21
レスターはようやくレオニスから届いた知らせが来てから、この日が来るまで煩悶と過ごしていた。
マリオンのスケジュール調節が叶い、レオニスが彼と会える日程を組んでくれた。
ようやく恋敵と思しき相手と直接問答できるチャンスが訪れる。
彼に何をどう聞くべきかを考え、それからマリーナの恋する横顔を思い返してははらわたを煮えたぎらせ、自分では駄目なのかと落ち込む日々。
それが今日で終わるとは思わない。むしろもっと深く思い悩むことになるやもしれない。
けれどもレスターには行かないという選択肢はなかった。
「ようこそ、おいでになりました。レスター様」
レオニスが指定した屋敷は小規模ではあるが貴族の邸宅に間違いなかった。
マリオンという作家が貴族なのだという話は聞いたことがないので、おそらくはレオニスの持ち家なのだろうと予想する。
「レオニスさん、この度は取り次ぎをいただきありがとうございます。それで……マリオンはどこでしょうか?」
出迎えてくれたレオニスの姿にレスターはそう問いかける。
レスターの言葉にレオニスは「どうぞこちらに」と丁寧にレスターを案内する。
「レスター様、マリオンのことなのですが」
案内の途中、レオニスがふとそう口を開く。
その声にハッとレスターがレオニスを見れば、彼は感情の読めない顔つきでレスターを振り返ってこう告げる。
「彼は対面してすぐに少々の奇行をすると思うのですが、それを許し、黙って見守っていただきたいのです」
「それは……どうして?」
「それはお会いになればわかります」
レオニスの言葉を問い返せば、彼はそう告げて応接間の扉を開いた。
案内された応接間のソファにはひとりの男性が座っている。
彼はレスターが入ってきたのを確認するとサッとソファから立ち上がって深々と一礼した。
彼は燃えるように赤い髪をした青年だった。
目鼻立ちはくっきりとしていて目を引く、凛々しい顔立ち。
彼が立った瞬間にコツ、と鳴った靴音から彼が高いヒールを履いているのを確認して、彼が思ったよりは小柄な背丈な男なのだと知った。
彼の姿はどこかで見たような気がして、必死に記憶をさらうがどこで見たのかまでは思い返せなかった。
「お前が……マリオン」
「はい。私がマンガ作家マリオンこと、ぬるぬるアオミドロ略してぬるアオです」
彼が発した声は想像よりも高く、女性的だった。
そのことを怪訝に思って眉をひそめるが、彼は構わずにこう続ける。
「……もとい、つい最近レオニス・ウィスタリア男爵を婿に迎え、ベルトゥリー伯爵を継ぎました」
「……ん?」
マリオンが続けた言葉に呆気に取られる間に、いつの間に現れたのか。侍女がマリオンの前に水をたたえた洗面器を置く。
と、彼は燃えるように赤い真っ赤な髪を帽子のように脱ぎ払い、その洗面器の水で顔を洗い始めた。
何が起こっているのかわからずに戸惑っている間に、彼は顔を洗い終えて顔を上げる。
そこにあったのは、
「………えっ?」
「エナ・ベルトゥリーと申します。最近、マリーナ・リトルパイン伯爵令嬢とは懇意にさせていただく仲になりました。不束者ですが、どうぞよしなに」
先ほどの顔とは似ても似つかぬあっさりとした薄い地味顔。
亜麻色の髪に栗色の瞳の、どこにでもいるような平凡な女性の姿に化けたマリオンに、レスターはあんぐりと口を開けたまま何も言えなかった。
・ ・ ・ ・ ・
「ーー……そういうわけで、マリオンもとい妻のエナから事情を聞いたのですが」
唖然と固まったレスターはレオニスにソファを勧められるがまま座り、ぽかんとしたままレオニスの声を聞く。
視線は彼の隣にいるエナから離せない。
先ほどの目鼻立ちがくっきりしていた顔とはまるで別人で、狐につままれているような気分だ。
「マリオンもジャックも、この間リトルパイン伯爵邸で催された茶会の余興でマンガのキャラクターに男装した妻や主催者のひとりだということがわかりました」
レオニスがそう告げて一冊のマンガをレスターに差し出す。
そのマンガは見たことがある。マリーナが好んで読んでいたものだ。
マンガの表紙に描かれたキャラクターに、先ほどのエナの扮していた男の姿が重なる。
見覚えがあったのはそういうことだったのか、と納得した。
「リトルパイン伯爵令嬢の様子もおそらくは舞台役者に熱を上げるような憧憬の感情であって、レスター様の懸念されるようなことはないのではないかと思われます」
「ジャックの方もどこの誰かわかったんですか?」
レオニスの言葉にレスターが問えば、エナがほんの少し視線を下げて微妙な表情を浮かべた。
レオニスの方は表情を一切変えなかったが、エナの視線を落とした様子を見咎めてレスターは眉間にしわを寄せる。
「マリオンの方はわかりました。それではジャックとは一体誰のことだったんですか?」
「……それは……その、大変申し上げにくいのですが」
レスターの問いにそう答えたのはエナの方だった。
彼女はまるで懺悔をするようにこう告げる。
「………ジャックとは、ジャクリーン夫人のコスネーム……芸名のようなものでして。つまり、ジャクリーン・アクアヴァリー侯爵夫人が、ジャックです」
「…… ……………え?」
エナが沈痛な面持ちで告げた事実に、レスターは呆気に取られて固まる。
罪悪感でお腹が痛いと言わんばかりに顔を歪めるエナに代わり、レオニスが苦笑を浮かべて説明を引き取る。
「まあ……そういうことで。この事はお母上に確認をしていただいた方がよいかもしれませんね」
「は……母が? ジャック……? えっ……?」
「ジャックさんは大変素晴らしいお方でした。具体的にはあの茶会の参加者全員抱い」
「お母上の男装は大層麗しく、茶会の参加者すべてを魅了されたそうですよ」
誤解されそうな言い回しをしかけたエナの脇腹にレオニスが肘を突き入れ、強制的に黙らせる。
それからレオニスがテーブルに出したポートレートを、レスターは食い入るように見つめた。
ポートレートに写るひとりの美丈夫は麗しく優雅な母と似ても似つかない。
え、これ、本当に母なのか? と頭に疑問符をたくさんつけたレスターに、苦笑したままのレオニスがこう告げた。
「……ともかく、レスター様が懸念されるような男の陰、というものはリトルパイン伯爵令嬢にはないかと存じます。その点はご安心して良いかと」
「そ、そう、か……」
手にしたポートレートを見つめたまま、レスターはとりあえず頷く。
ちょっと理解しがたいことが一気に頭に詰め込まれたような感覚で、どうにもまだ事態が飲み込めない。
だが。
レスターは顔を上げ、目の前のソファに座る一組の夫婦の顔を見る。
かたや申し訳ないと言わんばかりの顔で体を縮こめている妻。
かたや眉尻を下げて苦笑を浮かべたままの夫。
勢いだけで行動して、この二人に迷惑をかけたことだけはわかっていて、レスターは深々と頭を下げた。
「僕の誤解からご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありませんでした、ベルトゥリー伯爵。レオニスさん」
「いいえ、誤解が解けたようで何よりです」
レオニスはそう穏やかに言ってくれるが、レスターは深いため息が漏れる。
自分はいつもこうだ。
マリーナのことになるといつも余裕がなくなってしまう。
「……マリーナに知られたら、今度こそ愛想を尽かされてしまうかな……」




