5-1 安彦
引きこもりは、ゼーガペインに似ている。
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西暦2006年4月6日。
田中安彦(25)。
彼は自分の名前が嫌いだった。
自分には価値が無いと言われている気が、生まれてこのかた、ずっとしていた。
名付けた父を、母は弁護する。
「ありゃ商売人やけん、安かとが一番たい」
本当にそうだろうか? 学校でも友人関係でも、弱いやつの所にシワ寄せが来る。
はじめは笑って誤魔化していても、空気はどんどん悪くなる。
心の闇が滲み出てきて、ある日倒れて、ヤスヒコは精神を病んだ。
心の闇が部屋をも犯し、汚部屋の中で見えるのは目の前のモニターだけ。
イヤホンを深く差し、見るのはアニメ番組だった。
或いは音楽を聴きながら、漫画やラノベを読み続けた。
家は裕福だったから、小遣いだけは削られることは無かった。
「なんや安彦は、また仕事続かんかったとね。だらしなか 」
「でも、あんた、うちで雇うてあげたらどう? 」
「論外たい。身内びいきやって思われて、俺も社員も安彦も、三方三両損になるけんね」
コソコソ話してくれたらいいのに、聞こえよがしな大声で。
良いよもう役に立たないんだから、放っておけよ、構わないでくれよ。
俺は幻想の綺麗な泥に、耽溺するのが好きなんだから。
そんなある日、田中家で父の最後の大声が上がった。
「俺、癌やったばい」
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西暦2012年、7月10日。
33°の猛暑日。
31歳の安彦は真っ暗な部屋に閉じこもり、暑さにうだり切っていた。
窓は雨戸まで閉め、照明は切れっぱなし。
彼の操作するパソコンのモニターが、この部屋の唯一の光源だった。
彼は、この6年間完全に引きこもり、母の出す食事をモソモソと食べ、カウンセリングを強硬に追い返していた。
クーラーが先ほど壊れたが、全裸になる以外、対処法を知らなかった。
汗だるまの肥えた体を震わせて、安彦は死にたくなった。
――――ピーーーーーーーーーーーーーブツン。
パソコンの電源が突然落ちる。
「あれ? なんだよ熱暴走かよ。
ああもう、なんだよ。お前も邪魔するのかよ!
ふざけんなよっ!」
安彦の罵声に、ドアの外から遠慮がちな母の声。
「安彦……安彦……お父さん、首吊っちゃったばい…………」
首を吊った?
俺が殺したっていうのか。
俺が働かないから、それを苦にして死んだっていうのか!
「…………しゃあしぃなぁ………」
怒りに誘われ立ち上がる。すると――――
「……あ、れ?……」
突如、安彦は眩暈を覚えた。
同時に胸がドクドクと鳴り、酷い圧迫痛が湧き上がってくる。
「え……!――――なんね……! グッ!
これは……なんね!??」
安彦の胸に激痛が走り、倒れ込む。
壁に縋るが、ずるりと滑った。
その拍子にアディダスのリュックサックを握りしめて。
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星歴1706年、冬。
ウェットフォード地方ノール伯爵領には悲しみ雪が、ハラハラと待っていた。
その日、ノール家の長男セイル(5)が、首吊り事故を起こして亡くなったのだ。
自殺ではない。
暗殺でもない。
これは予測できた事故。
これは防ぎ得た悲劇。
セイルは秋祭りの余興に行われた、絞首刑を気に入ってしまったのだ。
華やかな祭りの中の、暴力的なイベント。
しかしそこは正義の場であり、領主たる父が裁いた者たちが殺される場だ。
それ以来、気がつけば自分の首に、紐状のものを回しかけ、毎日元気に遊ぶようになった。
家中で注意をしても、次期当主である男の子は頑として聞かなかった。
母は怒った。
侍女は頼んだ。
そして父は不在だった。
地方貴族である彼の父は、政治や戦争に不在がちだったのだ。
家中の者たちは事故を懸念し、家中の紐を隠した。
こうしておかねば、事故が起こるのは確実だったからだ。
だが、セイルはどこからか紐を見つけてくる。
そして――――事故が起こった。
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しんしんと雪が降っている。
肌を刺す寒さに、ヤスヒコは震えた。
冷え切った石畳と、肥えた全裸が、熱を交換している。
「さぶかっ!」
命の危機に、ヤスヒコは覚醒した。
「なんね、ここは」
上体を起こして周囲を眺める。
見上げるような城壁に囲まれた、精緻な庭園である。
「えー……?」
庭園からは道が続き、他の建物に行けるようだ。
全裸の身体にリュックサックを背負って、ヤスヒコは混乱の極みにあった。
「え、え、なんね、ほんとっ! ナーブギア頭にかぶった覚えはなかぞ」
薄く雪の積もった石畳は、足元から刺すような冷気を伝えてくる。
ヤスヒコは当惑しながら、道に従って歩き出した。
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「ご当主様、城内に不審者がいたので捕らえました」
ウェットフォード地方、ノール領の領主、バルドーは溜息を吐いた。
暗澹たる気分であるのに、日々の業務は次々やってくる。
衛兵たちに連れてこられたのは、全裸の中年男であった。
何発か殴られたのか、いくつかアザが出来ている。
「男。お前は何者だ?」
バルドーは男に問うが、男は凍えている。
地下牢に繋ぐ命令をしようとして、バルドーは、はたと思いとどまった。
跡取り息子の葬儀の日にも、厄介事が次々生まれる。
理屈では分かっていても、心を律するには限界があった。
こんな訳の分からない不審者は、殺してしまえば簡単だ。
「その男を裏庭に連れていけ」
「は! 裏庭の処刑台に固定します」
「うごおおんおおお! なああんしゃあああ!」
男が突然、暴れ出した。
処刑と言う語が聞こえたのだろうか?
「こら、大人しくしろ!」
「ああにめああっ! うらおーおおめおんッ!」
「何事ですか? 騒がしいですね」
「母上。……不審者です」
話しかけてきたのは、バルドーの母ルチア。
細い体をすっくと立てた、60歳という年を感じさせない矍鑠たる夫人である。
「どうするつもりです?」
「どこのスパイかも分からないので、処刑します」
「処刑は許しません。
今日がどういう日か、貴方が一番分かっているはずでしょう?」
今日は息子の葬儀の日。
死を悼む式をしているのに、処刑をするのは矛盾しているというのだろう。
「では地下牢に」
「こんな寒い日に地下牢なんて入れたら、凍え死ぬだけです」
「……しかし」
日常の業務に、葬儀の運営が重なった関係で、いま現在、手が空いている部下はいない。
狂人だかスパイだか知らないが、中年男を処理するには殺してしまうのが楽なのだが。
「ようございます。
この男はわたくしが預かります」
「母上!?」
「狂人を救うのも領主の務め。
貴方の手が空かないなら、手伝わせて?」
母の恩情に感謝して、バルドーは頷いた。
「お任せします」
「さあ、とりあえず医務室に運んでしまいましょう。
ハコン、お願いね」
「イエスマム」
岩のような身体を礼服に包んだ、初老のドワーフが指令に応じる。
彼はルシア直属の執事であり、ルシアの友人でもあるという。
「よし、立て、坊主。暖かい所に行こう」
ドワーフの言葉に、警戒と疑問の目を向けるヤスヒコ。
「ほれ。よ……っと。肥えすぎだぞ、お前」
あっという間に担がれてしまう。
暴れるのも億劫だったので、温かい所とやらに連れて行ってもらおうと、ヤスヒコは思った。
それが、ヤスヒコがノール領に住み着いた日の顛末だった。




