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(腹立つ……何よ、なんなのよ、あの女)
キャシーはムカムカと腹の底から憤るのを感じながら歩く。
憧れの若き商会長が結婚したと聞いた時は寝耳に水だった。
彼は今までそういう素振りを見せたこともなかった。
どんな女性にも靡かず、仕事に邁進する沈着冷静なやり手の実業家。
冷酷とも言えるほどの合理主義は今までも数多の利益をもたらして商会を潤わせてきた。
そんな彼に見初められて溺愛されることを夢見た乙女はどれほど多かったか。
無論、キャシーもそのひとりである。
けれどもそんなレオニスが結婚してしまった。
相手は伯爵家の貴族令嬢だという。
レオニスのことだ。おそらくは政略結婚なのだろう。
相手が貴族ならしょうがないわよね、と商会の誰もが納得した。キャシーもレオニスの結婚は寂しかったけれども納得はしたのだ。
とはいえレオニスが愛する女の座はまだ空席。
いつか見初められて貴族の奥様なんぞを追い出して結ばれる未来くらいは夢想したとて許されるだろう。
そう思っていたのに。
(貴族令嬢ってもっとキラキラゴテゴテしてて然るべきでしょ! あんなのが貴族って何の冗談よ!)
レオニスの結婚相手。奥様ことエナが初めて商会に訪れた時の衝撃をキャシーは忘れられない。
世間知らずで苦労知らずのキラキラした貴族令嬢を想像していたのに、エナはまるで違った。
良くいえば素朴。まるで子供のような小さく貧相な体。顔立ちはたくさんの人が集まれば間違いなく埋没する目を引くことのない地味な薄顔。
仕草は気品も教養もない、平民のような振る舞い。
身にまとう服だって仕立ては上質だったがせいぜい商家のいいところのお嬢さん程度の代物で、あれで貴族令嬢とは笑わせる。
あれならまだ自分の方がマシだ。いや、あんなちんちくりんより自分の方が圧倒的にレオニスにふさわしい。
レオニスに恥をかかせないように商会の顔として常日頃から外見には気を遣っており、仕事だって手を抜いたことはない。
もしレオニスの妻になれたのならその振る舞いだって気を遣って彼の隣に立って恥ずかしくないものを心がける。
だというのに。だというのに、あの女は!
身分はあるのだろうが、貴族令嬢として落第点しかない女がレオニスの妻だなんて!
ムカムカしながらキャシーは商会の廊下を歩き、商会長室の扉の前に辿り着く。
辺りを見回し、念のために商会長室の扉をノックする。
返事はない。
レオニスがすでに結婚式場に慌ただしく出かけるのは確認している。
中には誰もいないだろう。
そう確信して、キャシーは商会長室の扉を開いた。
商会長室はしん、と静まり返って誰ひとりの姿もなかった。
キャシーは素早く商会長室に体を滑り込ませ、目当てのものを探す。
それは商会長室の大きな執務机の上に無造作に置かれていた。
マダム・クリスティンのドレスの入った大きな箱。
それを見て、キャシーは本当に届いた、と思った。
それはさる協力者の手引きによってキャシーのいる商会本部に届けられたものだった。
あの身分だけの生意気な女が商会を訪れてからしばらく後のことだ。
荒れる内心のままに酒場でひとりで飲んでいるとひとりの男が話しかけて来たのだ。
彼はキャシーが荒れる原因を優しく問いかけ、そうして洗いざらいに気に入らない女のことを吐いたキャシーにいたく同情した。
そうして彼はベルトゥリー伯爵家がとんでもない家なのだと教えてくれた。
身分が上の人間には媚びへつらうのに下の人間は人間扱いしない。
自分たちの欲望ばかりを優先して社交場を漁り、貴族の責務も果たそうとしない碌でもない人間ばかりが集まる血筋。
聞けば聞くほどとんでもない家で、彼はレオニスは騙されてとんでもない女を娶らされたのだろうと言った。
貴族としてのコネクションをチラつかせ、地位を盾にし、レオニスから金をむしり取るために結婚を迫ったのだろう、と。
それを聞いてキャシーはますます憤った。
そんな女からレオニスを解放してやらなくては! と。
けれどもどうすればレオニスを救い出せるのか、平民のキャシーにはまるで見当がつかない。
するとその男はキャシーにこう囁いたのだ。
レオニスとあの女を離婚させられるように自分の方から圧力をかけると。
彼はどうやらさる高位の貴族の家に仕える男らしく、彼の仕える主はベルトゥリー伯爵家の非常識な振る舞いにひどく立腹しているのだと。
だからレオニスの評判に傷がつかないよう二人を離婚させるために働きかけるつもりでいることを教えてくれた。
そして彼はこうも続けた。
キャシーには結婚式を延期させるための妨害をしてほしい、と。
今はまだ広く知られていない二人の結婚のことだが、結婚式というお披露目をしてしまうと貴族たちに広く知れ渡ることになる。それは完璧無比のレオニスの汚点となる結婚歴を社交の場に広く知られるということだ。
そんなことを許せるはずがない。
キャシーは義憤に燃え、彼の提案に乗り、指示されるがままに結婚式の妨害へと乗り出したのだ。




