人間違い
「何なんですか、あれ」
翌朝私は早見さんに詰め寄る。気絶してそのまま眠りに陥りでもしたのか、目を覚ました私には、影を突き飛ばしたところまでの記憶しかなかった。とにかく寝不足による不機嫌はピークに達しており、不安や恐怖より怒りが勝っていた。
「全然寝られなかったんですけど」
「反応しないよう言ったでしょう?」
怒鳴りつけたいのを我慢している様子で、声を押し殺し言い放った早見さんは、私よりも怒っているようだった。一瞬怯みそうになり、負けじと私は言い返す。
「反応しないでいられるか、って話! やかましいし眩しいし暑いし、私、腕までつかまれたんですよ!」
早見さんはへえ、という顔をしたのち、さも嫌そうに私を見た。
「莉紗ちゃんにはそんな風に感じられたんだ」
「感じるも何も、わかんなかったんですか? 隣で寝てたのに。もろその通りのことが起きてたじゃないですか!」
同じ部屋で過ごしていたのに、気づかなかったというのか。
「そんなこと知らないわ。感じ方はそれぞれだから」
「なんで助けてくれなかったんですか!」
「何にも反応するなと言ったでしょう?」
早見さんは重ねて私を責めた。招かれざる、としても、私は客人だった。就寝には適さぬひどい環境におかれたのだ。申し訳なさそうにするどころか、突き放すかのような早見さんの態度に、身勝手ながらさらにイラつき、私は声を荒げて問いただした。
「無理です! ほんとにあれは一体何なんですか!」
「井手口まなみ」
早見さんが言う。初めて聞く冷たい声色だった。
「莉紗ちゃんとコンビを組んで、お笑い芸人になるのが夢だった」
息をのみ、早見さんを見つめる私の背中を一筋の寒気が走る。
「な、なんで……」
井手口まなみ、脳裏に浮かぶは小学校の同級生だった。コントが好きで、ネタを考えてはノートに書き、私に見せてくれた。放課後二人で練習しては、クラスメイトに披露した。
転校生のまなみと私はすぐに仲よくなった。小学五、六年生をずっと一緒に過ごしたが、彼女は中学入学と同時にまた遠方に引越してしまった。高校に上がる頃にはすっかり疎遠になった。成人式で久しぶりに同窓生と集まった際、不慮の事故で亡くなったということを私は知らされる。
「まな、みって……」
そんな昔話をした覚えはない。早見さんが知るはずのない名前だった。
「まなみのこと、知ってるんですか?」
早見さんは首を横に振る。
「じゃあなんで……」
早見さんは怒りを追いやるように思案顔になった後、少し憐れむような顔つきになった。私のおののき具合を気の毒に思ったのかもしれない。
「まなみは亡くなったんです」
早見さんは当然知っている、とでもいうかのように頷いた。
「私、取り憑かれてるの?」
「言い方を選ばなければそういうことね」
「う、恨まれるようなことは――」
「恨んでるわけじゃないわ。ただ」
早見さんは私を安心させるかのように、かぶせ気味に否定すると、私の背後にそっと視線をやる。
「思いが強いのよ。誰か気づいてくれ、って、ずっと背後から様子を窺っていた」
私が感じた彼女に対する違和感はあながち間違いというわけでもなかったようだ。早見さんは幽霊ではなかった。幽霊と交流できる人間だった。
早見さんの部屋には幽霊が列をなして連日押しかけているのだそうだ。オートロック付きのエントランスドアがついていないため幽霊も来たい放題なのかと尋ねようとして私はやめる。早見さんの顔は真剣だった。




