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「お嬢様……! 今、お二人は大切なお話を……!」


 ムーンランド子爵夫人が、ムーンランド子爵邸の使用人が入ってくる人を押し留めようと試みる声が聞こえてくる。

 だがそれは力及ばず、その人はレオニスとムーンランド子爵のいるこの部屋へと辿り着いてしまった。


「お嬢様……!」


 扉が開かれ、予想通りの人物がそこに現れる。

 不躾にズカズカと人の邸に踏み入ってきたのは当然、


「エナ……」

「レオニス様とムーンランド子爵がこちらでお話をしていると伺って」


 あっけらかんと答える姿はいつものエナだ。


 あまりにもいつも通りの様子がこの場の空気と場違いでレオニスは眉をひそめる。


「お嬢様……何かご用でしたらこちらから伺いましたのに……!」

「ううん、いいんです。こちらこそアポなし訪問ごめんなさいね」


 慌てふためくムーンランド子爵にエナはそう答え、


「で、お二人は何のお話を?」

「ーー……俺と君の離縁の話だ」

「ウィスタリア男爵!」


 こてん、と首を傾いだエナにレオニスがそう告げれば、ムーンランド子爵が非難するように声を上げた。


「俺は君を蔑ろにし、他所に家庭を持っていた。その責を果たそうという話だ」


 レオニスはムーンランド子爵の非難の眼差しに構わずエナにそう告げる。

 ムーンランド子爵の言うように自分は娘を捨てて何食わぬ顔をして結婚生活を続けることはできない。


 そうなればどうせ遅かれ早かれ彼女の耳には入るのだ。

 レオニスの言葉にエナはきょとんと目を丸くした後、傾げていた首を反対側に倒した。


「エナお嬢様、どうか、ここは私にお任せを。お嬢様に聞き苦しいお話を聞かせるわけには」

「何で? 我、当事者ぞ。我、当事者ぞ? 離縁がもう決まってても、その理由くらいちゃんと聴きたいですなあ」


 エナが口を開く前にムーンランド子爵がエナを制そうとして、けれどもエナは逆にレオニスの隣にどっしりと座ってしまった。


 ムーンランド子爵が困惑してエナを見つめるが、エナはレオニスしか見ていなかった。


「それで……えっと、何でしたっけ。レオニス様に愛人がいて、その方を日陰者にしたくなくなって離縁になるとかそんなんです?」

「いや」

「じゃあその方が奥方(わたし)という存在を嫌がった?」

「違う」

「じゃあどうして」


 エナの問いにレオニスはムーンランド子爵を見る。

 彼は世間話するように軽い調子で話を振っているエナに困惑したまま何も言えないでいる。


「……愛人がいる男は君の夫として非常に外聞が悪い」

「なるほど。それで離縁…………え? それだけ?」

「貴族として醜聞はかなり致命的なことだ。ましてや君の父親という存在のせいで余計にこのベルトゥリー伯爵領では愛人を囲う入婿というものに余計に忌避感が強い」

「マジか。ほんとあのクソ親父ろくでもねえな。いなくなっても厄介ごと残してくとかマジで」


 エナが吐き捨てるようにぼやく。


「それ、どうにかならないんです? レオニス様、口上手いしそういうの何とか誤魔化すとか」

「お、お待ちください」


 流れるように婚姻継続を望んだエナに口を挟んだのはムーンランド子爵だった。


「エナお嬢様は……彼に愛人がいてもいいと? そこまで彼のことを愛していらっしゃると?」


 そのムーンランド子爵の声にエナはハッと目を丸くし、それから困ったようにレオニスを見る。

 そんなエナにレオニスは小さくため息をついて目線だけで素直にぶちまけていいと促す。

 それにエナはほんのわずかな逡巡を見せた後、


「いや、特にレオニス様を愛しているわけではないですね」

「え」

「だってこの人、初対面での言葉が『君を愛するつもりはない』ですもの」


 エナの言葉にムーンランド子爵が非難するようにレオニスを見る。

 そんな視線をレオニスはただ目を閉じ、受け流す。


「すごいですよね、小説でしか聞いたことないセリフを堂々と言われたものだから『これが噂の冷遇夫! 今までドアマットだった私に死角はないぜ!』と覚悟しましたもの」


 そう告げるエナのその時の心境は初めて聞くものだった。


「まあ、そんなことを真正面から言ってのける男なんてこちらから願い下げですし」

「だから『ありがとうございます』だったのか」

「そうですよ。まあ……でも『今日から君の夫です。互いに愛し合えるように頑張りましょう』とか言って初対面からグイグイ来られても困ったと思いますけどね。男性とそういう距離感なんてどうしていいかわからないし、こんな顔のいい男が名実共に夫だとか緊張しきりで絶対疲れるし、絶対無理っ! って泣いてたと思いますから」


 エナはあっけらかんとそう告げて、それからこう続ける。


「まあ、だからいいんですよ、そこは。根に持ってるとかそういうんじゃなくて、愛せないのはお互い様なんです。私もレオニス様を愛せませんから。でも、この人はそう言いながらも私を人間として尊重してくれたんです」


 エナの言葉にムーンランド子爵がハッと息を呑む。


「仕事で忙しくしていて顔もあんまり合わせないけれど、完全放置ではなくてきちんと私の希望を聞いてくれる使用人を置いて世話してくれました。私は庶民グレードでいいって言ったけれど『君は伯爵だから』と相応の服とご飯を用意してくれました。私がわからないことは教えてくれるし、恥をかかないように教育も手配してくれました。馬鹿な女の妄想じみた話も笑わずにちゃんと聞いて、真面目に返してくれる。ツッコミの切れ味が鋭い時はあるけれど」


 エナはひとつひとつを丁寧に語る。

 その顔には翳りひとつなくて、ただただニコニコと能天気な微笑みだった。


「だから別に私はレオニス様が夫で特に不満はないですし、できるならこのままの関係を続けていきたいとは思ってます。あ、でもレオニス様、愛人さんいらっしゃるのか。そちらと愛し合ってるのならやっぱ私と契約夫婦続けるのはアレですかね? レオニス様はどう思います? いや、むしろここに愛人さん呼んで、そちらからも心情を……あー、でも愛人さんの心境的には私には会いたくないのか……っ? どうです? レオニス様、そこら辺どうなんです???」

「……とりあえず君は落ち着け」


 先ほどまで笑んでいたエナがはたと気がついてオロオロとうろたえる。

 その様子にレオニスはひとつため息をついた。


「……まず、俺に愛人はいない。今起こっていることと、俺の事情を初めから説明する」


 そう告げ、レオニスはムーンランド子爵へと視線を向けた。

 エナに毒気を抜かれたムーンランド子爵も改めてレオニスの話を聞く姿勢を取ってくれている。


 その様子に内心でホッとしつつ、レオニスは改めて自分の事情を、娘のことを二人に話して聞かせた。

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