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時は少し遡る。
「ベルトゥリー伯爵領に引っ越す?」
「正確には帰る、だな。式後は社交シーズンも終わり、商会本部もベルトゥリー伯爵領に移す。領地の方も見ていく以上、俺はベルトゥリー伯爵領のカントリーハウスに移る」
結婚式の手順の確認の合間にふと切り出された話題にエナはぱちくりと瞬く。
「君はどうする。王都から離れたくないと言うのならそのように手配をするが」
そう問われたエナは「うーん」と首を捻って考えこむ。
「正直……どちらでも、というか。私は創作活動さえできれば無問題なので……レオニス様的には私はどちらにいた方が都合がいいですか?」
「俺の都合を聞くなら、共にカントリーハウスへと来てもらう方が断然いい。何せ結婚式を挙げた直後に別居は外聞が悪いからな」
「あああー」
レオニスの言葉にエナが納得して頷く。
「じゃあ私も一緒に伯爵領に行きます。あ……ウィスタリア男爵邸にいる使用人の皆さんは残る感じです?」
「君が残らないのなら、邸を管理する数名を残して他はベルトゥリー伯爵領へ来てもらう予定だ。君も慣れた使用人に世話をされる方がいいだろう」
「あざます」
レオニスの言葉にエナがホッと胸を撫で下ろす。
その様子があからさまで、彼女はよほどここの使用人と良い関係を築いているだろうことが窺えた。
「では切符の手配をしておく。式の翌日、ベルトゥリー伯爵領に向かうので、そのつもりでいるように」
「はぁい」
と、会話を交わしたのが結婚式のひと月ほど前。
結婚式後、たくさんの招待客との挨拶回りで疲れていたエナは泥に沈むように眠った。
その疲労の色に翌日、起きてベルトゥリー伯爵領まで移動できるのかと不安があったが、
「うぉおおおおおおっ!」
その心配は杞憂だったようだ。
エナは子供のように目の前の鉄の山とも呼べそうな大きな機体を前に淑女らしかぬ歓声を上げている。
「機関車! すごい! 初めて見た! あああ、カメラ! カメラほしい! 写真撮りたい!」
「……記念絵葉書だったら、駅舎の売店で売りに出ているぞ」
指先でしきりに四角を描くエナにレオニスがため息まじりに告げると、彼女は「行ってきます!」と走っていった。
追いかける世話役の侍女が「奥様、お待ちください!」と嗜める様子も見送り、レオニスはエナが見上げて歓声を上げていた巨躯を見上げた。
この蒸気機関車を初めて見るものはエナのようにはしゃいだ歓声を上げるか、あまりの大きさにぽかんと間抜けに口を開けて見上げるという。
大抵のものを感嘆とさせるこの最先端の技術が詰め込まれた移送機関には、レオニスとて見上げると少々込み上げるものがある。
ーーそれはエナやその他大勢が抱くような感傷とは少々質が違うものではあったが。
「ーーレオニス様」
やがてエナが戻ってきた。
記念絵葉書は無事に買えたのだろう。蒸気機関車が描かれたそれを両手で抱きしめた彼女は、なぜか動揺の滲む顔色でレオニスの下へと帰ってきた。
彼女の顔色に怪訝に眉をひそめれば、彼女は視線をうろうろとさまよわせた後にこう問いかける。
「あの……駅舎の前に記念碑が立ってたんですけど」
「ああ、あれか」
あれを見たのか、とレオニスはエナの動揺に察しがついた。
駅舎の前の記念碑にはこの蒸気機関車の設立に貢献した人間の名前が記載されている。
蒸気機関車の設立プロジェクトを主導したエルンスト王弟殿下。以下、技術者の名前。そして、
「君に前に話しただろう。俺が投資詐欺をしかけ、それを養父に現実にするように迫られたことを」
エナの驚愕に、レオニスは珍しく愉快な気持ちになりながらそう口にする。
「これがそうだ。王国の端から端まで馬車で二週間かかっていた旅程を三日に短縮する夢の移送機関。この機関の完成によって、俺はウィスタリア男爵を賜った」




