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 すう、と静かにエナが寝ついたのを見て、レオニスは深くため息をついた。


 ほんのわずかだが、彼女の意識が戻った。

 短いが会話も交わした。

 か細く掠れた声はしっかりとレオニスを認識し、こちらの話もきちんと聞き取ってきたことが伺えた。


 意識さえ戻れば峠は越えただろう、というのが医師の見立てだったが、その見立てを信じれば彼女は峠を越えたということだ。


 まだ彼女の高熱は続いているために安心ができるわけではないが、それでも彼女と会話を交わせたことはレオニスに大きな安堵を与えた。


 彼女が拐かされてからの一週間余りは本当に気が気でなかった。


 エナが見つかったのは誘拐されてから翌日の昼前。

 ムーンランド子爵に領民からエナが川辺に倒れていたと連絡が入ったのだ。


 そしてムーンランド子爵からレオニスへと連絡が行き、取るものを取らずに発見者の領民の家へと駆け込めばそこに青白い顔をしたエナが寝かされていた。


 腕には血の滲む包帯。まったく血の気のない顔色は雪のように白く、唇だって青紫色を通り越して真っ白だった。それこそ死者のように。


 これでも領民が医師を呼び、懸命に薪を焚べて家を暖め、女衆で必死に毛布でもって彼女の体をさすり続けていたのだという。


 風前の灯の命にゾッとして彼女の手に触れ、名前を呼ぶ。

 彼女のまぶたが微かに震えたのを見て、氷のように冷たくなっている手を握りしめた。


 まぶたももう震えない彼女の姿はこのまま息を引き取るのではないかと思えてひどく恐ろしかった。


 その後、彼女の体を温め続けた甲斐あって、彼女は何とか緩やかに体温を取り戻した。

 けれども今度はその逆に高熱を出してしまった。


 傷から川の水を通して細菌に感染したのではないか、というのが医師の見立てだった。


 彼女の状態は余談を許さない状況が続き、ベルトゥリー伯爵邸には医師が常駐して彼女を診続けた。

 使用人らもエナを心配して部屋が寒くならないように常に気を配り、水桶には冷たく清潔な水があるように用意し続けた。


 レオニスは何をするにも手がつかず、とにかくエナのそばで彼女の看病をした。

 すぐにぬるくなる濡れタオルを何度も冷たい水に浸しては交換し、額から流れ落ちる汗を拭った。

 ぜいぜいと息苦しそうにしているエナを見るのはかつての妹のことを思い出して辛く、早く彼女が良くなるようにと祈り続けた。


 そんな日々を幾日も過ごし、今日ようやくエナは目覚めた。ほんのわずかでも、目を覚ましてくれた。


 レオニスは安堵にもう一度ため息をつき、それから立ち上がってエナの部屋を出る。


「旦那様」


 エナの部屋から出れば、エナの世話役の侍女が声をかけてくる。

 水桶を手にしているところを見るとたまたま水桶の交換をしにエナの部屋を訪れようとしていたところらしい。


「もしや奥様は」

「わずかだが目を覚ました。今はまた体力を養うために眠りについた。医師に彼女を診るよう伝えてくれ」

「わかりました」

「それからムーンランド子爵に使いを。彼もまた心配で眠れぬ夜を過ごしていただろう」

「はい……!」


 レオニスの指示に侍女は涙ぐんで頷き、それから水桶を抱えたまま急ぎレオニスの指示を伝えるべく走り出した。


 その背を見送り、レオニスは深くため息をついて扉にもたれるようにしてその場に座り込んだ。


 医者を呼び、ムーンランド子爵へと連絡を走らせた。


 後はここ数日で溜まってしまった通常業務の処理をどうするか考えなくてはならないし、ルルにも会いに行けていないから心配をかけていることだろう。

 そういえば自分だって撃たれているのだから休むべきか。そろそろ薬が切れて痛み出す頃合いだった気がする。いや、その前に食事を摂る方が先だろうか。最後に食事をしたのはいつだったか。


 取り止めもないことがいくつも頭の中を巡り、レオニスは深くため息をつく。


 安堵した途端に溜まっていた疲労が覆い被さってきたようだ。


 徹夜は毒ですよ。


 囁くようなエナの声を思い出して、レオニスは今更ながらにその言葉を痛感する。

 彼女にその言葉で説教されるとは。

 この説教する側はいつも自分の方だったというのに。

 皮肉に思わず笑ってしまう。


 まぶたが途方もなく重い。

 今目を閉じたら意識が飛ぶことはわかっていたが、それでも抗えなかった。


 まあ、いいか。一眠りをして起きてから色々と考えよう。

 こんな行き当たりばったりなことを考えることはらしくないとわかっていたが、レオニスはそのまま目を閉じる。


 そういえば薬がないのに眠るのは久しぶりだな、と他人事のように思った。


 それからしばらくしてエナの部屋の前で座り込んで眠るレオニスを見つけた使用人が「ぎゃあああああ旦那様が死んでるっっ!!!」と悲鳴を上げることになるのは、レオニスも知らぬことであった。

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