表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

43/54

5-1 安彦

 引きこもりは、ゼーガペインに似ている。


★☆★☆★☆★☆★☆★☆


 西暦2006年4月6日。

 

 田中安彦(25)。


 彼は自分の名前が嫌いだった。

 自分には価値が無いと言われている気が、生まれてこのかた、ずっとしていた。


 名付けた父を、母は弁護する。


「ありゃ商売人やけん、安かとが一番たい」


 本当にそうだろうか? 学校でも友人関係でも、弱いやつの所にシワ寄せが来る。

 はじめは笑って誤魔化していても、空気はどんどん悪くなる。


 心の闇が()み出てきて、ある日倒れて、ヤスヒコは精神を病んだ。

 心の闇が部屋をも犯し、汚部屋の中で見えるのは目の前のモニターだけ。


 イヤホンを深く差し、見るのはアニメ番組だった。

 或いは音楽を聴きながら、漫画やラノベを読み続けた。


 家は裕福だったから、小遣いだけは削られることは無かった。


「なんや安彦は、また仕事続かんかったとね。だらしなか 」


「でも、あんた、うちで雇うてあげたらどう? 」


「論外たい。身内びいきやって思われて、俺も社員も安彦も、三方三両損になるけんね」


 コソコソ話してくれたらいいのに、聞こえよがしな大声で。


 良いよもう役に立たないんだから、放っておけよ、構わないでくれよ。

 俺は幻想の綺麗な泥に、耽溺するのが好きなんだから。


 そんなある日、田中家で父の最後の大声が上がった。


「俺、癌やったばい」


★☆★☆★☆★☆★☆★☆


 西暦2012年、7月10日。

 33°の猛暑日。


 31歳の安彦は真っ暗な部屋に閉じこもり、暑さにうだり切っていた。


 窓は雨戸まで閉め、照明は切れっぱなし。

 彼の操作するパソコンのモニターが、この部屋の唯一の光源だった。


 彼は、この6年間完全に引きこもり、母の出す食事をモソモソと食べ、カウンセリングを強硬に追い返していた。


 クーラーが先ほど壊れたが、全裸になる以外、対処法を知らなかった。

 汗だるまの肥えた体を震わせて、安彦は死にたくなった。


 ――――ピーーーーーーーーーーーーーブツン。


 パソコンの電源が突然落ちる。


「あれ? なんだよ熱暴走かよ。

 ああもう、なんだよ。お前も邪魔するのかよ!

 ふざけんなよっ!」


 安彦の罵声に、ドアの外から遠慮がちな母の声。


「安彦……安彦……お父さん、首吊っちゃったばい…………」


 首を吊った?

 俺が殺したっていうのか。

 俺が働かないから、それを苦にして死んだっていうのか!


「…………しゃあしぃなぁ………」


 怒りに誘われ立ち上がる。すると――――


「……あ、れ?……」


 突如、安彦は眩暈(めまい)を覚えた。

 同時に胸がドクドクと鳴り、酷い圧迫痛が湧き上がってくる。


「え……!――――なんね……! グッ!

 これは……なんね!??」


 安彦の胸に激痛が走り、倒れ込む。

 壁に(すが)るが、ずるりと滑った。

 

 その拍子にアディダスのリュックサックを握りしめて。


★☆★☆★☆★☆★☆★☆


 星歴1706年、冬。

 ウェットフォード地方ノール伯爵領には悲しみ雪が、ハラハラと待っていた。


 その日、ノール家の長男セイル(5)が、首吊り事故を起こして亡くなったのだ。


 自殺ではない。

 暗殺でもない。


 これは予測できた事故。

 これは防ぎ得た悲劇。


 セイルは秋祭りの余興に行われた、絞首刑を気に入ってしまったのだ。


 華やかな祭りの中の、暴力的なイベント。

 しかしそこは正義の場であり、領主たる父が裁いた者たちが殺される場だ。


 それ以来、気がつけば自分の首に、紐状のものを回しかけ、毎日元気に遊ぶようになった。

 家中で注意をしても、次期当主である男の子は頑として聞かなかった。


 母は怒った。

 侍女は頼んだ。

 そして父は不在だった。


 地方貴族である彼の父は、政治や戦争に不在がちだったのだ。


 家中の者たちは事故を懸念し、家中の紐を隠した。

 こうしておかねば、事故が起こるのは確実だったからだ。


 だが、セイルはどこからか紐を見つけてくる。

 そして――――事故が起こった。


★☆★☆★☆★☆★☆★☆


 しんしんと雪が降っている。

 肌を刺す寒さに、ヤスヒコは震えた。

 冷え切った石畳と、肥えた全裸が、熱を交換している。


「さぶかっ!」


 命の危機に、ヤスヒコは覚醒した。


「なんね、ここは」


 上体を起こして周囲を眺める。

 見上げるような城壁に囲まれた、精緻な庭園である。


「えー……?」


 庭園からは道が続き、他の建物に行けるようだ。

 全裸の身体にリュックサックを背負って、ヤスヒコは混乱の極みにあった。


「え、え、なんね、ほんとっ! ナーブギア頭にかぶった覚えはなかぞ」


 薄く雪の積もった石畳は、足元から刺すような冷気を伝えてくる。

 ヤスヒコは当惑しながら、道に従って歩き出した。


★☆★☆★☆★☆★☆★☆


「ご当主様、城内に不審者がいたので捕らえました」


 ウェットフォード地方、ノール領の領主、バルドーは溜息を吐いた。

 暗澹(あんたん)たる気分であるのに、日々の業務は次々やってくる。


 衛兵たちに連れてこられたのは、全裸の中年男であった。

 何発か殴られたのか、いくつかアザが出来ている。


「男。お前は何者だ?」


 バルドーは男に問うが、男は凍えている。

 地下牢に繋ぐ命令をしようとして、バルドーは、はたと思いとどまった。


 跡取り息子の葬儀の日にも、厄介事が次々生まれる。

 理屈では分かっていても、心を律するには限界があった。


 こんな訳の分からない不審者は、殺してしまえば簡単だ。


「その男を裏庭に連れていけ」


「は! 裏庭の処刑台に固定します」


「うごおおんおおお! なああんしゃあああ!」


 男が突然、暴れ出した。

 処刑と言う語が聞こえたのだろうか?


「こら、大人しくしろ!」


「ああにめああっ! うらおーおおめおんッ!」


「何事ですか? 騒がしいですね」


「母上。……不審者です」


 話しかけてきたのは、バルドーの母ルチア。

 細い体をすっくと立てた、60歳という年を感じさせない矍鑠(かくしゃく)たる夫人である。


「どうするつもりです?」


「どこのスパイかも分からないので、処刑します」


「処刑は許しません。

 今日がどういう日か、貴方が一番分かっているはずでしょう?」


 今日は息子の葬儀の日。

 死を悼む式をしているのに、処刑をするのは矛盾しているというのだろう。


「では地下牢に」


「こんな寒い日に地下牢なんて入れたら、凍え死ぬだけです」


「……しかし」


 日常の業務に、葬儀の運営が重なった関係で、いま現在、手が空いている部下はいない。

 狂人だかスパイだか知らないが、中年男を処理するには殺してしまうのが楽なのだが。


「ようございます。

 この男はわたくしが預かります」


「母上!?」


「狂人を救うのも領主の務め。

 貴方の手が空かないなら、手伝わせて?」


 母の恩情に感謝して、バルドーは(うなづ)いた。


「お任せします」


「さあ、とりあえず医務室に運んでしまいましょう。

 ハコン、お願いね」


「イエスマム」


 岩のような身体を礼服に包んだ、初老のドワーフが指令に応じる。

 彼はルシア直属の執事であり、ルシアの友人でもあるという。


「よし、立て、坊主。暖かい所に行こう」


 ドワーフの言葉に、警戒と疑問の目を向けるヤスヒコ。


「ほれ。よ……っと。肥えすぎだぞ、お前」


 あっという間に担がれてしまう。


 暴れるのも億劫だったので、温かい所とやらに連れて行ってもらおうと、ヤスヒコは思った。


 それが、ヤスヒコがノール領に住み着いた日の顛末(てんまつ)だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ