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夜会の会場は侯爵家が主催とあって、それなりに大規模であった。
日が暮れて薄暗くなってきたというのに豪奢な燭台や煌びやかなシャンデリアで飾られた邸宅の中はまるで昼間のように明るい。数十人詰め込んでもなお余裕もある広いホールだというにも関わらずだ。
穏やかな音楽を奏でる音楽隊は本来ならコンサートホールで少なくないチケット代を支払って聴かねばならない名の知れたオーケストラ。
立食用のテーブルに並べられた料理も肉、魚、野菜と様々な種類が並べられている。色とりどりに並んだ果物もどれも新鮮だ。
プチケーキの種類も豊富で、まるで一軒の専門店に来たかと錯覚させるくらいに並んでいる。
シェフがローストビーフを切り分けているのを見た時に隣のエナがひそかに唾を飲み込んだのは聞かなかったことにした。
会場にはすでにそれなりの人が集まっていた。
レオニスはそっと顔触れを確認したが、侯爵家主催の夜会とあって上位貴族が多い。
領を渡って手広く商売をしてきたが、貴族名鑑で顔は知っていても知り合いはほとんどいない。
ここはレオニスにとっても雲の上なのだ。
そしてその雲の上の人物たちは今、新しく踏み込んできた新参者を見定めている。
突き刺さる視線の大半は好奇。新参者がどんなものかと興味津々に見せ物にしているのだ。
そしてちらほらと上位貴族の場に土足で踏み込んできた下賤の血に対する侮蔑が混ざる。
エナに対しても彼女の家族が踏み荒らした今までの評判のためかベルトゥリー伯爵に対する忌避と嫌悪が見え隠れし、同時に世間知らずの美しい小娘を如何にしてやろうかと下卑た侮りの視線もあった。
「ウィスタリア男爵」
「リバーフィルド子爵」
招待を掛け合ってくれた子爵が探すまでもなく、こちらの姿を見つけて呼びかけてくれる。
レオニスは彼の姿に他所行きの笑みを浮かべ、握手を交わす。
「本日は縁を繋いでくださってありがとうございます」
「いやいや、アクアヴァレー侯爵が招待しようと決めたのは君の仕事の成果だよ。この前隣国から取り寄せてくれた絹織物を侯爵夫人がいたく気に入ってくれてね」
「それは何より。奔走した甲斐がありました」
レオニスはそうリバーフィルド子爵と挨拶を交わすと、リバーフィルド子爵がエナに視線を向けたので彼女を紹介するために指し示す。
「リバーフィルド子爵、こちらは私の伴侶となりましたエナ・ベルトゥリー伯爵です」
「ベルトゥリー伯爵家を継ぎましたエナと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「おや、これが噂の。なかなかの美人じゃないか。今まで病弱で表に出てこれなかったと聞いているけれど、体調の方は大丈夫かな?」
「腕の良い医師を手配し、短時間であるならこの通り出歩けるようにはなりまして。ただ妻はまだあまり体力があるわけではありませんので、本日は妻の体調を見ながらご迷惑をかけない程度に夜会の雰囲気を楽しみたいと思っております」
リバーフィルド子爵の問いをレオニスが引き取り、おっとりとした愛想の良い笑顔を浮かべるエナの肩を寄り添うように抱いた。
肩に触れた瞬間にエナが一瞬竦むように微かに跳ねたが、表情は崩さなかった。
「なるほど。では奥方が体調を悪くする前にアクアヴァレー侯爵に挨拶に行こうか。侯爵夫人も首を長くして待っているだろうしね」
そう言ってリバーフィルド子爵が茶目っけたっぷりにウインクをした。
そうして二人はリバーフィルド子爵に連れられて会場の奥へと向かう。
そこには五十代ほどの夫婦とその子だろう若夫婦が列をなす人々に挨拶を交わしていた。
厳しい顔つきで表情を動かさず、威厳のある面持ちの年嵩の男性がアクアヴァレー侯爵。
その隣で対照的に明るく客人に対応し、上品な笑い声を上げているのがアクアヴァレー侯爵夫人。
アクアヴァレー侯爵に目元がよく似た、けれども笑い方はアクアヴァレー侯爵夫人に似た端正な顔立ちの若者がアクアヴァレー小侯爵で、端正な顔の隣に立っても見劣りせずに麗しい花として凛と立っているのがアクアヴァレー小侯爵の婚約者であるリトルパイン伯爵令嬢だ。
隣を歩くエナが小さく「はわわ…」と感嘆のため息を漏らしたのが聴こえた。
無理もない。アクアヴァレー小侯爵とリトルパイン伯爵令嬢は誰もが見惚れる麗しい美男美女。
かたや月の光を編んだような白銀色の髪をした貴公子。す、と切れ長の瞳はサファイアのように澄んだ青色をしており、見るものを魅了する。
すらりとした長身は細く引き締まり、着るものを選ぶ金糸の編み込まれた麗しい白の礼服がよく似合っていた。
さながら御伽話の王子、といったところか。
かたや太陽のように煌めく豊かな金髪の令嬢。フサフサの長いまつ毛に囲われた紫の瞳は星空のようで見つめられると吸い込まれそうだ。肌は雪のような色白で陶磁器のように滑らか。
ほっそりとした華奢な体にレースとフリルで彩ったり可憐な桃色のドレスで飾った彼女はまさに姫君だ。
「……目の保養……」
思わず間抜けな声でぽつりと呟いたエナの脇腹をさり気なく肘で突いて黙らせる。
「まあ、よくいらしてくれました、リバーフィルド子爵。こちらは噂のウィスタリア男爵ね。ようこそいらっしゃいました」
挨拶の順番が回ってきて、アクアヴァレー侯爵夫人が目尻を下げて微笑んだ。
リバーフィルド子爵と共に紳士の礼を取れば、エナも倣うように淑女の礼をする。
「あなたはベルトゥリー伯爵かしら。あら、素敵な刺繍。これはもしかして“人魚姫物語”のヒロインがモチーフかしら? 私もあのお話が大好きなのよ。とても切なくて悲しいけれど、ヒロインのひたむきさが胸を打つのよねえ」
“人魚姫物語”はエナが義理弟マリオンの名前で出したマンガのひとつ。人魚の姫君と人間の王子のすれ違いを描いた、女性向けの切ない恋物語だ。
彼女は艶本ばかり描いているイメージが先行するが、元々はこういう恋愛ものや冒険活劇のようなマンガを描いて売れ出したのだ。
「さすがはアクアヴァレー侯爵夫人。流行り物をしっかり押さえていらっしゃる」
「ウフフ、義理の娘が教えてくださいましたのよ」
そうしてアクアヴァレー侯爵夫人がリトルパイン伯爵令嬢に微笑みかけ、リトルパイン伯爵令嬢もニッコリと笑みを返す。
「わたくし、マリオンさんがお描きになる恋愛もののマンガが大好きでして。確かベルトゥリー女伯爵様の義弟なのですよね? 今度、ぜひにお会いしたいわ」
「ありがとうございます、とても光栄なことです。ただ彼は執筆に専念しておりますので、彼と相談させていただきますね」
リトルパイン伯爵令嬢にも予定通りにレオニスが返事をする。
エナは変わらず黙ってニコニコと微笑むばかりだ。
「そうそう、ウィスタリア男爵、この前取り寄せていただいた絹織物のことなんだけれどーー」
それでも挨拶は和やかに進み、やがて挨拶の列の長さに使用人がアクアヴァレー侯爵夫人をせっついてこの場はお開きになった。
成果は上々だろうか。
アクアヴァレー侯爵夫人とは絹織物の話ができ、後日商談の予定を調節してもらえることになった。
その後もリバーフィルド子爵と共に他の貴族たちへと挨拶回りをした。
反応は様々であったが、会場入りした当初に投げかけられた視線と比べて概ね好意的だった。
おそらく夜会の主催者であるアクアヴァレー侯爵家のアクアヴァレー侯爵夫人がレオニスのことを好意的に受け入れたことが大きいのだろう。
彼女が褒め称えたエナのドレスのことも何度か問い合わせを受けた。
どこのブランドのものか。誰のデザインなのか。
無論、レオニスがこれと見込んだ仕立て屋の手腕も見事ではあるが、やはりエナのデザインした刺繍は“人魚姫物語”の知名度もあってか夫人や令嬢たちから羨まれ、彼女たちはレオニスが持つ仕立て屋の新たな顧客となった。
つくづくこの女は黄金を生む女なのだと思わされる。




