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レオニスは馬車の外の景色に目をやる。
緩やかに流れる景色にちらちらと白い粉が舞う。
それが母が自分たちを置いていった時の景色と重なった。
「俺は幼い頃、母親に妹と共に孤児院の前に置いて行かれた。妹とは……五つほど歳が離れていたかな。母親に置いていかれたこともわからず、ただ俺のそばで母親の背中をぽかんと眺めていた」
レオニスは違った。
母親が病を得ていたことも、これから死にゆく自分を恋しがらないように精一杯憎まれ口を叩いて自分たちを突き放していたことも、全部理解していた。
だから彼女に追い縋れなかった。
孤児院の前に置いて行かれたことは、彼女の最後の力を振り絞った愛だったから。
「母親を失った俺は、母親の代わりに妹を守ることをよすがにした」
自分は兄なのだから泣き言を言う暇などない。自分よりか弱い妹を守っていかなければ。
そう言い聞かせて、自分の心を守ろうとしたのだ。
妹も唯一の肉親である自分に甘え、執着した。
たぶん、自分たちは守り、守られることで依存し合っていた。
それぞれの世界は兄が、妹がもっとも大きなものだっただろう。
それでも良かったのだ。
レオニスにとって、妹はとても大切な存在だった。すべてを懸けても守らねばならない存在だった。
けれども、
「ある日、妹が病にかかった。察していると思うが、ルルと同じ病だ」
その病は貧乏人がかかる病と言われていた。
医者の話によると、その病の元は健康な人間であれば簡単に跳ね除けられる病原菌なのだが、栄養状態が悪く体の弱っているものに入り込むとあっという間に体を蝕むのだ。
だと言うのに薬の材料には希少な薬草を必要としてとてつもなく高価。
故に妹は手の施しようがなくて、あっという間に弱って儚くなった。
「…………あの時の絶望を、なんと言ったらいいんだろうな」
握りしめていたぬくもりが日に日に冷えて、やがて自分の手の内側から滑り落ちていく。
泣くことも叫ぶこともできなかった。
ただ、儚くこぼれおちた妹の命を認めたくなくて、呼吸の止まった妹の冷たい手をずっと握りしめた。
孤児院にいる大人たちに引き剥がされるまで、ずっと。
あの時の冷えを思い出して、レオニスは目の前に手をかざす。
今は何も握りしめていない手の内側はあの時からずっと冷えている。
「それから程なくして孤児院の取りつぶしの話が出て、そこから先は君に話したな。孤児院を潰したくなくて、俺は詐欺を働いた」
妹を失った後、レオニスは自分が何をしたらいいのかまるでわからなかった。
呆然と日々を送っていた自分が孤児院のために動いたのは失った妹の代わりに、兄弟同然に育ってきた孤児院の子供たちを守ろうとしたのか。妹のいたこの場所を守りたかったのか。あるいは妹のことを考えずにがむしゃらに動ける何かを欲したのか。
それから十数年。
レオニスのしたことから思わぬ形で大きな事業になってしまったそれのために働いて、それがようやく形になって終わる、となったところでルルの話がレオニスのところに舞い込んだのだ。
ちょうど抱えた事業が終わった後のことを考えなければならないと思っていた頃だった。
「初めて出会ったルルは、そう、妹が亡くなった時と同じ年頃で……だからだろうな。一度、彼女の小さな手に触れて、その手を握りしめてしまって、手放せなくなった」
姿形も、性格も、まるで全然似ていないのだ。
けれどもただ妹と同じ病を得た、亡くなった妹と同じ年頃の娘というだけで入れ込んでしまった。
それがどれほどに残酷なことか、わかっているというのに。
「…………この話は、ルルには決してしないでくれ。あの子には誰かの身代わりなのだと妙な引け目を感じてほしくない。あの子には……これ以上暗い影を負うことなく、幸いある未来を得てほしい」
彼女には肉親がない。不自由のない健康な体がない。
それでも懸命に生きようともがき、レオニスを慕って笑いかけてくれる。
レオニスはそんな彼女を妹にしたくない。彼女にレオニスの妹のことを意識させたくない。
レオニスはただルルを守り、何をなげうってでも幸せにしたいと思っているのだ。
「…………その話を、なぜ私に?」
エナの問いにレオニスは改めてエナを見た。
レオニスがなぜレオニスの背負っているものを自分に分けたのか理解できないという顔をしていた。
「…………君が俺との関係を続けたいと言ったからな」
そう告げると彼女は「言ったわ」と自分の失言を嘆くような顔をした。
その表情にレオニスは小さく笑み、こう続ける。
「俺も、君との関係を長く続けたいと思っている。だからこそ俺の弱みとなる部分を曝けておこうと思った。大事なことだろう、長く関係を続ける上で己を知ってもらうことは」
「やめてくださいよ。そんな重たいもん、私の手に負えませんよ」
そう呻くエナに、レオニスはただふ、と口元を緩めることで応える。
「何笑ってんだこの野郎。珍しく笑顔を見せたからって……そんないい顔で微笑んでるからって絆されるとか……絆されるとか……っ、くっそぉぉおおおお、顔が良いぃぃぃ! そういうところだぞ、レオニス様!」
エナがそうやってひとりで騒ぎ出す。
その姿が滑稽で、レオニスはただただ可笑しくて笑い続けた。




