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3-6 腐れ沼

 その沼に到達するまでの10日間は、順調に進んだ。

 天候にも恵まれ、大きなトラブルもなく、穏やかな旅と言って良かった。


★☆★☆★☆★☆★☆★☆


「ここまで近づくと、流石に臭うな」


 ライカが(かす)かに顔を(しか)めた。

 ライカたち4人の目の前には、茫漠(ぼうばく)たる沼地が広がっている。


 もちろん、ただの沼地ではない。

 あらゆる所に毒草、毒ヅタ、毒虫、毒ゴケ、毒キノコが充満し、沼の色味に緑と紫を加えている。


 ――――腐れ沼(ベノムボグ)


 その最奥に爛尾竜(らんびりゅう)が棲むという、大陸最大の毒の見本市。

 エレニア王国の西のはずれにある、(ワリス)属性のダンジョンである。


「確かに臭いですけど、複雑な不快感ですね……」


 アーネストが主人の言葉を受けて続ける。

 腐葉土の臭さ、生ごみの臭さ、淀んだ川の臭さが交じり合い、刺すような刺激臭を届けてくる。


「御心配には及びません。香を焚きます」


 ヘティトが(ささや)き、準備を始めた。

 と、言ってもあっという間だ。


 既に準備を終えていたらしく、手に提げた薬カバンではなく懐から小さな紙の包みを取り出す。

 その中身を、手に提げた小さな香炉に落とし、火を着ける。


「カネ・イグニス。着火(イグナイト)


 ふわり、と、あっという間に空気が変わった。

 優しく甘い、ショウガのハチミツ漬けに似た芳香が空間を満たす。


「少しお待ちを」


 そう言って、ヘティトは香炉をひゅんひゅんと振り回し始めた。

 小さな香炉に繋がる細いロープを、左右8の字に振り回す。


 スピードが上がると音が変わり、ヒーンヒーンと、心地よい高音に変化した。

 それはまるで、優美な舞や、神聖な儀式を連想させる美しさだ。


 ヘティトは束の間、それを続けて、やがて、止めた。


「充分でしょう。お待たせを致しました」


「ぃよっし、行くかぁ。

 こっから有料なんだから本気出せよな、ライカ、犬ッコロ」


 セルケトが先行し、ライカが後に続く。


「アーニーを犬と言うなと言うに」


「言うのか言わねえのか、ややっこしいな、その言い方」


 悪びれず笑うセルケト。


「貴様様」


(え、きさまさま、定着してる?)


 アーネストは驚いたが、微笑んで話を聞いた。


「どうしました?」


「わたくしは香炉の効果を保つため、中陣にいなければなりません」


「はあ……?」


 香炉の範囲は、風がなければ球形になると考えられるので、中陣にいるのは理解できる。

 香炉の効果を絶やすのは、結構、致命的なことだと思えたので、なぜワザワザ言うのかと疑問符を浮かべる。


「みだらな妄想など、思い浮かべたら殺します」


 絶対零度の氷の瞳が、アーネストの脳髄(のうずい)に傷痕を残した。

 こんなに言われて、エッチな妄想など、怖くて思う余裕がない。


「殺しますよ」


 もう一度だけ冷たく言って、ヘティトが姉らの後を追う。

 アーネストは、死にたくないので景色に集中することにした。


★☆★☆★☆★☆★☆★☆


「おいバカ、犬ッコロ!!! そこ踏むなっ()ったろっ!!」


 前を行くセルケトの警告に、アーネストはお空を見るの(げんじつとうひ)を止めた。

 足元を見れば、黄緑色のコケ植物に覆われている。


 ポフン、と。


 胞子が沸き起こり、甘い匂いがアーネストを包む。


「ッチッ!!? ヘティト!」


「駄犬ですね」


 ヘティトが走り戻り、アーネストを目指す。

 一方のアーネストは、何だかクラクラ、目が回りだしていた。


 目の前のコケが、毒虫が、毒ヅルが、何だか話しかけてくる。

 アーネスト自身は経験がないが、毒茸の幻覚症状(もうそう)だ。


「食らいなさい」


 完全に敵への攻撃の時のセリフを言って、ヘティトが香炉をブンと振るった。


「ギャボン!!」


 結構な速度の金属の香炉が、アーネストのこめかみに突き刺さる。

 脳天を揺さぶられ、同時に香炉の効果が表れ、アーネストは正気に戻った。


 こめかみはズキズキと痛かったが、むしろその痛みを伝手に、アーネストは苔から逃れる。


「ありがとうございます」


 少し大きめの声で前に告げ、自分の無事をアピールする。

 すると――


「殺しますよ」


 先ほどと同じ、アクセントすらない氷の吐息。

 必死に(うなづ)いて、アーネストは誓った。

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