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「俺は君を愛することはない」


 レオニスがそう告げた時、目の前に座る婚約者となる女は目をパチパチと瞬かせた後に軽く首を傾げてこう言った。


「それはそれは……ありがとうございます?」

「待て。何故そこで礼を言う」


 あっけらかんと言ってのけた婚約者の言葉にレオニスは慌てて待ったをかけた。

 彼女は相変わらずきょとんとした間抜け面でレオニスを見つめている。


「あのな……俺は君を金で買った。ベルトゥリー伯爵家が持つコネクションを得るためだ」

「はい」

「ついでに君の義理の弟の才能の囲い込みも兼ねている。あれが生む作品は下劣で俗物的だが、素晴らしく金が成る。あの才覚を捨てるには惜しい」

「まあ……なんてこと。褒められたら困ってしまいます」


 彼女が赤らめた頬を両手で押さえて恥じらう。


 今、どこにその要素があったのか。


 胡乱に彼女を見つめかけ、だがレオニスは気を取り直してさらに言葉を続けた。


「つまり君はお飾りの妻だ。人前では妻として振る舞ってもらうが、閨を共にするつもりはないし家政にも触らせるつもりもない。衣食住の世話くらいはしてやるが、情だの愛だのを俺に求めないように」

「なるほど…………それって夢のニート生活をしていいってことですよね! やったー!」

「に……君は本当に何を言っている???」


 諸手を挙げて大喜びする婚約者の姿にレオニスは困惑を隠せなくなった。


 エナ・ベルトゥリー。

 ベルトゥリー伯爵家の嫡子。


 彼女の出自は調べた限りではかなりの悲惨なものだった。

 彼女の生みの親である前ベルトゥリー女伯爵の逝去後、入婿である彼女の父親がすぐさまに愛人を連れ込んで、後見人であるだけにも関わらず自らベルトゥリー伯爵を名乗って好き勝手し始めた。


 本来のベルトゥリー伯爵を継ぐべき彼女は屋根裏部屋の埃臭い狭苦しい部屋に押し込まれ、実の父親とその父親が迎えた愛人と半分だけ血のつながった義理弟に虐げられ、まるで囚人のような扱いを受けてきたらしい。


 そしてベルトゥリー伯爵家の遺産を食い潰した挙句に借金を重ねた実父によって、冷酷な成金男爵レオニス・ウィスタリアに支度金目当てに売り払われた。


 本来の貴族令嬢ならば屈辱に身を震わせてもおかしくない。

 あるいは自らの不幸を嘆き、悲しみに暮れるだろう。

 もしくは自暴自棄になって心を閉ざしていてもおかしくはない。


 だというのに、


「衣食住ってどのくらいのグレートですか? せめて庶民クラスだと嬉しいです。一日二食は食べられますか? あっ、身の回りのことは自分でできるんで使用人は大丈夫です! あ、ちょっと待って、契約書書いてください。言った言わないを避けたいんで。ハッ、契約書ならちょうどここに婚姻契約書があるじゃないですか! この中の条項に盛り込んでいいです? 衣食住の保証を書いていいですか!?」


 今、目の前の女は水を得た魚のように目をキラキラさせてペンを手にしてレオニスを見つめている。


 痩せさらばえて乾いた手足。

 髪は手入れもされずにボサボサで、平民のように短い。

 さらにはこけた頬に目の下にはデカい黒隈。


 だというのに底抜けに明るい笑顔を浮かべているのはもはや薄気味が悪い。


 なんなんだ、こいつは。


 レオニスはしかめた顔を取り繕えずに彼女を見つめれば、彼女はレオニスにペンを差し出して「さあ、さあ!」と迫っていた。


「私の衣食住を! 庶民クラスのグレードで! かつ閨を共にしない、女主人の義務もなし! レオニス様のやることなすこと、ついでに愛人関係も口出ししないって書いてもいいですから! さあ!」


 さては自分、とんでもない女を妻として引き取ろうとしているな?


 明るく婚姻契約書に条項を盛り込ませようとする女に、レオニスは早くも後悔し始めていた。

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