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 雪が降っていた。


 チラチラと静かに舞う粉雪は肌に触れればあっという間に溶けるのに、刺すような冷たさがあった。

 静かに吐いた息は白く濁り、緩やかに外気に溶けていく。

 街並みは灰色で薄汚い。ゴミゴミした場所はたくさんの匂いが混在してお世辞にも衛生的とは言えなかった。


 そんなことはよく覚えているのに、目の前に在る女の顔はどこかぼやけてしまっていた。


「ああ……ようやくせいせいする」


 ぼやくように呟く彼女が、顔は曖昧でも疲れた顔色をしていることだけは覚えている。

 彼女の肌の色は土気色。緩くウェーブを描く黒髪は艶もハリもなくて無造作に伸びていた。


 女はねばっこい湿った咳を二度、三度と繰り返した後にこう口を開いた。


「これで煩わしいあんたらから解放されるってもんだ。追って来るんじゃないよ、うっとうしいから」


 吐き捨てる女とは決して目が合うことはなかった。

 彼女は言い捨てるようにそう告げると、もう用はないと言わんばかりに背中を向けて去っていく。


 咳を繰り返しながら背中を丸め、重たそうに体を引きずって歩いていく彼女は一度だってこちらを振り返ることはなかった。


 小さくなっていく背中は見えなくなればもう二度と会うことはできないのだと、直感が告げていた。

 けれどもその背に追い縋ることはできず、ただ小さな手のひらを固く握りしめる。


 足が、体が凍りついてしまったように動くことはなかった。

 行かないで、と叫ぶ心は声にならず、ただ白い吐息が細くたちのぼるばかりだった。


 聞き分けのない子供になれなかったのはここに連れて来られる時、自分の腕を握った彼女の手に痛いくらいの力がこもっていたからだ。


 見上げた横顔がとても厳しくて、噛みちぎれそうなくらいに唇を噛む顔が怒りに満ちていたからだ。

 けれどもそんな顔をしているのに自分たちを嘗める炎の熱さはなく、ただただ苦渋が滲んでいた。


 だから子供心でもこれはどうしようもないことなのだと理解できた。

 どんなに追い縋って抱きついて泣きじゃくりたくとも、それが彼女の最後の思いやりを踏み躙るものだとわかっていたからできなかった。


 せめてあの背中が見えなくなるまでその目に焼き付ける。


 だというのに視界はぐしゃぐしゃに歪んで最後までその背中を綺麗に焼き付けることができなかった。



 ・ ・ ・ ・ ・



 次に目を開けた時は真白の天井が視界に飛び込んだ。


 肌を指すような雪の冷たさもなければ、吐いた息も白くならずに深い呼吸の音だけが響く。

 レオニスは柔らかくて暖かい羽毛布団を退けると身を起こして頭を抱える。


 母親の夢は久しぶりに見た。


 エナの母親に対する想いに触れたからだろうか。

 触発されて自分も母親が恋しくなるなど幼い子供のようだ。


「……いや…………」


 レオニスは呟き、抱えていた頭を持ち上げて自分の手のひらを見る。

 夢の中でずっと固く握りしめていた手のひら。


 雪の降る寒いさなかでもそこだけが熱いくらいにあたたかくて、夢から覚めた今は冷えて寂しく思ってしまう。


「そうか……そういえばそろそろだったな」


 忘れたくとも忘れられない。大切なものを失った日が静かにまた訪れようとしている。

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