1-2 サフォ川沿いのレーネース
緑の流れサフォ川は、レーネースの人々の命綱だが、同時に、人を呑む川としても知られている。
住民は生活用水をこの川に頼り、川の中に時折見つかる翡翠を売って生計の足しにしている。
しかしサフォ川は暴れ川であり、数十年に一度は酷い洪水を起こして村を呑む。
この洪水は、川の源流インベル山に棲む蛇竜ヤーデレーゲの仕業である。
そのためこの地の冒険者ギルドでは、ヤーデレーゲの監視が常に行われていた。
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「着きましたね、ライカお嬢様」
波止場に立ち、主人に声を掛けるアーネスト。
だが、あの約束から9年が経ち、18歳になったアーネストには、もはや、薄汚れた奴隷の少年という過去の姿を彷彿とさせるものは何もない。
身長体重は中肉中背といったところ。
顔立ちは涼やかで、声音は優しいテノールになった。
呪文が編み込まれたローブを着ており、魔導杖を持っている。
誰がどう見ても、旅の魔術師としか見えない出で立ちだ。
変わらないのは、癖の強い黒色の巻き毛と、頭のてっぺんから生える三角形の立ち耳のみ。
その耳をしきりに動かしているのは、初めての場所に来たことによる緊張の表れである。
「うむ、レーネースだ。まずは宿を取ろう」
アーネストの言葉に応えるライカも又、貴族の美少女というだけでは言い表せない変化を遂げていた。
スラリとした長身。
鍛え上げられた全身に贅肉は無いが、それでもどこか優しい丸みを帯びる。
そんな彼女の身体を覆うのが、ウェットフォード1番の職人が作った鋼の鎧。
そして2本の長剣を、腰の左右に1つづつ下げている。
サラリと流れる艶の良い金髪は、首のところで結ばれて、腰のところにまで届いていた。
意志を宿した蒼玉の瞳は、希望に燃えて輝くが、年相応の落ち着きも備わり、その輝きを撒き散らすような真似はしていない。
「船の酒は不味かった。口直しもしたい」
はっきりとした断定口調。
そこは流石に、武門のノール家。
貴族は貴族でも、都で遊ぶ金満貴族とは、一線を画する無骨さがある。
だがしかし、彼女の流水のように優雅な歩き方を見れば、貴族であることは一目瞭然だろう。
アーネストは主人に従いて行きながら、ここに来た目的を思い出していた。
翡翠竜ヤーデレーゲ。
サフォ川の源流、インベル山に棲む大蛇。
その存在をライカの耳に入れたのは、とある奇妙な中年男だった。
男は13年前に、いつの間にかノール家に居ついていたらしい。
そして、当主の母、つまりライカの祖母ルチアの道化だと皆が思っていた。
なぜなら男は訳の分からない事をしきりに語り、自分は異世界人だ、などと主張していたからだ。
心を病んで奇妙な言動をする者を、道化として雇う。
笑い者にするようで悲しいが、一方で、そうした人間を食わせ、見捨てないというのも貴族の流儀であった。
そんな男が、ある時、「ニホンに帰る方法を探す、SOAのアニメが観たい」などと言い出した。
錯乱した男の旅は危険であると説得するも、頑として聞き入れない。
そこで、一家で旅の準備を手伝ってやった。
そうして旅に出た男は律義にも、旅先から時折、手紙を寄こすのだった。
ある手紙には、ヤーデレーゲを見た感動が記されていた。
「それにしても手紙の中身の、ヨルムンガンドって何なんでしょうね?」
アーネストが尋ねると、ライカは楽しそうに笑った。
「分かるわけないだろう。ヤスヒコの言うことだぞ」
「あと最後の1節。クレイトス呑まれちゃうぜ!
ゴッドオブウォー……」
「意味不明だな」
スパッと切り捨てて、含み笑いを漏らすライカ。
アーネストも明るい気持ちになる。
「翡翠竜ヤーデレーゲ。観られますかね」
「観られるに決まっている。そのためにここまで来たのだから」
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入 山 禁 止
「え……」
レーネースの貧しい家々を眺めながら、中央広場に来たライカたちを迎えたのは、彼女の希望を打ち砕く、鉄壁の立て看板であった。木製だが。
「何故だー!!!!」
ライカは天を仰いだ。
すると――
ゴンゴンゴン、と音がして、急に大地に影が落ちる。
「……む、天空城だ」
「ああ、そうですね。この辺も回るんだアレ」
遥か天空に、尋常ではないほど巨大な岩塊が浮いていた。
「アーニー、知っているか?
私はあそこに行きたくて、冒険者になりたいと思ったのだぞ」
「存じております」
「はー、いーなー。すごいなー」
子供のようにはしゃぐライカを、温かく見守る少年従者。
「知っているかアーニー?
あの岩の上には、古代文明の遺跡があるのだ。
そしてそこには黄金の竜が棲むという」
「? その話、エビデンスありましたっけ?」
ライカが固まった。
「エビダンスとはなんだ」
なにやら美味しくて楽しそうである。
「天空城関連の話は、専ら逸話か伝説です。
高々度を飛ぶあの岩の上に何があるかなど、未だ誰も知らないハズですよ」
「――そ、それがどうしたというのだ!
冒険者たるもの夢は大切にせねばならない!!」
「はい、すみません」
「猛省を促す!」
「はい、すみません」
虎の尾を踏み、説教をされるアーネストであった。
「愚か者ッ!!」
が、ライカがちょっと泣いていたので、アーネストはそれを甘んじて受け入れた。