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マリーナは説明を続ける。
エナとアクアヴァリー小侯爵は互いに夫と婚約者がいる身とよくわかっていたものの、ひそやかに燃え上がる恋を押さえ込むことはできずに想い合う視線を交わし、迂遠な言葉を重ねて慕情を募らせた。
それを察していたマリーナ・リトルパイン伯爵令嬢はエナに辛く当たるのだ。
けれどもそれは結局エナとアクアヴァリー小侯爵の恋を余計に燃え上がらせるだけにしかならなかった。
そうしてマリーナ・リトルパイン伯爵令嬢はついに思い余ってエナを穢し、殺害を目論む。
だがそれはアクアヴァリー小侯爵の手によって阻止される。彼女はベルトゥリー女伯爵の殺害未遂の罪で婚約破棄となり、修道院に押し込められることになるのだ。
「お、おう……そ、それで?」
「残念ながらわたくしが読んだのはそこまででして……トラックに撥ねられてしまいましたので」
「おうふ……」
続きを促せば、マリーナは申し訳なさそうに視線を下げた。
「それで……その……わたくしが確かめたかったのは、ぬるアオ様が物語のエナと同じくひどい環境にいるのではないかということと、レスター様……アクアヴァリー小侯爵様をどう思っているか、です」
視線を下げたマリーナはますます視線を下げて表情が見えなくなるほどに顔を俯かせる。
「……実はわたくし、転生者として目覚めたのが幼い頃でして。それから初めは破滅の道を避けるために色々と画策していたのです。アクアヴァリー侯爵家と結びつかないようにお見合いの席で嫌がって癇癪を起こしたり、他の人と縁づくように他の婚約候補を探してみたり。それでも結局政略上、アクアヴァリー侯爵家と結びつく必要性があり、私はアクアヴァリー小侯爵に嫁ぐことが決定しました」
それでも彼女はなおも奮闘したらしい。
向こうから愛想を尽かされるようにツンとしたり、無理難題をふっかけたり。
いっそ家出をしてしまおうかと考えて計画したこともあるらしい。
けれど、
「……アクアヴァリー小侯爵はそんなわたくしに根気強く向き合ってくださいました。無理難題の我儘を言い、可愛げもなく素っ気なくするわたくしの元へ何度も通い、わたくしに誠実に向き合ってくださいました。彼のそんな姿勢に触れるうち……彼を、好きになってしまって……」
モジモジと恥ずかしそうに告白するマリーナの顔は真っ赤になっていた。
可憐で愛らしい美少女の恥じらう姿の破壊力は抜群だ。
これで誰が陥落しないと言うのだろう。エナも当然もれなく心臓に矢どころか鉛玉級の一撃を喰らって轟沈した。
のだが、
「だって! 天使のように愛らしい美少年が一生懸命仲良くなろうと歩み寄ってくださるんですよ! それで落ちない女がいますか、いやいるはずがない! あんなの母性くすぐられる! ああっ……わたくし、ショタコンじゃなかったはずなのにレスター様に性癖めちゃくちゃにされた、一生推す。幸せにするっきゃない。絶対幸せにする」
「おっとぉ」
雲行きが急に変わった。
そのことを察したエナの小さな呻きに気がついたマリーナが拳を握って熱弁を振るう。
「だってわたくしたち出会ったの八歳の時ですよ。そしてわたくし、前世ではアラサー喪女でしたのよ。小さな子にガチで惚れたらそれって犯罪ではありません?」
「それは………そう、なるのか、な?」
何故か胸を張るマリーナにエナは曖昧に頷いて紅茶を一口した。
マリーナは構わず満面の笑顔で続ける。
「と、いうわけで今のわたくしはレスター様の幸せのためにこの命を燃やし尽くす所存なのです。なので、もしレスター様とエナ様が惹かれ合うようだったのなら私の使える全てを使ってお二人の恋を後押しするつもりでした。指差されるような日陰の恋なんかに絶対させない!」
そう締めくくるマリーナにエナは返答に困って、黙したまま紅茶をすすった。
いや、紅茶のカップはすでに空だったのですすった振りだが。
マリーナはエナのカップの中身が空だと気がついたのか、ハッとした後に恥ずかしそうにティーポットを手に取ってエナのカップに紅茶をそそいでくれる。
「ま、まあ……そういうわけで、もしエナ様とレスター様が惹かれ合うというのなら身を引くつもりだったのです。そうでなくともエナ様が冷遇されていたのならば、お節介ですがなんとか手を回して救い出そうと」
「それは……あの、ありがとうございます」
「それで、いかがでしょう? ウィスタリア男爵はエナ様に冷たく当たられていませんか?」
「んん………正直、すごく良くしてもらっておりますね」
「すごく良くしてもらっている」
エナの言葉をマリーナがオウム返しに呟く。
「三食昼寝付きで、ニートやらせてもらってて。好きなこともそれなりに自由にやらせてもらってて、こんなにしてもらってていいのかってぐらい」
「本当ですか? 妻に迎えたはずなのに仕事だ愛人だなんだで放置されておりませんか? 小説でのウィスタリア男爵は、仲良くなろうとしてエナが作った食事に一切手をつけずに“俺は使用人を雇ったわけじゃない”と言って食事を下げさせたりしていたのですが」
そう言われてエナは顎に手を当てて考え込む。
彼と婚約を結んでからというもの、生活環境がすこぶる改善された。
食事は毎日三食出るし、なんならアフタヌーンティーというおやつも出る。
理不尽に怒鳴られたりしないし、使用人がきちんと世話もしてくれる。
好きなことも体調に響かせないのが約束ではあるが、それでも好きなだけやらせてくれる。むしろ向こうが体調管理してくれるから何も考えずに好きなことに邁進できる。
お金だって毎月恐縮するほどに出してくれるから困ったこともなく、エナが外に出て恥ずかしくないように教育係も手配してくれた。
手厚い。とにかく手厚い。
噂で冷酷成金男爵だとか聞いていたが、どこに冷酷要素があるのか甚だ疑問である。
「なる、ほど……さすがはぬるアオ様。ウィスタリア男爵を籠絡して溺愛ルートに入られてると、そういうことでしょうか?」
「え、いや、溺愛かというとそうでもなくて……ええと、私たちの関係をなんて言ったらいいかな……感覚、雇用主? うーん、ちょっと違う。出資者か」
「出資者」
「やることやるなら後は好きにしとけって感じ? 放置はされてる。レオニス様、毎日忙しそうだもん」
一応、エナもウィスタリア男爵邸に置いてもらって、同居している形にはなる。
だが結婚した最初こそ弱りきったエナの様子を何度か見に来てはいたものの、健康に近づいた最近ではほとんどなく、今では顔を合わせる機会なんてレオニスがエナに用事がある時くらいなものだ。
寝室だってもちろん別。一夜も共にしたことがない。
「そもそもレオニス様、私を好きで娶ったとかじゃなくて伯爵の地位が欲しかったみたいなことも最初に言ってたしね。だから私たちの関係って全然そういう甘酸っぱいものではなくて、本当契約で繋がってるって感じ」
「それは……その……」
エナの言葉にマリーナが気遣うように言い淀んだ。
エナはマリーナの心配を吹き飛ばすかのようにからりと笑う。
「いいの、大丈夫。その方がむしろ気楽だし。だって私、レオニス様と初めて顔を合わせたのはつい最近よ? そんな状態で夫婦生活迫られる方がキツいっていうか……ねえ?」
「エナ様がそうおっしゃられるなら……」
エナの言葉にマリーナはそう告げる。
「でももし、何か耐えられなくなったらわたくしにおっしゃってくださいませ。あなたはわたくしの推し作家なんですもの。いつでも力になりたいと存じます」
「ありがとござます。その気持ちが何より励みになります」
今さら取ってつけたような敬語で頭を下げれば、マリーナがクスクスと笑い、エナもまたつられて笑った。




