2-1 投錨
星歴1719年。初夏。
波打つ音と、煌めく太陽、空を飛び交うカモメたち。
「うーん、やっとクェルカに着きましたね、ライカ様」
腰を捻って凝った筋肉をほぐしながら、アーネストは言った。
彼はどこからどう見ても、18歳の立派な青年である。
しかし、どこか頼りない印象を伴う――
もしかするとそれは、彼の猫背のせいかも知れない。
あるいは、彼の巻き毛の中から生える犬に似た「立ち耳」が、しきりにパタパタと動いているからかも知れなかった。
「アーニー、昨晩、それは、そろそろ止めようと言ったと思うが?」
一瞬、思い当たらなかったが、首を捻ってアーネストは思い出した。
「ああ、敬語ですか。これは止められませんよ」
「なぜだ、もう10年以上の付き合いではないか?
冒険に出てからでも1年半だ」
「それでも、僕は奴隷です。こういうのはケジメが大事なんですよ、ライカ様」
「むー、首肯しかねるが――?」
納得いかない主人に対して、従者としては判りやすい例を出すべきだ。
そんな義務を感じて、アーネストは丁寧に説明した。
「例えば、2人だけの時はタメ語で良いよ、ってなっていたとして。
僕はそれが心地よいので、どこか別のシーン、例えば、社交界でポロっと
ライカ様に対してタメ語が漏れるかも知れません」
ライカは考える。
それがどれほどマズいことか。
「お判りになりました?」
「……分かった。今日の所は引き下がる」
主従の合意が成った瞬間であった。
「さて、ライカ様、どこから始めますか?」
「そうだな、まずは冒険者宿に部屋を取ろう」
凛と澄んだ女性の声が、アーネストに応じる。
ライカは言うなり有言実行し、サッサと歩き出す。
アーネストは後に続いて歩きだした。
キラキラ輝く海面と、カモメの声が遠ざかっていく。
港を離れると、活気のあった港とは裏腹に、楚々とした街並みが広がりだす。
道は狭く、家は小さい。
小さいと言っても間口の話で、高さはある。4階5階が当たり前だ。
各階を別の家族が使っているらしく、花の飾られた窓もあれば、カーテンで閉め切られた部屋もあった。窓に張り紙が張られているから、空き室だろう。
「ん? アーニー、住宅街に出ていないか?」
「……そうですね、どこかで左に曲がらなければいけなかったのかも。見逃しましたね」
その返答に、ライカの怒りが惹起される。
「……おのれ、あの悪徳衛兵。法外な通行税を払わせておきながら……」
「吹っ掛けて来ましたよねー、上陸税。でも、鷹揚に払ったのはライカ様ですよ」
くるり、とアーネストの方へライカが顔を向ける。
その表情は、怒りと殺意を下味に、疑問で最後を調えたような、味のある表情であった。
「いやいやいやいや、ライカ様! ライカ様を非難する気など毛頭なく! 事実! ただ事実を述べただけでございます!」
路上に平伏せんばかりに謝罪するアーネスト。
ライカはそれを、味のある表情で眺めながら、
「アーニー。事実や現実こそが、最も人を傷つけるのだぞ……?」
底ごもる声を絞り出す。
「判りましたッ! 今夜の食事は、僕のおごりで! それで、どうです!?」
――それは、魔法の言葉であった。
大事なことなので、繰り返そう。
それは、魔法の言葉であったのだ。
その言葉を聞いた途端、ライカの身体から悪しき霊が抜け落ちたかのように、その表情から負の感情が溶け消えていった。
だが、
「お酒飲み放題……?」
譬えるなら、ちらりと開いた扉から、おずおずと少女が顔を覗かせている。
ライカの心も、この状態だ。
アーネストは悩んだ。
彼女の酒は、過ぎることが多い。泥酔したら後始末は自分である。
だが、とはいえ、彼女は、ここ数日、禁酒の憂き目に遭っていたのだ。
「飲み放題……?」
「少し、考えさせてください」
クェルカの領主マーチ=クペーツは傘下の船に、船上の飲酒を禁じている。
水に乏しい船上で、酒類禁止は論理的ではないのだが、それはクェルカ候が代々、星教保守派であることに原因があった。
星教では秩序を重んじ、混沌を排する。
当然、酒による酩酊も禁じられている。
更に、1673年に起こった、第2次エバーマイン戦争も、根強く尾を引いているかも知れない。
ドワーフの共和国エバーマインと、旧大陸から来たヒューマンの侵略新興国エレニア王国の戦争が40年以上前に勃発した。
当時のクェルカ候はエレニア水軍を任されていたが、それがドワーフ水軍の鉄甲船に大敗したのだ。
他方、陸戦ではエレニア側の大勝となり、クェルカ候は汚名を負った。
――ドワーフは、星教においては人に劣った亜人である。
また、大酒飲みで知られる。
これらの合わせ技で、酒が禁じられているのだろう、という話であった。
「……判りました。飲み放題。ただし終鐘までですからね!」
終鐘というのは、日没から真夜中までの中間時点。
その時間になると、地区の星堂の鐘楼から、時を告げる鐘が鳴る。
アーネストにとって、これは最大の譲歩であった。
なぜなら今は、夏真っ盛り。
日没が遅い分、終鐘も当然遅くなる。
星鐘(真夜中)までは、さすがに許さない、という固い決意が伺える発言なのだ。
「……………」
探るような表情のライカは、ちょっと考えた後、
「うん。良いな。夕食が楽しみだ。さて、何から始める??」
如実に機嫌を直した。
アーネストは安心して、逆立てていた尻尾を下ろす。
「最初は街の人に聞いて、冒険者宿の場所を聞きましょう」
「うんうん。良いな。アーニーは賢いな」
上機嫌で、アーネストの頭を撫でるライカ。
それに対して、アーネストは気恥ずかしくて仕方なかったが、奴隷という自分の身分、それと、この行為を拒否した時のライカの傷心を想って、甘んじて受け入れる。
「では、聞き込みを始めようか」
ライカがそう宣言し、アーネストは追従した。
この時の2人は――これが竜を殺す冒険に繋がるとは、思っていなかった。




