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「ーー疲れてはいないか」


 挨拶回りを終えて人気のないバルコニーでひと息をつくエナに果実水の入ったシャンパングラスを差し出せば、彼女はキョトンと目を丸くした後、別人のように美しく化粧をした顔に見合わないニヘラッとした締まりのない笑顔を浮かべた。


「ありがとうございます、ちょうど喉乾いてたんですよねえ〜」


 相変わらず口を開くと貴族婦人らしかぬ残念さが滲み出る。

 だがそれが彼女らしくて、少しだけホッとするような呆れるような可笑しな気持ちにさせられる。


「今日は思った以上の成果が出た。君の力に依るところも大きい」


 果実水を飲む彼女へ、おもむろにそう語りかければ彼女はングッと咽せる。


「そんなまたまた。商談がいくつも取り付けられたのはレオニス様の話術が巧みだからでしょ」

「それは当然、商人だからな。だがそれでも君の刺繍が見事で、それを美しく着こなした姿を見たからスムーズに取りまとめられたんだ。そも君の描いた“人魚姫物語”が高位貴族に浸透していたからこそ、誰もが羨むドレスとなった」

「いやぁ、そんな」


 デヘヘ、と彼女が照れ笑いで頰を掻く。

 彼女らしい締まりのない顔を見据えて、レオニスはこう口を開く。


「利益を出した君には何かしらの報酬を与えようと思っている。何がいい?」

「報酬……!? 報酬って……今でも貰いすぎてるくらいなのに……!?」

「今の待遇は女伯爵として君が本来受け取るべきものだ。今すぐ慣れろとは言わないが、君は自分の価値を正しく認識しろ」


 驚いて目を剥くエナにレオニスはそう告げる。

 するとエナは途端に恥じらうように視線を落としてもじもじと体を揺すった。


「……褒められ慣れてないからあんまり褒められると困りますわ。そろそろ落としてくださってええんですぜ」


 姿形が美少女になった分、恥じらう姿が様になるのに、言葉遣いで全部台無しにしていく様はある意味ではさすがとしか言いようがない。

 そもそもレオニスは褒めたつもりはない。


 やれやれとレオニスがため息をついた時、ふと物陰に気配を感じてレオニスはそちらに視線を向けた。


「誰だ」

「えっ?」


 レオニスの声にエナがハッとした顔をして慌ててレオニスの陰へと隠れるように寄り添う。

 と、同時にバルコニーの暗がりからそっと姿を現したのは蜂蜜色の髪を揺らす小柄で可憐な美しい令嬢ーーリトルパイン伯爵令嬢だった。


「……申し訳ありません。歓談に水を差してしまって」

「リトルパイン伯爵令嬢」


 鈴を転がすような可憐な声音を響かせて現れたリトルパイン伯爵令嬢にレオニスはすぐさま他所行きの笑顔を浮かべる。


「いえ、こちらこそ失礼いたしました。あなたも夜の空気を吸いに?」

「ええ……まあ」


 リトルパイン伯爵令嬢が曖昧に微笑み、エナへと視線を向ける。

 視線を向けられたエナは笑顔を返しながら、ぎこちなくそっとレオニスの腕に触れた。


 エナも気づいたようだが、リトルパイン伯爵令嬢の目的はどうやらエナらしい。

 リトルパイン伯爵令嬢は何度かエナとレオニスの顔を交互に見て、ためらいがちにこう切り出した。


「…………ところでウィスタリア男爵は会場に戻られなくて大丈夫でしょうか? まだ声をかけていらっしゃらない方がいるのでは?」

「……ご心配ありがとうございます。ただ今は妻の体調が優れないようで、今しばらく付き添っていようと思っております」


 かなり露骨にレオニスを追い払おうとする言動に、レオニスは丁寧な態度は崩さないまま内心で警戒を高める。

 エナもリトルパイン伯爵令嬢の不可解さに警戒したのか、どこにも行くなとばかりにレオニスの袖をきゅうと握りしめる。


「まあ、そうでしたか。大丈夫ですか? もしよろしければ休憩室を案内させていただきますが」

「ご配慮、ありがとうございます。ですがどうぞお構いなく。妻もここで休んで、回復してきているようですので」


 レオニスが答えれば、彼女はまたエナへと視線を向ける。

 レオニスを介さずエナの意思を問うような視線にエナは愛想の良い笑顔を浮かべたまま軽く頷いた。


「そうですか……ご無理だけはなさらないよう。具合が悪ければ遠慮せずにいつでも声をかけてくださいね」


 エナの様子にリトルパイン伯爵令嬢はこれ以上踏み込むのを諦めたのか、それだけ言って引き下がった。


 軽く会釈をして去っていく彼女が見えなくなるまで見据える。

 やがてまた閑とした人気のないバルコニーに戻った時、ふと隣のエナが大きく息をつくのが聞こえた。


「何、あれ。何だったん?」


 戸惑いをそのままこぼすエナに小さなため息をつく。


「さてな。社交界に初めて登場した女伯爵が物珍しかったのか、一世を風靡している作家マリオンへの繋ぎが欲しかったのか……」

「ああー……」


 レオニスが予想を口にすれば、エナは納得したように頷いた。


「なるほど……でも私に興味を持っても何も面白いことはないんだけどなあ」


 ぽりぽりと頬をかきながら言ったエナの言葉に、レオニスは「どの面を下げて言っている」とぼやいた。

 彼女とはまだ三ヶ月足らずほどしか共に過ごしていないが、貴族にしても庶民にしても型破りが過ぎる。


「……表に出すには未知数が過ぎて困るな」


 小さくため息をつけば、何ひとつわかってない顔でエナがきょとんと瞬いた。

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