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頭が痛い。
ひどく寒い。
息苦しい。
ものすごく怠くて意識が遠のきそう。
ふ、と意識が持ち上がったばかりなのに、また意識が闇に沈みそうで、エナは動かない指先で懸命に地面を掻いた。
多分、今寝たら死ぬ。
そんな確信があった。
けれども地面を掻こうとしている指先は動いているのか、そもそも自分は倒れているのかすらもわからない
もしかしたら夢の中にいるのかもしれないし、生きているというのは勘違いであの世にいるのかもしれない。
でも、もし生きていたとしたなら。
死にたくはないなあ、と思う。
生きていたのなら死にたくないと思うのは普通のことだろう。死のハードルがいくら低いとはいえ、人間としての本能を完全に捨て去ったわけではないのだ。
声を上げようとして、か細い呼吸を吐くことしかできなかった。
それでも声をあげたつもりで誰か、と必死に祈る。
誰か、助けてください。
その祈りが届いたことなんて、エナ・ベルトゥリーの人生でたった一度もないのだけれど。
「ーー……………」
またしても意識が遠のいていたらしい。
一瞬途切れた後、自分の周りがどうにも騒がしかった。
けれど騒がしいことはわかっても、音までは上手く拾えない。
相変わらず意識が朦朧として、ただただ苦しい。
寒くて、頭が痛くて、体がひどく怠い。
ずっと死の沼に体が浸っているようだ。
このまま沈んだら今度こそ死ぬんだろうな、とひっそりと思った。
次の人生はもう少しまともで普通な幸せのある人生を送りたい。なんて。
騒がしい音の中で、ふと自分の指先に何かが触れた。
冷え切った自分の手を温かい何かが包んで、必死に何かを叫ぶ声が聞こえる。
えな。
エナだ、多分。
自分の名前を呼んでいる。
色んな声がエナと呼びかけている。
その声に応えたいのは山々だったけれども、口を開くのも億劫で結局無視する形でエナは再度意識を飛ばした。
「……………ーー」
三度、意識が浮上する。
今まで目を開けることも億劫だったのに、今回は自然と目が開いた。
ぼんやりと薄く開いた目に飛び込んできたのは見慣れた真白の天井。
ベルトゥリー伯爵邸の自室の天井だった。
おお、これはもしや走馬灯というものでは。
エナはぼんやりとする曖昧な意識のまま、そんなことを思う。
いやあ、死んだ。死んだわ。きっとこれ死んでるわ。だってあそこから生還するルート見えないもの。
気軽に笑おうとして、気怠さのある体は重くて表情を変えることすらしんどくて諦めた。
「……エナ?」
ふとそんな静かな呼びかけが聞こえて、エナは重たい体を動かして首を微かにそちらに傾ける。
そこにレオニスがいた。
「エナ、気がついたのか」
気がついた? 死んだと思っていたが、これはもしかして自分は生きているのか。
そう疑問の声をあげたくても、体が重たくて口を動かすのもしんどい。
代わりにゆっくり瞬きをしてレオニスに自身の問いを届けようと試みたものの、彼はほんの少し顔をしかめてそっと濡れたタオルでエナの額を拭った。
ひやりと冷たい感触にきゅ、とまぶたを閉じれば、彼は丁寧に折り畳んだその濡れタオルをエナの額へと乗せる。
「今、君はひどい高熱が出ている。冬の川に流されたことで肺炎一歩手前だそうだ」
さすがはレオニスだ。知りたかった自分の現状を話してくれるなんて、話が早くて助かる。
「君は丸一日行方不明で、その後七日ほど意識不明だった」
七日も。その言葉に絶句する。
前世も含めてそこまでの意識不明の重体に陥ったことなどない。
本当によく生きていたな、と自分で驚いてしまう。
「……無理はするな。今は静養し、体の回復に努めろ。君が体を起こせるようになったら改めて状況の説明をしてやる」
ああ、それは助かる。何せ今はとてつもなく怠くてしんどいのだ。意識が朦朧としていて今の状況がどういうことなのか把握することすらキツいくらいに。
彼の言葉に何となくホッとして、そこでふと普段通りの顔をしているはずの彼の目の下が黒ずんでいることに気がついた。
「れおにす、さま……」
「うん?」
「………くま」
隈。そう、彼の目の下に隈がある。
いつもキリッとした顔をしている彼の目の下にそんなものが陣取っているのは初めて見た。
エナの言葉にレオニスは虚をつかれたような顔をした。
「……少し眠れなかっただけだ。何せ緊急事態だったからな」
「てつやは、どくですよ……」
私が言えることではないけれど、と内心で密かに付け加える。
囁くように微かなエナの言葉にレオニスが苦笑をした。
目元を緩めてくしゃりと微笑む顔は初めて見る顔だった。
「わかっている。君が寝付いたら俺も改めて睡眠を取るつもりだ」
そう告げるレオニスにエナは今度こそまぶたを落とした。
そろそろ起きているのも限界だ。
彼がそう言うならば心配はいらないだろう。何せ彼は自分と違ってしっかりしているのだ。
「おやすみ、エナ」
まどろむ意識が落ちる刹那、そんな声が聞こえた。
優しい声音は彼がルルに語りかけるものと同じ。柔らかくて慈愛に溢れたものだった。




