1-4 ヤスヒコ、旅の理由
異世界人ヤスヒコが、ノール家に居ついたのは星歴1706年の冬の事。
当時、アーネストは奴隷として買われてくる前で、詳しい経緯は知らないままだ。
だが、買われてきたコボルドミックスのアーネストに、ヤスヒコは優しくしてくれた。
中年太りでハゲかけてはいたが、彼の笑顔は気持ち悪かった。
……大事なことなので、もう一度言おう。
彼の笑顔は気持ち悪かった。
だが外見の気味の悪さはともかく、ヤスヒコはアーネストに誠意を持って接してくれた。
アーネストが算術や回復魔術を覚え、ご当主様に見出されたのも、ヤスヒコの指導の賜物である。
「……以上で《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。プレイヤー諸君の──健闘を祈る」
川原 礫. ソードアート・オンライン1 アインクラッド (電撃文庫) (p.56). 株式会社KADOKAWA. Kindle 版.
「何言ってんです!?」
「ああ、俺が教えられることはもうない、ってことだよ」
陽気に笑って福々しい腹の贅肉を叩く。
30代前半と聞いてはいたが、年齢によらず子供のような言動をする人物だった。
ヤスヒコの突飛な発言に疑問を抱き、当時のアーネストは懐疑に凝り固まった。
彼は恩人だ。
だが、狂人でも有るのだろう。
深い関わり合いに成るほどでは無い。
ご当主様も、ノール領で自由にさせている以上、監視は十分である、という判断であるはずだ。
ところがある日、探索の旅に出たいとヤスヒコが言い出した。
浮浪者として屋敷に世話になり始めて、2年の時が流れた後である。
元の世界に戻りたい、などと、意味不明の主張を繰り返し、頑として説得を聞き入れなかった。
SOAのアニメが観たい。
モンハン3Gも始めたばかりだ。
牧物だって、いいところなんだ。
彼の言うことに全く論理性は感じられなかったが、熱意だけは本物だった。
やがてご当主様は根負けし、旅支度を手伝ってやることになった。
「ヤスヒコ、旅先で我が領土の悪評が広まるような真似はするなよ」
「はっはっはっ。何を仰いますか。このヤスヒコ、大陸一の良い子ちゃんですよ」
新調してもらった檜製の魔導杖で肩を叩き、信用ならない笑顔を見せる。
「それと、死ぬことは許さん。母が寂しがるからな。時々顔を見せろ」
ノール家当主バルドーの、素っ気ないが優しいバリトンが響いた。
「死にませんよ! だけど元の世界に戻る機会が急に来たら、急にいなくなるかも知れません」
「元の世界か……」
バルドーは半信半疑で呟いた。
星の世界を飛ぶ乗り物や、光の速さで繋がる通信機など、現実的とは思えなかったのだ。
だが、バルドーの母、ルチアはヤスヒコを全面的に支持し、応援してやれ、と言ってきた。
そうまで言われて援助をしないなら、領主の沽券に関わる話だ。
1708年、春。
桜の舞い散るノール領の農園入り口に、旅支度を終えたヤスヒコの姿があった。
加えて、見送りの領民が20名近く居並んでいた。
ヤスヒコは変人だが、愛されてもいたのだった。
「が、頑張ってね!」
当時7歳のアーネストがヤスヒコに告げると、彼はにちゃりと笑い、
「アーニー、君だけに俺の本当の目的を教えてやろう」
「え?」
「SOAが観たいのは本当だ。
だが真の理由は、パステルチャイム3(※1)がやりたいからだ!!」
※1 西暦2013年2月15日発売 ALICESOFT謹製エロゲー
「……へー」
別れの感動が吹き飛んで、アーネストは乾いた声をあげた。
「心配するな。
回復魔術も、風魔術も使えるようになった。
そうそう犬死はしないよ」
紫の頭巾と同色のマント。
白色のキトンを身に纏い、背には素材不明の背嚢を背負って、ヤスヒコは言った。
なおヤスヒコによると、背嚢はアディダスのリュックサック、というアイテムなのだそうだ。
彼が元の世界から持ってきた唯一のアイテムであり、頑丈な背嚢である、ということだった。
また、ロゴがドリルみたいでカッコイイと、幾度となくヤスヒコは主張していた。
「はじまりの街の北西ゲート、広大な草原と深い森、それらを越えた先にある小村──そしてその先にどこまでも続く、果てなき孤独なサバイバルへと向かって、俺は必死に走り続けた」
川原 礫. ソードアート・オンライン1 アインクラッド (電撃文庫) (p.61). 株式会社KADOKAWA. Kindle 版.
「だからそれ何!?」