1-1 冒険の約束
星歴1710年の秋祭り。
ウェットフォード地方のノール伯爵領では、秋晴れの中、収穫祭が開かれている。
「極星神テミスのご配慮で、今年も豊作になった! 束の間の休息だが、皆も楽しんでくれ!」
領主のバルドー=ライナ=ノールが馬上から領民に宣言し、馬首を巡らせて去っていく。
「父上もお忙しいな。この後の演劇くらい見ていけばいいのに……」
美しい金髪をサラサラと風になびかせて、10歳の少女がため息を吐いた。
彼女は宴に加わるのではなく、少し離れた丘の上から、悠然と宴を見下ろしている。
「アーネスト、キミは楽しい?」
少女は、隣で同じ光景を見ていたであろう、一歳下の少年に声を掛ける。
「僕はあまり」
ボサボサの黒い巻き毛のてっぺんから生えている、犬のような立ち耳をピクリと震わせながら、少年が返答する。
華麗なドレスを着た少女に対し、少年の服は薄汚れた粗末な物。
それも当然だ。
農園の奴隷である彼には、服は年に1着しか支給されない。
農園は、街とは違い、領主であるノール家の人間か、そこで働く奴隷しか出入りしない。
部外者の目など気にする必要は無いのである。
他方、街にあるノール家の邸宅で働く奴隷たちは、そうではない。
汚い格好などさせていては、家の体面に関わるからだ。
「ライカお嬢様は、楽しいですか?」
「私? 楽しいよ。だって世界は今日も綺麗だ」
少女は微笑み、周囲を見回す。
「…………そうですかね?」
主人の娘の意見に反論するなど、奴隷としては失格だ。
もしここに他人の目が有るか、ライカ自身が父に告げるかしたら、何らかのペナルティを受けるだろう。
そんな危険な言葉を無気力に吐いて、少年は空を見上げた。
そんな少年に苦笑して、少女は励ますように声を掛ける。
「そうだよ、綺麗だよ。でもねアーネスト、私にはもっと見たい光景がたくさんあるんだ」
少女は蒼い瞳を輝かせ、微笑みながらそう告げる。
そして続けて、
「ねぇアーネスト。私、大きくなったら冒険者になりたいんだ」
囁くように、だが噛み締めるように、ライカは言葉を紡いだ。
意外な言葉に、アーネストは呆然とする。
「冒険者、ですか」
「冒険者になって、色んなダンジョンの信じられない絶景を見たいんだ」
犬耳の少年は少し首を捻り、
「ライカ様はノール伯爵家の一人娘ですよね?」
「うむ、そうだ」
快活に頷くライカ。
そこに次々とアーネストの冷静な言葉が飛ぶ。
「ご兄弟は居られませんよね?」
「う……そうだが……」
「跡取りは家を出られませんよ?」
「ぐっ、キミ、私が気持ちよく将来の夢を語っているところに……!」
心底傷ついた顔をして見せるライカお嬢様。
さすがに申し訳なくなりアーネストは謝ることにする。
「……すみません」
「……分かればいい。それにその件に関しては解決の可能性がある」
得意げに笑うライカに興味を惹かれ、アーネストは訊ねた。すると答えは、
「フフン」
と、形の良い鼻で一度笑ってから、
「母様のお腹に妊娠の兆候ありッ!!」
ビシリッと指を突き付けられたアーネストは少し驚き、
「……ぉー、それはおめでとうございます」
「その子が男の子であれば、私は冒険者になる可能性を得られる」
スラリと細い身体を自慢げに反らして腕を組み、どうだ、と言わんばかりのライカお嬢様。
「でもそれ確率50%では?」
「50%? 良いな、有利だ」
「……有利?」
言葉を疑いライカのサファイアのような瞳を見ると、自信満々、燃えている。
一瞬、バカなのかなこの人と考えかけて、いや、違うとアーネストは気づく。
領主の娘が算術を教わっていないはずがない。
普通の奴隷のように、寝る前の空いた時間に勉強するのとは訳が違うのだ。
つまりこれは、一種の修辞。
50%でも十分勝機を掴む、という意味だろう。
なぜなら、今までは0%だったのだから。
「……ご当主様の跡取りご子息、生まれると良いですね」
「生まれるさ。その時は、アーネストも一緒に冒険者になろう」
「えっ?」
ライカの瞳が、静かな青い光を湛えて向けられる。
「いや、無理ですよ。僕は農園の奴隷です。幸い、他の人と違って労働免除で勉強させて貰っていますが、それはつまりご領主様が、僕を何らかの知的労働に利用したいということです。勝手に冒険者にはなれません」
「アーネストは我が家の奴隷なんだから、私の奴隷でもある!」
「……無茶な論法だなぁ」
「では父と交渉して、君を連れ出すことに許可が取れたらいいか?」
変わらぬ熱意で告げてくるライカに、アーネストも根負けし、苦笑いで一つ頷く。
「ええ、ご領主様のご許可があれば」
合意を得て満足そうに踵を返すライカお嬢様。
話が済んで帰るのだろう。
あまりに一人で抜け出していると、彼女の世話係が青い顔をするのだ。
「……まぁ、お父様は私には甘い。すごく駄々をこねれば、イケるだろう」
「なんですって?」
アーネストの鋭い耳には、去り行くライカの不穏な目論見が丸聞こえであった。
「ともかく、約束したよアーネスト。大きくなったら一緒に冒険者になる。良いね!」
爽やかな秋風が吹く。
それはまるで、この少年少女が結んだ儚い約束を祝福しているかのようであった。