51
ムーンランド子爵邸は重苦しい雰囲気に包まれていた。
ただただ痛いばかりの沈黙に、レオニスは耐えたまま目の前で難しい顔をしているムーンランド子爵を見つめる。
彼は今にも爆発しそうな怒りを抑え込み、努めて冷静になろうと試みていた。
レオニスはただ真っ向からムーンランド子爵の視線を受け止めたまま、彼の言葉を待つ。
下手な嘘や誤魔化しは彼に通じないと知っていた。
「…………それで」
やがてムーンランド子爵が低い声で静かにそう問いかけた。
「エナお嬢様とベルトゥリー伯爵領に戻ってから、あなたがあの家で何度か過ごしているという報告が届いています。あの家にいたのは誰です? あなたの愛人とその子供?」
「子供は俺の娘です。言い訳に聞こえるかもしれませんが、あの家にいた女性は娘の世話をさせるために雇った家政婦です」
レオニスの言葉にムーンランド子爵が疑うように睨みつけてくる。
どうせ何を言っても、隠してしまっていた以上疑われても仕方がない。
そしてその疑惑を完全に払拭することが難しいこともレオニスはよく知っていた。
「それではあの子の母親は?」
「あの子に母親はおりません。あの子は、俺と同じ孤児でしたから」
そう、ルルはレオニスがいた孤児院に身を寄せていた孤児のひとりだ。
だから余計に話が拗れる。だからといって母親がいたとしても、それはそれで話は拗れただろうが。
ムーンランド子爵は軽く鼻を鳴らし、レオニスの言葉を一蹴する。
下手な言い訳と思ったのだろう。
レオニスだってそう聞こえると思うのだから。
「……いえ、下手に言い訳はやめましょう。確かに俺は家族がいることを隠して、エナ嬢と婚姻を結びました。それは紛れもない事実です」
「何故、そのようなことを。私はあなたに話したでしょう。エナお嬢様の父親が母親を裏切り、愛人親子を連れ込んでお嬢様を虐げていたことを。あなたはあのクズと同じことをお嬢様相手に繰り返すつもりですか」
「いえ、そのようなことは決して」
彼の言葉を否定したところで、それが信じられるかといえばそうではないだろう。
ムーンランド子爵は特にレオニスへ寄せていた信頼を裏切られ、その分の感情が裏返ってしまっている。
「娘をベルトゥリー伯爵家に連れ込むつもりも、籍を入れるつもりもありません。何ならここでその旨を誓約書にしたためてもいい」
「そういう問題ではないんですよ、ウィスタリア男爵」
悪あがきに言い募るが、ムーンランド子爵の視線は厳しかった。
「あなたはエナお嬢様の父親と同じ事を……エナお嬢様を欺いたことが問題なのです。このことをエナお嬢様が知ったらどれほどに傷つくことか。蔑ろにされた母親と同じ轍を踏まされたことがどれほどに残酷なことか」
ギリリと奥歯を噛み締めるムーンランド子爵の言葉にレオニスは押し黙る。
「…………今すぐにあの親子を遠ざけなさい」
ムーンランド子爵が静かに告げ、レオニスは彼の見えないところで拳を握りしめる。
「エナお嬢様にあの二人のことを知られるわけにはまいりません。エナお嬢様に知られる前にあの二人を見えないところに遠ざけ、二度と関わりを持たぬように断ち切りなさい」
ムーンランド子爵は反論を許さないと言わんばかりにレオニスを睨みつける。
レオニスは何度か口を開き、穏当な反論を見つけられずに閉口した。
そんなことができるわけがない。
ルルを、娘を手放すことなど考えられなかった。
こうなってはもう交渉は決裂だ。
娘を連れてこの地を離れる他ない。
だがその後は?
娘のためにベルトゥリー伯爵領に入り込んだのだ。そこから出て、娘の問題を解決できるのか。
それだけではない。
頭の痛い問題であるバルミューダにも娘のことを知られた。
今後は堂々と娘にちょっかいを出してくるだろう。過激なあの女のことだから、手段を問わずに娘を利用し、あるいは排除にかかってくる。
数多の問題を抱え込んだまま、娘を守り切れるのか。
握った拳の内側で手のひらに爪が食い込むのを感じる。
しかし後のことはその時になって考えるしかない。
レオニスは彼に否を唱えようとして、
「お嬢様! お待ちください!」
不意にムーンランド子爵邸が騒がしくなって、ムーンランド子爵と共にハッとそちらを振り返った。




