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エナの緊張とは裏腹に結婚式は滞りなく終わった。
控え室から一歩外に出れば肝が座ったのか、彼女は楚々とした立ち振る舞いでレオニスのそばに寄り添い、進行に一切の惑いも見せずに乗り切った。
否、誓いのキス(寸止め)だけは肩に手を置いた瞬間に体を竦ませていたが、招待客にはそうとわからなかっただろう。
彼女が倒れることなく結婚式を終えられたことにひとまずはホッとする。
あとは披露宴だけだ。
とはいえ、エナの様子を見るにこの調子ならばトラブルさえなければ恙なく終われるはずだろう。
「ご機嫌よう、エナ・ベルトゥリー伯爵」
披露宴のスピーチも無事に終わり、エナを連れて挨拶回りをしていた時だ。
ひとりの男がそう声をかけてきた。
紳士の礼を取るその男は癖のある焦茶の髪に黒縁の分厚いメガネをかけた冴えないインテリ風の男。
けれどもメガネの奥の翡翠のように美しく凛とした煌めきのある瞳は見る人が見ればすぐに王家の色だとわかるだろう。
エナも気がついたらしい。レオニスの腕にかかる手が一瞬強張るように力が込められた。
「チェリーウェル伯爵、この度は遠路遥々ようこそお越しになりました。お初お目にかかります、エナ・ベルトゥリーと申します」
「こちらこそ初めまして、エルンスト・チェリーウェルと申します。ご結婚、おめでとうございます。ウィスタリア卿からお話は伺っておりましたが……これほどの麗しい方を妻に迎えるだなんて彼は果報者だ」
カーテシーで応じるエナにエルンストは彼女の手を取って唇を落とす。
「お久しぶりです、チェリーウェル伯爵。一年ぶりほどでしょうか」
エナが怯んで半歩退いたのを隠すようにレオニスが前に出る。
「その節は大変お世話になりました。この度は私のようなもののために招待に応じていただき、ありがたく存じます」
「はは、相変わらず固いなあ、レオニス。俺とお前の仲じゃないか。本当、結婚おめでとう。いやあ、お前はうちの義弟になるかと思っていたのに残念だ」
「お戯れを。平民上がりの一代男爵ごときが畏れ多いことでございます」
レオニスの肩を叩いて笑うエルンストにレオニスはさらりと答える。
「まあ、冗談は置いといてだな。すまんな、うちの義妹が何か面倒をかけたろう。お前の結婚のこと、隠していんだがどこかから嗅ぎつけたようでな」
「いえ、未然に防げましたので大した被害では。今のところ式の方も恙なく進んでおります。これもチェリーウェル伯爵が心を砕いていただいたおかげでしょう」
「構わんさ、うちの身内のことだからな。あれもなぁ……こうなった以上諦めてとっとと嫁に行ってくれるんだったらいいんだがなぁ」
と、深々とため息をつくエルンストにレオニスもつられてため息をつきたくなる。
そんな二人をエナがぱちくりと目を瞬かせて見つめる。
「ああ、申し訳ない、ベルトゥリー伯爵。貴女が心配するようなことは何もないんだ。ただうちの義妹がウィスタリア卿のことをいたく気に入っていた、という話で。ウィスタリア卿の眼中にはまるでなかったようだから安心してほしい」
「は、はぁ……はい……」
エルンストの言葉にエナは曖昧に頷く。
「それよりもウィスタリア卿は貴女のことをいたく気に入ってると思いますよ。玄関ホールを拝見しましたが、あれはベルトゥリー伯爵の提案ですね?」
「チェリーウェル伯爵」
「何だ、照れるなよ。あんなに可愛らしく華やぐ出迎えがあるとは思わなかったんだ。ご婦人方もあの愛らしさを褒めちぎっていたよ。将来できる子供へのプレゼントにもなる素敵な記念品だと」
「こ……」
嗜めるように名を呼ぶレオニスに構わず笑うエルンストの言葉にエナが絶句するが、それはすぐさまに飲み込んで愛想笑いを貫く。
「提案が素晴らしいのはもちろんだが、それを実際の形にしたのはそれなりにベルトゥリー伯爵のことを気に入ってのことだろう? 女性関係に一切心を動かさなかったお前が気にいる女性を見つけるなんてなあ」
「……そうですね。彼女のことは私にとっても代え難い伴侶だとは思っております」
レオニスの腕に添えられたエナの手に一瞬力がこもる。
それでも愛想笑いは継続しているのでなんとか動揺は飲み込んでいるらしい。
結婚式の話をする時もそうだったが、彼女のこういうことに関する動揺は一体何だというのか。
彼女の感情の機微はレオニスには理解し難くて、ただ表に出さないように内心でため息をついた。




