愛の女神様は「真実の愛」と称して婚約を破棄する行為を許さない!
この国は愛の女神様が守護してくださっている。国民は女神様を崇め奉り、何より「愛」は尊いものとしていた。
さて、そんな国であるので国民は恋愛結婚を尊んでいた。だが、何事にもそればかりで事が進むわけではない。
もちろん政略的な結婚も行われている。だが政略結婚ということで、後継者を作った後はお互いに干渉をしない……つまりお互いが愛人を作っても文句を言わないという、仮面夫婦も多くいた。
今日は王立学園の卒業式があった。そのあとに王城の大広間にて卒業パーティーが開かれた。
王城で卒業パーティーが開かれるのは国王からの祝いの一つであり、社会にはばたく卒業生への餞でもあった。
今年は王太子とその婚約者が卒業したこともあり、盛大に開かれていた。
そのパーティーの真っ最中のこと。なぜか王太子とその側近、それから一人の可愛らしい少女が一段高くなっている演壇の上へと出てきた。
「公爵令嬢! 前に出てこい!」
王太子は大きな声で言った。突然のことに公爵令嬢は驚いたが、名指しということでゆっくりと演壇の前に立った。
「お呼びでございましょうか、王太子殿下」
「用があるから呼び出したに決まっておろう。これから言うことをよく聞くがいい」
偉そうにそういうと、勿体ぶるように言葉を止めてから、ドヤ顔をした。
「今日、本日を限りとして、公爵令嬢との婚約を破棄する! そして、私の『真実の愛』の相手である男爵令嬢と、新たに婚約を結ぶものとする!」
王太子の言葉に呆気にとられる人々。公爵令嬢の父である公爵も王太子の言葉を唖然とした顔で聞いていたが、次第に公爵家を虚仮にした発言であると気がつき怒りの声を上げようとして……ステージ上に新たに表れた人物に気がつき、別の意味で唖然とした。
それは公爵だけでなく広間にいる人々全員が唖然としたのだった。
ドヤ顔で言い放った王太子だったが、広間に集まった人々の反応が思うようなものではないことに、内心首を傾げた。
これは発した言葉の意味が通じてないのかと思い、王太子はもう一度言うことにした。
「あー、もう一度皆に言っておく。私は今を限りとして、公爵令嬢との婚約を破棄し、そして、私の『真実の愛』の相手である男爵令嬢と、新たに婚約を結ぶものとする! いいな!」
「いいわけあるかーーーーー!」
スパーン
女性の叫び声と共に頭に衝撃を受けてうずくまる王太子。
「殿下―! 貴様、何をするー!」
「何をするはこっちのセリフよ! 諫める立場のあんたたちが何をしてんのよ! 連帯責任ね!」
スパーン
スパーン
スパーン
スパーン
側近及び男爵令嬢も女性が持っていた紙の束……ハリセンで叩かれたのだった。
どのような叩き方をしたのか、側近と男爵令嬢は演壇から落ちていた。
「ふ、不敬である(ぞ)」
王太子は何とか立ち上がり女性へと言ったが、ギッと睨みつけられて最後まで言えずにモゴモゴとなった。
「不敬なのはお前のほうよ。この国の守護神である私を不快にさせているんだから!」
女性の言葉に広間にいた人々は驚いたが、すぐさま女神へと頭を下げた。
さもありなん、女神と名乗った人物の服装は広間にいる人々違っていて、白い布地を体に巻き付けただけのような……彫刻の女神像のような衣服をまとっていたからだ。
「女神などと」
モゴモゴと言いかけた王太子は再度睨まれて首をすくめた。
「女神様、私たちのためにいらしてくださったのですね。やはり押しつけられた婚約者より真実の愛の相手との婚姻ですよね」
「はっ? 馬鹿なの? ああ、馬鹿だったわ」
女神の登場を良いように解釈した男爵令嬢が喜色をのせて叫ぶように言って演壇の上に戻ろうとしたが、冷気を発しているのではと思うくらいの冷たい視線と共に冷たい言葉を浴びせられて動きを止めた。
「真実の愛だとしても、やっていることは不貞以外の何ものでもないでしょ。というか、なんで話し合って解消しようとしないわけ? 話し合いもできないサルなの?」
女神の言葉とは思えない暴言に広間にいる人々は頭を下げたまま固まった。
「ああ、いつまでも頭を下げてなくていいわよ。楽にしなさい」
人々が体を起こしたのをみて女神は再度口を開いた。
「順序が逆になってしまったわ。本当なら今からここに現れると、宣言してからでてくるはずだったのよ。あまりに馬鹿げたことを言い出すから、我慢の限界に来てしまったわ」
女神の言葉の意味を理解した者から、顔色を悪くする人々。国王は馬鹿なことをしでかした演壇上の王太子のことを睨みつけた。
「あら、この馬鹿のことを睨みつける権利は貴方にないわよ」
国王は女神の言葉を理解できないのか、間抜けな顔をした。
「余計なことを言って長引かせるのもあれよね。用件だけ伝えるわ。
えー、この度一柱の女神以外の神々は、この世界から手を引くことになりました」
「はっ?」
あまりな言葉に広間にいる人々は全員動きを止めた。間抜けな声を上げたのは王太子。
「理由はこの二百年ほど、それぞれの国で守護神をないがしろにする行為が目に付くようになったから。
自分の国は隣国のような豊穣の神が良かったとか、友愛の神だから国が弱いとか、そんなことばかり言うのよね。単におのれ自身の鍛錬が足りないだけなのに。努力をしないでないものねだり。
この国もそうよね。私が愛の女神だからと、勝手に恋愛結婚が良いことだとして、不貞、浮気のしほうだい。嫌ならさっさと別れればいいじゃない。それをしないで『真実の愛』の相手と称した浮気相手とイチャコラ。見ていて本当にむかつくわ。
大体ねえ、各国を守護している神々に力の差はないのよ。もともとこの世界を管理していた神がやらかして、一柱の神だけじゃ手が回らないから、一国ずつ守護することにしたから。
だってそうでしょう、私たちにだって自分が管理する大切な世界があるのだもの。
だというのに、あなた達ってば状態が改善されれば、文句ばかりいうじゃない。自分が最初から管理していたわけじゃないのに、文句を言われるのって理不尽だとおもわない。
だからね、幸いにもこの世界を見るという女神がいるから、彼女に任せることにしたのよ。
ああ、そうそう、これも言っておくわね。私たち神々が愛の神や豊穣や友愛、力の神などと肩書をつけたのは、ある女神が言い出したからなのよ。それらしい肩書があったほうが信仰しやすいだろうと言ったの。
その通りにした結果がこれですもの。言い出したものが責任を取るべきよね」
ウンウンと頷いて話をしめた女神はいい笑顔を浮かべた。
「そういうことだから、あとは頑張ってね」
ヒラヒラと手を振って姿を消そうとする女神に、ハッと正気に返った公爵令嬢が話しかけた。
「女神様、お待ちください」
「あら、どうしたの?」
訝しげに問う女神。
「お声がけしてしまい、申し訳ございません。ですが、わからないことがありますので、ご質問させていただきたいのですが」
「んんっ? わからないこと? なにかしら。でも、守護を失くさないでということは聞けないわよ」
「違います。女神様が守護を失くされるということは、どうでもいいことです」
(どうでもよくないだろ!)
と、広間にいる人々は思ったけど、さすがに自分が女神に直接話しかける勇気はなくて、渋面を作りながらも二人の話に聞き入った。
「失礼ながら女神様を不快にさせたというものについて、お教えいただきたいと思いまして」
(えっ? それ?)
再び広間にいる人々は思ったけど、口に出すものはいなかった。
「ああ、そのこと。さっきそこの馬鹿が言っていたことよ。『真実の愛』とか言って、堂々と自分の不貞を棚上げしていたじゃない」
「ああ、わかりましたわ。この国が『愛の女神が守護』するから政略結婚は『真実の愛』じゃないと、婚姻関係にある者との仲を蔑ろにしていたことですね」
「まあ、よくわかっているのね。あんな親に育てられたのに、ちゃんとした考えを持っているなんて偉いわ」
「あっ、いえ、これは祖父母から教わった考え方ですわ。祖父母はこの国の貴族によくあるように政略結婚でした。ですが祖父母は婚約期間に話し合って、お互いに理解を深め婚姻を結ぶときには信頼関係を築いていたと聞きました。婚姻を結んだ後もお互いを思いあって他の方に目を向けることなく過ごしていましたわ」
「まあ、なんて素敵な方たちなの! 今はどうされているのかしら」
「祖父母は一昨年の流行病で亡くなりました」
「ああ、なんて残念なの」
女神はとても残念そうな顔で公爵令嬢を見つめた。公爵令嬢も沈痛な面持ちで俯いてしまった。祖父母のことを思い出しているのだろう。
女神はゆっくりと視線を動かすと、公爵令嬢の両親を半眼で睨んだ。
「その子供がどうしてそういう風に育ったのかしら」
「それは学園に入って周りに感化されたからだと聞いております」
「馬鹿って伝播するのね」
女神は呆れたように言った。
(いや、妻以外に愛人を持つのは当たり前じゃないか。私だけ非難されるのは間違ってるだろ)
公爵は心の中で思った。が、女神がそれを嫌がっていたことに気が付いていないもしくは都合よく忘れて、不満に思ったのだった。
「まあ、いいわ。あなたの言う通りよ。私の名前を都合よく使って、政略結婚は真実の愛ではないとしている輩に、慈悲なんて必要ないわよね」
「はい。私もそう思います」
公爵令嬢は力いっぱい同意すると頷いた。
「うふふ。あなたとは気が合いそうだわ。……そうだわ。ねえ、あなたさえよければ一緒に来ない」
「えっ? 一緒に……とは?」
「言葉の通りよ。私が管理する世界に一緒に来ないかしら。その世界なら私の声がちゃんと届くだろうし……ううん、それよりも私の巫女として来たらいいわ」
「みこ? ですか?」
「ええ、そう。何も心配しなくていいわよ。私のお気に入りと知れば、あちらの世界の者たちは無碍な対応はしないもの。ねえ、どうかしら」
公爵令嬢は暫し考えた後、女神を見つめながらおずおずと言った。
「私でよろしいのでしょうか」
「もちろんよ。そうと決まれば、とっとと行きましょう」
女神は公爵令嬢の手を握った。それをボーッと見ていた国王はハッと気づいて女神に声を掛けた。
「お待ちください」
「あら、まだ何かあるの」
女神は不機嫌そうに言った。
「本当に加護を無くされるのですか」
「そう言ったでしょ」
「む、無責任ではありませんか」
ジロッと女神は国王のことを睨んだ。
「それを言うのならあなた達のほうでしょ。信仰心を捧げてくれなかったくせに、要求ばっかり言うのね」
「はっ?」
信仰心と言われて、国王をはじめ広間にいる人々はチラチラと周りの顔を見合った。その様子を憎らし気に見る女神。
「聖典にも書いてあるはずだけど、神ってね、信仰されなきゃ力を振るえないの。あんたたちは勝手なことばかり言って、私への祈りはおざなりにしていたじゃない。それでどうやって十分な力が振るえるというのかしら? ねえ、もういいわよね。これ以上不愉快度を増さないでくれる。私を怒らせて、いらない置き土産を置いていかれたくないでしょう」
不機嫌丸出しの顔で女神は言う。
「まって、娘を、娘を連れて行かないで!」
公爵夫人が縋るような声で言った。女神は公爵令嬢へと目を向けると聞いた。
「ですって。あなたはどうしたいのかしら」
「私はここに残っても良いことはないと思うので、女神様について行きたいと思います」
「だそうよ」
「そんな……」
公爵夫人はガクリと頽れた。その様子を令嬢は不思議そうに見つめていた。
「言いたいことがあったら言ったらいいわよ」
「そうですね。ですが……」
悩んでいるのか眉間を軽く寄せる公爵令嬢。
「ここまで育てた恩を返さずに、勝手に出て行くなど許さん!」
公爵が怒鳴るように言った。
「そう言われましても、私は公爵様に育てられた覚えはありませんが」
令嬢は不思議そうな顔をした。
「なっ!」
令嬢の言葉に公爵は怒りの余り言葉が出てこないようだ。
「私は王太子の婚約者となってから、家族と食事をしたことがありません。それどころか過剰な勉強を強いられ、それが終わらせられず夕食の時間に遅れたことで、怒鳴られて食事をすることが出来ないことが多々ありました。
王宮で王太子妃教育を受けた日は、王宮で食事が出るものとして私の夕食は用意されておりませんでした。昼食もままならなかった日に家に戻ってから食事の支度を料理人にお願いしましたら、拒否されてその日は食事をすることが出来ませんでした。
ドレスもそうです。王太子妃の予算があるからと、家でドレスを用意していただいたことはありませんでした。パーティーなどのドレスは用意していただけますが、普段着や下着などに困ってしまいました。おかげさまで古いシーツなどから下着を作る技術が身に着きましたわ。
あとは……弟には時間を割くのに、私には廊下ですれ違う時などに話しかけてくるだけというのはどうかとおもいますわね。
そうですわね、振り返ってみても会話らしい会話をしたことがなかったですわ。
そんな無関心で過ごされていたのに育てたとおっしゃるとは、厚顔無恥にもほどがありますわ」
公爵は反論をしようとしたのか口をパクパクと開け閉めしたが、言葉が出てくることはなかった。
「まあ~、それで育てたなどとよく言えたわね。ああ、言い訳は結構よ。使用人が勝手にしたことだなどと言い出さないで頂戴。不愉快だわ。そもそも家の中のことを把握できていない時点で、家長としてどうかと思うもの。
さあ、もういいでしょう。これ以上不愉快度が増したら、神の怒りを落とすことになるわ。
この後は元凶のことを、せいぜい敬いなさいね」
女神はそういうと公爵令嬢と共に姿を消したのだった。
◇
ところは変わって、公爵令嬢は連れてこられた場所に目を丸くしていた。
そこは、どこかの庭園の四阿のようだった。
用意されていたポットからカップへとお茶を注いで、女神は公爵令嬢に声をかけた。
「こちらにお座りなさいな」
「あっ、し、失礼します」
女神の手ずからお茶を入れてもらい、公爵令嬢は恐縮しながら席に着いた。
「さて、と、今更というか、もう一度というか……その、確認なのだけど、本当に連れてきてよかったのかしら」
「はい。私のほうこそ連れてきていただきありがとうございます」
淡く微笑みながら令嬢がお礼を言うと、女神は満足そうに頷いた。
しばしお茶とお菓子を食べながらゆったりとした時間が過ぎて行った。
「これからあの世界がどうなるか、わかっているのね」
「はい。想像の通りでしたら、かなり厳しい環境になるのでしょう」
「ええ、そうね」
公爵令嬢は正しく歴史を学んでいた。
創造神の失態により、この世界が荒れたこと。そのあと、あまたの神々によって世界に平穏が訪れたこと。そして、それを当たり前と考えるようになった人々が傲慢になり果てたことを。
落ち着いたとはいえ、あまたの神々が注いでいた神力を、一柱の女神だけで賄えるはずがないのである。
そうして綻びができ、それが繕いきれなくなったら……。
想像するだけでも、恐ろしい世界へと変貌するだろう。
ただ幸いなのは魔物というものがいないことだろうか。
代わりに大自然の脅威にさらされることになるのだが、神々の手により一時期よりかなりましになっているだろう。
だが、これまで神々に守られてことにより、小さな災害でも大きな災害に感じられるに違いない。
「さて、それじゃあ、貴女の紹介をしないとね」
そう言って女神は立ち上がった。公爵令嬢も女神について歩いていく。
「ん~、その前に名前をどうにかしたほうがいいわね」
「名前、ですか?」
「ええ。そのままだとあちらと繋がってしまうかもしれないわ。できるだけ繋がりを残しておきたくないのよ。……そうねえ、フェイルフィンというのはどうかしら」
「フェイルフィンですか」
「愛称でフェル、イル、フィンなど、いろいろ選べるわよ」
公爵令嬢はぱちぱちと瞬きをした後、うふふと笑った。
「それは楽しいかもしれないですね」
連れてこられたのはどこかの聖堂。神官長へ巫女として公爵令嬢を紹介した女神。
後のことは神官長に丸投げだったけど、公爵令嬢は女神の巫女として大切にされて、幸せに暮らしたのだった。