1-3 加速魔術の練習
石造りの粗末な住居がポツポツと並ぶ、レーネースの表通り。
とはいえ、人通りは余りなく、閑散としており、通りでは無く細長い空き地にすら見えた。
それも無理はない。
現在は、昼鐘過ぎ。
この村は漁村であり、男たちの漁はまだ続いている。
他方、女たちは家の事で忙しく、滅多に外に出ることは無い。
そして子供たちは、ライカとアーネストという見慣れない人間を見ただけで、蜘蛛の子を散らすように去ってしまった。
今はただ1人、子供たちの中でも厳選したバカ1人がボーっとライカを眺めるだけだ。
……なぜバカと断定するのか。
まず鼻水を拭かない。鼻くそをほじくる。それを食べる。
ライカたちを許可もなく凝視してくる。挨拶の言葉もない。話しかけても返事をしない。
「ど、どこの子ですかね……迷子とかじゃないと良いけど……」
アーネストがバカな少年を心配して、ライカに訊ねる。
「捨て置けアーニー。
こうしてほっつき歩いているからには、村の人間に違いない。
見たいなら見せれば良い。
腹が減ったら、そのうち帰るだろう」
大胆に、人間を野良イヌ扱いするライカ様。
冷徹な貴族の片鱗を覗かせながら、アーネストに向けて続ける。
「ほら、私たちは稽古をしよう」
そう言い切られては、アーネストも子供を無視するしかない。
彼にはライカに魔術を掛けるという、重要な役割があるのだった。
なお何故、路上で昼間から稽古なのかというと、入山禁止で暇になってしまったからだ。
帰りの船は頼んであるが、その到着は5日後。
ヤーデレーゲをこの目で見るために、山に入ることを考えて、こう予定したが、裏目に出た形だ。
なんでも去年までは入山禁止ではなかったらしい。
というより、入山してヤーデレーゲを観光資源することの是非について、この村で意見が二分しているらしく、数年ごとに「入山可」と「入山禁止」が繰り返されているらしい。
不毛である。
おそらく異世界人ヤスヒコは、入山可の時期に居合わせて、ヤーデレーゲの威容を目撃することが出来たのだろう。
「さあアーニー、いつでもいいぞ」
朗らかにライカが告げる。
「はい、ええと……カネ・ソヌス。加速」
ライカの意志に従い、アーネストは杖を振るった。
覚えたての加速の呪文である。
するとライカが妙に甲高い声で、落ち着きなく話し始めた。
なおこれは2倍速になっているからであって、他意はない。
「オォ、スゴイゾァニ、カラダガカリィ、ドコマデモィケソラ」
倍速が故、残像を残し勝ちになりながら、ライカが告げてきた。
「はい、ですが気を付けてください。
その魔術の効果時間は、時鐘の間の1/8ほどです。
それほど長くは――」
「ハジメrr」
恐らくアーネストの小言が、2倍に間延びして聞こえるのに飽きたのだろう。
さっさと背を向け、双剣を抜く。
彼女の剣は、ノールの家に代々伝わる対の剣。
熱き思考の炎を宿すフギンを右手に、研ぎ澄まされた氷の記憶を宿すムニンを左手に。
呪文が刻まれているわけではないので、実際に炎や氷が出ることは無いが、そういう主題で作られた傑作中の傑作である。
お分かりのように、これを打った鍛冶師は氷炎流の知識に造詣が深く、また自身、相当な使い手だったと伝えられている。
「フッ」
二倍速の甲高い叫びを発し、ライカが奔る!
一つに結んだ金髪が風に乗り、まるで地上を雷光が走るかのようだ。
敵は正面。
先ほど事前に、アーネストに命じて魔術で路外に据えさせた練習用打ち込み台。
地面に穴を掘り、丸太を突き立て、更にその丸太にアーネストが防御魔術を唱えることで完成する打ち込み台は、ライカの剣技をもってしても一刀両断することは難しい。
それ故に、真剣での打ち込みが可能なわけで、実戦練習にはうってつけなのである。
その代わり、魔術を連発したアーネストは、体内で魔力を練り、撃ち出す疲労が降り積もり、立つのも億劫な程度にはヘトヘトであった。
「セヤッ」
ガッガッガッと、剣が打ち込み台に叩きつけられるたび、それを防御する山属性魔術「硬化」によって生成された人工の岩肌が、削り落とされていく。
ちなみに山属性とは、魔術の大分類、5元素9属性の内の1つ。
堆積と境界を操り、主に石や岩を扱って、防御や隔離を得意とする山の魔力である。
村はずれによくある境界石も、これを利用したものだ。
「ハッ」
竜巻のごとくライカが廻る。
左右の剣が次々と、打ち込み台を削り込んでいく。
パラパラと、魔術の石片が削られ、空中で元の魔力に戻って、その姿を消失していく。
「クラェ」
氷炎流は双剣同格。
実際に出す技において、片方を主、他方を従とする技法ではなく、両手の剣に常に攻撃の意図を纏わせる、非常に攻撃的な流派だ。
ただし、剣士の心得として、左の剣は氷の剣、右の剣は炎の剣と教えられる。
氷の剣は、冷静に観察し、相手の弱点などを積極的に狙う。
他方、炎の剣は、己が心の闘志を燃やし積極的に攻める。
結果的に、左の剣は牽制技や搦め手が多く、右の剣は大振りが多くなる。
部外者から見たら、完全に主従付いとるやないかーい、とツッコみたくなるような結果だが、目くじらを立ててはならない。
……武の精神は深淵なのだ。
「ォワリd」
2倍速の怪鳥音を叫び、ライカの斬撃は圧を増す。
縦横無尽、千変万化。
ひと振りとして当たらざることなく、ひと振りとして殺さざることなし。
最後に振られたのは「氷炎一閃」という高度な剣技。
左の剣による胴薙ぎと、右の剣による面割りを連続で行う奥義である。
「ヒョゥェンィッセッ!!!」
普段であれば、薬缶に湯が沸くほどの時間は無事であり続ける、アーネスト特製「練習用打ち込み台」が、当然の算数で、半分の時間で崩壊する。
「あー、ライカ様。まだお茶のご用意がー」
バカな子供と2人で焚き火を囲い、トレーニングをする主人に茶でも供そうとしていたアーネストが小さくボヤく。
「ォワッタ!」
目にも留まらぬ速さでアーネストの元に帰ってきたライカが、甲高い声でそう言った。
「判りました。じゃあ、術をいったん解除しますね」
アーネストの言葉に、信じられないくらいイライラして、ライカは暴れた。
やはり二倍速で、自明の事柄(この場合術の解除)を説明されるのは彼女にとってストレスであるようだ。
「ァ―二、ハヤk!!!」
「カネ・オルクス。解呪」
解呪も本当は高度な術なのだが、自分で掛けた魔術なら、話は違う。
「すごいなアーニー、この呪文は!!
周りの景色が遅くなって、相手を貫く衝撃も遅れていた!!
魔物相手に使ったら、さぞ強かろう!!」
子供のように青い目をキラキラさせて、頬を上気させながらライカが語る。
運動後の汗ばんだ体が目に毒だったので、アーネストは上を見ながら答えた。
「お気に召したようで何よりです。
ただこの上級呪文は、元素が僕の裏に当たるので、1日1回が限度ですね」
「?」
ちょこちょこと、アーネストの背後に回ろうとするライカ。
「何も当たっておらぬ」
「申し訳ございません、ライカ様。
裏というのは5元素を順番に並べた際、自分の得意元素を1として、4番目に来る元素の事です。
詳しくは述べませんが、元素の位が離れるほどに操作が困難になり、消耗も激しくなります」
キョトンとした顔でそれを聞くライカ。
「そうなのか。1日1回なのか……」
「私の得意元素が樹木であれば音属性のこの術も、もっと容易に扱えるのですが……」
主人を落胆させてしまったことに責任を感じ、どんな処分でも受けようという覚悟でいると、唐突にライカが言った。
「必殺技みたいでカッコイイな!!」
「必殺技……?」
その発想は無かった。
「うんうん良いぞ!
私とアーニーの冒険者コンビが危機に陥った時、さっきの魔法が放たれる!!
2倍速となった私が危機を切り抜け、勝利を掴む!!」
「……お気に召したなら何よりです」
何だか変な疲れを感じながら、アーネストは焚き火の前に座り直した。
「淹れたお」
バカな子供が、アーネストの用意していたカップにお茶を入れて寄こした。
「ああ、ありがとう」
アーネストは反省した。
(僕は自分の醜い心を呪いたい……
バカだと思ったが心の優しい良い子じゃないか。
……いやでも待て、この子。
衛生観念死んでるから、茶に何したかが分からないぞ。
鼻水が入っているかも知れないし、鼻くそだって入れたかも??
カッコイイ石とか、甘い虫とか、入れてても全然おかしくない!!)
一瞬で醜い心を取り戻し、アーネストは魔術を唱えた。
「カネ・フォンス。浄化」
「ウマイ?」
「ああ、美味いよ。ありがとう」
完全にまっさらな白湯となった液体を啜りながら、アーネストは答えた。
正直、なんの味もしない。
アーネストは後で、星堂で懺悔を行おうと決めた。
「アーニー、打ち込み台をもう一基頼めるか?」
暴れ足りない、といった調子でライカが言った。
いつもの事なので、アーネストは冷静に応じる。
「マナ・ポーションの使用をご許可頂ければ」
ピクリ、とアイテム名に反応して止まるライカ。
「む、アレだな。なんか高いやつだな?」
「相場は新金貨で5枚ほどですね」
「フィーディス大金貨が贖えてしまうではないかっ!」
驚愕に震えるライカ。
いつもの事なので、アーネストは冷静に応じる。
ちなみにフィーディス大金貨というのは、主に交易用に用いられる高純度、高重量の金貨である。
旧大陸とベスティア大陸の中間地点、洋上に浮かぶ孤島ポルトフィリアで鋳造されており、国際的な信用度が高い商用通貨として知られている。
「マナ・ポーションの使用をご許可頂けますか?」
「……止めよう。そういう貴重なアイテムは、いざという時に取っておくものだ」
いつもの流れにまとまって、二人は帰り支度を始める。
ちなみにライカは、ボードゲームなどでも、貴重なアイテムを残し勝ちなタイプである。
ただ、そのリソースを残しても勝ってしまうから、アーネストとしては敵わないのだが。