がなくていい。君はまだこれから交友関係が広がる。その時に好いた男ができるかもしれないんだ。その時にまた相談してくれればいい」

「ぬん……」


 レオニスの結論にエナはそう唸る。

 その時の表情が何を意味しているのか、レオニスにはとんと推し量れなかった。

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