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 サロンに通されたトライウィール辺境伯令嬢は目鼻立ちがはっきりとした麗しい美人だった。


 華奢で可憐なお姫様がマリーナだとするならば、彼女は妖艶な美女だ。


 長く豊かな黒髪は緩いウェーブをかたどり、きりりと目尻が吊り上がった猫のような形をしたヘーゼルの瞳。

 紅を塗った唇は赤く、体の曲線を惜しげもなく晒す派手なドレスに身を包んだ体は凄まじい色気を滲ませていた。


 こういう状況でなければ、エナも顎に手を当ててほほうとため息をついただろう。

 何せ美少女も好きだが美女もとても大好きだったので。


「あなたがエナ・ベルトゥリーですわね。そちらは……」

「リトルパイン伯爵が娘、マリーナですわ。この度は友人であるエナ様にお招きいただき、このお邸に滞在しておりますの」

「ふうん……」


 エナの値踏みもそこそこに見知らぬ令嬢へと視線を向けたバルミューダにマリーナがそう自己紹介する。

 バルミューダはそれに気のない返事を返し、それからベルトゥリー伯爵家の使用人が出した茶へと口をつけた。


「まあ、誰がいてもいいでしょう。私、回りくどいことは好きではないの。だから単刀直入に言うわ」


 バルミューダが真っ直ぐとエナを見据え、こう告げる。


「エナ・ベルトゥリー。レオニス・ウィスタリアと離縁なさってちょうだい」


 その言葉に誰もがはっと息を呑む。

 緊張の走る雰囲気の中、エナは静かにバルミューダを見返してこう問い返す。


「それは何故でしょう?」

「あの男は私のものだからですわ」


 同席している使用人が主人を物扱いされたことに顔をしかめる。

 それでもバルミューダは涼しい顔をしたままこう続ける。


「ずっと前から目をつけていたの。だというのに貴女のような人と結婚をするだなんて……まったく困った人だわ」

「横から口を挟むことが無礼とは承知ですが……エナ様とウィスタリア男爵はすでに書面を交わし、正式な夫婦となっております。この間、大々的に結婚式も催して世間的にも披露いたしました。そんな中で急に離縁をしろと迫るのは少々不躾なのではありませんこと?」


 バルミューダの物言いに言い返したのはマリーナだ。


「新婚である二人が離縁なさってごらんなさい。誰もがこぞってあらぬ醜聞を掻き立てるのではなくて? エナ様にもウィスタリア男爵にも利がありませんわ」

「あら、醜聞だなんて。どうせベルトゥリーの名なんてとっくの昔に泥に塗れているでしょうに。まあ……確かに利がなければ離縁したくないというのはわかるわ」


 そうしてバルミューダが自分の連れてきた使用人へと目配せをする。

 するとバルミューダの目配せを受けた使用人がしずしずと進み出て、テーブルの上にどさりと皮袋を置いた。


 その口からころりと金貨や宝石がこぼれ落ちる。


「手切れ金に差し上げるわ。レオニスの後釜が必要というのならこちらで用意してさしあげます。ここにいるギルバートはトライウィール辺境伯家が寄親をしている子爵家の次男なの。優秀な男よ。伯爵家に婿入りするのに不足はないはずですわ」


 バルミューダの紹介を受けて、皮袋をテーブルに置いた使用人が深く一礼をした。


 それから顔を上げ、エナを見つめる。

 エナを値踏みをするような視線だった。


 子爵家の次男ごときの不躾な視線にマリーナが不快を感じたようにひそかにエナの手を握る。

 自分を気遣ってくれるマリーナの様子にエナはそちらに一度だけ視線を流した後、改めてバルミューダを見る。


「一代男爵より格上の身分の男。トライウィール辺境伯の後ろ盾を得られるの。悪い話ではないと思うけれど?」

「あなたに都合の良い話にしか聞こえませんけれど。所詮、あなたの手のものでしょうに。ベルトゥリー伯爵領を良いようになさるのではなくて?」

「外野は黙っていてくださるかしら。私は今、エナ・ベルトゥリーと話していますのよ」

「外野だなんて。わたくし、エナ様の友人として彼女が不幸になるようなことはみすみす見逃したくはありませんの」

「伯爵令嬢風情が」

「まあ。今は伯爵令嬢ですが、これでも次期アクアヴァリー侯爵夫人ですのよ、わたくし。知らなかったのかしら? よほど社交界に疎いのね。うっかりどうしようもない無礼を働く前にどのような相手にも礼を尽くすことをお勧めいたしますわ」


 苛立ちに表情を歪ませるバルミューダに対してマリーナはニコニコと穏やかな笑顔で応じる。


 バチッと二人の間で火花が散るような様子にエナは閉口する。


 自分のことなのに何故か蚊帳の外だ。


「ふん……それで、貴女はどう思ってるの? どうせレオニスは貴女のことなんて何とも思わず放置しているのではなくて? このまま愛のない冷めた結婚生活を続けるより、これを機に貴女を大事にしてくれそうな男と幸せな生活をした方がよろしいのではありませんこと?」


 バルミューダが鼻を鳴らし、改めてエナに問う。

 それで手持ち無沙汰で紅茶をティースプーンでかき混ぜていたエナははたと動きを止める。


「……そう言われましても、私は別に」

「…は?」

「別に私は現状に不満はないので。レオニス様は私に十分な生活の保証をしてくださって、好きなことをさせてくださいます。それだけで十分すぎるほどです」


 エナの言葉にバルミューダの顔が歪む。

 どうやらエナの言葉が彼女の神経を逆撫でしたらしい。


「じゃあ、何。それだったならここにいるギルバートでも構わないでしょう。レオニスに執着しなくてもいいでしょう」

「そうですね。私は私の生活が保証されるのなら別に夫はレオニス様でなくとも構いませんよ」

「それなら……!」


 エナの言葉に周りの誰もがハッと息を呑んだ。

 だが声を上げかけたバルミューダを遮って、エナはこう告げた。


「ただレオニス様が離縁に頷くかと言われればそうではないと思いますので、私の方から離縁を言い出すわけにはまいりません。どうぞ、こちらはお持ち帰りになって、レオニス様とよくお話ください。レオニス様から離縁を仰られれば私は応じますから」

「なっ……貴女……っ!」


 エナの言葉にバルミューダは顔を真っ赤にする。


 マリーナも大きな目がこぼれ落ちんばかりの驚いた顔で両手で口元を押さえている。


 エナはテーブルの上にこぼれた金貨と宝石を丁寧に皮袋に戻すと、そのままギルバートの手に返す。

 ギルバートも呆気に取られた顔をする。


「レオニス様がお帰りになるまでうちに滞在なさいますか? 急な来客だったので、大したおもてなしはできないのですが」

「〜〜〜〜〜っ! 覚えてらっしゃい!」


 エナの言葉にバルミューダは真っ赤な顔のままいきり立つようにソファから立ち上がってサロンから出て行く。

 ギルバートも慌ててバルミューダを追いかけていき、二人が去ればしん、とした静寂が訪れる。


「…………ふう」


 やがてエナが小さくため息を落とせば、そこから時が動き出したようにマリーナがハワワと小さくため息を漏らした。


「……エナ様、なんて大胆な宣戦布告を」

「へ?」

「だってそうではありませんか。“自分は別に離縁してもいいけど、向こうが離縁を承知しない”だなんて、向こうからぜひにと望まれているのだと言っているようなもので……」

「……… ……………違うよ!!??」


 マリーナの言葉をよく咀嚼して、ようやく理解した自分の宣言にエナは一瞬にして顔を真っ青にして叫んだ。


「レオニス様が欲しいのは私の持ってる土地とかコネクションとか、スムーズに事業の許可取りできる実務的なことだとか、そういうものでしてね!? 私自身のことは本当全然何にも!? 何にもないんですよ!?」

「ええ、まあ……エナ様のことですから、それは本当なのでしょうね」


 冷や汗をダラッダラに滝のように流しながら弁明するエナにマリーナはクスリと微笑む。


「ですがエナ様とそう親しくないあの方は間違いなく誤解しましたでしょうね」

「おうふ」

「まあ、でも良いのではないでしょうか。人に不躾に離縁を迫るような人種ですもの。勘違いとはいえ、それくらい痛烈な一撃を浴びるのは良い薬でしょう」

「えええ……もっと厄介なことにならないかなあ……」

「元が厄介な人間である以上、結局どう足掻いても厄介ごとにはなるかと。まあ、そこら辺は厄ネタを持ち込んだウィスタリア男爵の手腕に委ねましょう」


 げんなりと呻くエナにマリーナが苦笑する。


 その言葉にエナもまた「それもそうか」とバルミューダのことをレオニスに丸投げすることを決めた。

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