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 バルミューダは何するでもなく、部屋をうろうろと歩き回っていた。


 気持ちがどうにも落ち着かないのだ。

 ギルバートに任せていればすべてが上手くいくのはよく知っている。


 けれども腹の底から沸き立つ激情は鎮まる気配がない。

 あの能天気な女が泣き叫ぶ姿を見なければ気が済まない。


「早く……早くしなさい、ギルバート。あの女に引導を渡すのよ……」


 呟き、ギザギザになった親指の爪が目に入る。

 いつもは美しく磨いている爪がボロボロになっているのが腹立たしくて、バルミューダは盛大に舌打ちをした。


 と、その時、にわかに部屋の外が騒がしくなった。


 何事かと顔をしかめた時、部屋の扉がバンと開かれる。

 そこに現れた人物にバルミューダは絶句する。


「やあ、愚妹よ。ようやく見つけたぞ。ずいぶんと遠くまで遊びに出ていたものだ。見つけるのに難儀したぞ」

「お、姉様……っ」


 自分と同じ豊かな黒髪。だが自分の柔らかなウェーブがかった髪とは違って、癖はなく真っ直ぐとすとんと伸びている。

 目尻がきゅ、と上がったヘーゼルの瞳も同じ形。けれども猫のように愛くるしく気まぐれなバルミューダと違って、彼女の瞳には凛とした強さと力が宿る。

 自分が赤薔薇のように華やかで派手なドレスならば、姉の纏う装いは大輪の百合のように装飾が少なくシンプルながらも目を引く慎み深いドレス。


 バルミューダは自分とよく似ているのに決して似つかないこの姉が嫌いだった。


「なんで、お姉様がここに……!」


 自分がベルトゥリー伯爵邸を訪れたことがレオニスの耳に入り、彼からトライウィール辺境伯領へと使いが走ることは予想していた。

 だが彼女がわざわざ自領を離れて遠路はるばるこんな片田舎まで出張ってくるとは思っていなかった。

 出てくるとしたらせいぜい彼女の夫であるエルンストだけだと思っていたのに。


「何故って、そんなもの決まっている。妹の迎えを他人に任せるわけにはいかんのでな」

「だからあんた直々に出てきたって? ハッ、そんな小さな理由であんたが動くわけないことはとっくに知ってんのよ。何か他に目的があるんでしょ。わかってるんだから」

「やれやれ……小さな理由と思っているのか、お前のことが。お前のやらかすことが」


 姉に真っ直ぐ睨みつけられたバルミューダはひゅ、と息を呑む。


 辺境領を守護する騎士団も震え上がらせる眼差しを叩きつけられて平気でいられるはずがない。

 青ざめて喉を詰まらせたバルミューダを睨みつけたまま、マリアナはバルミューダへ一歩詰める。


「お前は自分がトライウィール辺境伯家の一員だという自覚はあるのか」


 ある。当然だ。

 自分は生まれも育ちもトライウィール辺境伯家の娘。

 王家、公爵家に次ぐほどに位の高い、国境守護を任されるほどに王家の信頼の厚い高位貴族の一員であり、自分はそこで姫君のように大切に育てられた。


 だから自分が望めば大抵のことは何でも叶ったのだ。


 けれども姉の瞳はそういう答えを望んでいないことはうっすら理解していた。

 だからバルミューダは口を噤む。


「四年前、あの時にお前には散々説教をしてやったことを忘れたか」


 覚えている。忘れられようはずがない。

 あれがそもそも自分の不遇の始まりだった。


 レオニスに恋焦がれた自分は、どうしても彼を手に入れようと騒ぎを起こした。

 あの頃、レオニスの周りにまとわりつく小娘がおり、自分にもしつこく縁談を持ちかける男がいた。

 その二人をどうにかまとめて処分しようとして、その二人をくっつけてしまえばいいと画策した。

 手っ取り早く二人に薬を盛り、密室に閉じ込めた。

 既成事実を作れば、それはどうしようもない醜聞になって、二人は結婚するしかなくなる。


 ここでバルミューダが失念していたのが、レオニスにまとわりついていた小娘が王弟殿下が推し進める鉄道事業で要となる炭鉱を有した伯爵家の娘であり、レオニスにまとわりついていたのではなく単に事業計画について詰めていただけということ。何より彼女にはすでに相思相愛の夫がいたことだ。


 エルンストとレオニスの尽力で何とか事が起こる前に収めることはできたが、バルミューダが引き起こしたことで、ひと組の夫婦とひとりの男の人生が狂わされかけ、王弟殿下が推し進める鉄道事業もあわやおじゃんになるところだった。


 そのためにバルミューダはトライウィール辺境伯領に封じられることになったのだ。


「あの時にレオニスのことは諦めろと妾は言ったはずだ」


 そう、言われた。

 そのことだって忘れてなどいない。

 忘れてはいないが納得しているかは別だ。


「彼とは身分が違う。今でこそ男爵を賜った身分ではあるが、彼の血は高貴な血にはなり得ない。結ばれるにはトライウィール辺境伯家から名を消すことを覚悟しなくてはならないが、お前の甘ったれた根性では平民という身分は耐えられまい。故に彼のことは諦めろと、妾はそう言ったはずだ」

「な、何、よ……別に私が誰と結ばれようがいいでしょう。トライウィール辺境伯を継ぐのはお姉様。私だってお爺様から爵位を授かれば、彼と結ばれることだって」


 なぜならエナは彼を婿に迎えた。

 彼女ができたことなら自分だってやったっていいではないか。


 大体、爵位が欲しいというのならば自分にだって用意はできる。

 だというのに、彼はどうして自分に見向きもしなかったのか。


「戯けが。王家、公爵家に次ぐトライウィール辺境伯の女が平民を、下手な男を迎える悪しき前例を作るわけにはいかんとあの時も説明しただろう。我らは国の守護を司る一族だ、分家とて婿入りする男は厳しく選ばねばならん。嫁入りする場合も同様だ。片田舎を治める下位貴族に近しい伯爵家と一緒にするな」


 姉の言葉にぐ、とバルミューダは歯噛みする。


「……それでもお前には恋を諦めさせることになる。それは間違いなくお前の不幸よ。だからせめてお前の先行きが幸多いものになるようにお前の気性を理解し、守れる男を妾も父も探し続けていたというのに。お前は決して妥協をせず、彼らと打ち解けようとしなかったな」


 バルミューダを睨みつけていたマリアナの瞳が憐れむような色を浮かべた。

 どこか悲しむような瞳に、バルミューダは逆に怒りを覚えた。

 悲しいのはむしろこっちなのだ。なぜに自分がレオニスを諦めなくてはならないのか。


「バルミューダ」


 憐れむマリアナの瞳が一瞬で元の凜とした強さのある、誰もをひれ伏せされる辺境伯の瞳に戻る。


「此度のこと、お前は責任を取らねばならない。お前はこの国の守護者の一族としてやってはならないことをした」

「は…………?」

「貴族当主を排除しようとした。それだけで大事だが、トライウィール辺境伯家としては“暴力”でもって我が国の民を貶めたことの方が事だ。何故妾たちに大きな力が与えられていると思っている。トライウィール辺境伯家に籍を置きながら我らが守るべき国民を脅かしたこと、万死に値する」

「え……お姉様……?」

「お前はこれより命に関わる重病を患う。残念だ、バルミューダ。お前は可愛い妹だったのに」

「ち、ちょっと、待ってお姉様……! 何、なんで……それほどのことじゃないでしょ……!」

「連れて行け」


 バルミューダの悲鳴に構わず、マリアナは連れてきた兵に指示を出し、バルミューダを連行させる。

 バルミューダは兵に取り押さえられ、連行される間もずっとマリアナに叫び続けていたが、マリアナは一度も彼女を振り返ることはなかった。


 そうしてバルミューダが連れていかれ、やがて部屋がしんと静まり返る。


「…………此度の件はお爺様の采配ミスだな」


 静まり返った部屋でマリアナは小さくぼやく。


 そもそもバルミューダが封じられていたトライウィール辺境伯を出て、ベルトゥリー伯爵領までやってきてしまったのは、マリアナとバルミューダの祖父である先代トライウィール辺境伯が孫娘可愛さからバルミューダにギルバートをつけたことが発端だ。


 ギルバートは優秀な反面、切れ過ぎるナイフのような男だった。

 先代トライウィール辺境伯に心酔し、絶対の忠誠を誓う彼は道具のように忠実に「バルミューダに従うように」の言葉を守り続けた。そこに善悪や倫理観などは何もない。

 砂糖菓子のような甘ったれた可愛い小娘のバルミューダにつけるには明らかに不相応だ。

 子供にそんな刃物を持たせたら子供が怪我するなど明白だ。


 おかげでマリアナは可愛い妹を失い、トライウィール辺境伯家は優秀なギルバートも失う事になった。


「………伝令を走らせろ」


 感傷に浸る暇はない。

 まだ事件は終わっていない。


「バルミューダは確保した。見つけたギルバートが暴れるようならば、その旨を伝えよ」


 バルミューダを捕らえた事がわかれば、ギルバートならば抵抗は無駄と悟り、大人しく刑を受けるだろう。


 あれはそういう男だ。

 これでひとつの懸念は消えたが、まだエナ・ベルトゥリーの発見の報告はない。


 ギルバートに連れられて、バルミューダのいたこの部屋を目指しているのならいい。

 けれども自分たちがあっさりとバルミューダを確保できたことを考えると、道中で何かあったと考えるのが自然だ。


 何せギルバートの思惑通りに事が進んでいたのなら、バルミューダはすでにこの場所を引き払っていただろうから。


「はあ………」


 思わずため息が漏れる。

 妹のやらかしたことの後始末は、なかなかに頭の痛い案件だった。

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