呪われし王子の旅立ち
プロローグ
かつて、この国は滅びかけていた。
敗戦の傷跡は深く、城壁は崩れ、街は焦土と化した。王国の誇り高き騎士たちは戦場で散り、残された者たちは飢えと寒さに震えながら明日をも知れぬ日々を過ごしていた。人々は王を恨み、呪い、絶望に沈んでいく。
そんな中、王妃は一人、闇に手を伸ばした。
——ある夜、彼女は王宮の奥深くにある祭壇へと足を踏み入れた。
そこには、黒き炎に包まれた影が待っていた。
「願いを言え。お前の国を救ってやろう」
炎の中から響く声は、どこまでも甘美だった。
「……この国を、救ってほしい」
王妃の声は震えていた。夫を、民を、息子たちを救うためなら、どんな代償も受け入れる覚悟だった。
黒炎が蠢き、闇の契約が結ばれる。
その瞬間、王国は奇跡的な復興を遂げた。兵士たちは超常の力を得て、敵国を圧倒し、国は再び繁栄した。
しかし——代償は、王妃の腹に宿る子に課せられた。
ノクス。
それが、呪われた王子の名だった。
◇
ノクスは物心ついた頃から、自分が“普通ではない”ことを知っていた。
右手の感覚が薄い。まるで自分のものではないように、冷たく、重く、奇妙に脈打っている。
それだけなら、まだよかった。
幼い頃、一度だけ、感情が昂った瞬間——右手から禍々しい黒い炎が噴き出した。
目の前にいた侍女が悲鳴を上げて逃げたのを、今でも覚えている。
「呪われた子だ……!」
そう囁く声を、何度も耳にした。
使用人たちは彼を恐れ、距離を取った。
だが、誰よりも恐れていたのは——ノクス自身だった。
そんな彼のそばに、いつもいたのがアイリスだった。
幼い頃からの世話役であり、剣の指南役でもある少女。彼女だけはノクスを恐れず、いつも優しく接してくれた。
そして、弟のクロード。
彼はノクスと違い、王国の希望として育てられた。
剣の才に恵まれ、社交的で、誰からも愛される弟。
それなのに、クロードはノクスに対して冷ややかだった。
「兄上さえいなければ、俺が王太子になれたのに」
そんなことを言われたのは、一度や二度ではなかった。
そして、十七の誕生日を迎える頃——ノクスは運命を知る。
自分の呪いが、あと一年で完全に発動し、悪魔へと変貌することを。
その運命を変えるには、悪魔を倒さなければならない。
たとえ、それが王国を支えた存在であろうとも。
ノクスは旅立つ。
すべてを終わらせるために。