第95話 アリスとミツキ①
アリスはミツキを、コンデコマ市にある自宅へ連れ帰った。 鉄筋二階建ての借家だ。『セレスティアル・ドラゴンズ』の事務所を兼ねている。
「ここがアタシんち。 市民権を買うまでここで一緒に住もーね」
「おじゃましまーす」
◇❖◇
ミツキが中に入りアリスの家のドアが閉まるのを遠くの物陰から見届けて、軍務局の尾行チームは諦めの表情。
「ここまでだな」
「ああ、もうムリだ。 クイ混じりと、ダレノガレ武術大会の準優勝者。 最強コンビと言って差し支えない」
「付け入る隙がないぜ。 オレたちの尾行もタカラズカに勘付かれていた節がある」
◇❖◇
部下から報告を受けた軍務局長サヌキド伯爵は、尾行チームと同じ判断に達した。
(最早これまでか。 もう手立てがない。 睡眠薬もオーガの咆哮も効かなかった)
こうしてエクレア小国軍務局は、ミツキが市民権を購入するのを待たずして、ミツキ捕獲を諦めた。
◇❖◇❖◇❖◇
翌日、アリスとミツキはコンデコマ市の法務局で1億モンヌを支払い、市民権を購入した。
アリスはミツキに笑いかける。
「これで安心だね♡」 エヘヘ、これでミツキくんは私の物。
「うん♡」 ヤレヤレ、やっと ノンビリ 暮らせる。
◇
法務局に来たついでに、アリスはミツキを『セレスティアル・ドラゴンズ』のパートナーとして登録した。 "パートナー" とは共同経営者。 給与で雇用される所員と違い、事業所の運命共同体だ。
アリスはパートナーについてミツキに説明する。
「事業所の収益に比例してミツキくんの稼ぎが増えるの」 給料とは違うの。 だから頑張ってね。
「うん」
◇❖◇
法務局から自宅に戻ると、家の中でテレホンが鳴っていた。 ルルルッルルルッルルルッルルルッルルルッルルルッ...
「鳴ってる!」
アリスは慌ててドアの鍵を開け、家に入った。
◇
ミツキが玄関の鍵を閉めてリビングに入ったとき、アリスはテレホンで会話中だった。
「はい、空いてます」「え、ラットリング? じゃあ イイ です」「ハイ、どうも」
通話を終えたアリスにミツキは尋ねる。
「今のテレホンは依頼?」
「うん、ハンター協会から。 でも断っちゃった」
「ラットリング退治だろ? なんで断ったの?」 クルチアなら大喜びだ。
「ウチは大物しか扱わないの」
◇
ほどなくして、またもやテレホンが音を鳴らす。 ルルルッルルルッルルルッルルルッ! 武術大会で活躍した直後に限っては、アリスの事業所も依頼が多い。
アリスはテレホンの受話器を取り上げた。
「もしもし」「ハイ、そうです」「え?」「あ、じゃあ結構です」「ハイ、どうも」
通話を終えたアリスにミツキは尋ねる。
「今のテレホンも依頼?」
「うん。 でも断った。 早い物勝ちだったから」
「早い物勝ちって?」
「ハンター協会が複数の事業所に依頼を紹介するの。 で、いちばん先に現地に到着した事業所が仕事をもらえるの」
「一番乗りじゃないと無駄足ってこと?」
「そうなの」
「それは嫌だね」
「でしょ? 報酬は5割増しなんだけどね」
◇❖◇
マトモな仕事が来ないので、アリスはイライラし始めた。 彼女は5千万モンヌの借金を負う身。 今も刻一刻と借金の利子が膨らんでいる。
(早くマトモな仕事きなさいよ! 利子だけでも10日後で2千5百万、1ヶ月後には7千5百万を返済しなきゃいけないのに)
ミツキを獲得するためアリスは違法な金融ショップで無茶な借金をした。 銀行はもちろん正規の金融ショップも、零細事業所の所長に即座に5千万モンヌも貸してくれない。
(ミツキくんがいても、仕事が来ないと意味ないじゃん! プリプリ)
ミツキはアリスのイライラを敏感に察知した。
「ねえアリス、なんかイライラしてる?」 オレのせい?
「イライラなんかしてませんケド?」 イライラ
借金のことはミツキに言うまいと心に決めている。 ミツキに心の重荷を負わせまいとする気遣いだ。
「オレのせいなの?」
ミツキはストレートに尋ねた。 気がかりなコトを胸に溜め込むのは苦手なほうだ。
「違うの。 借金のせいなの」
アリスは決意を簡単に翻し、借金の存在を打ち明けた。 アリスもまた、溜め込むのが苦手なタイプだ。
「借金?」
「えっとね―」
こうしてアリスは借金にまつわる全ての情報をミツキと共有した。 アリスが隠し事その他に用いる精神的な容器は、ミツキのそれに似る。 Sサイズでフタが軽い。 つまり開きやすい。 ともすれば内容物が口を突いて出る。
◇❖◇
三度テレホンが音を立てる。 ルルルッルルルッ!
アリスは即座に受話器を取り上げた。 もしもしっ。
「ハイ、そうです」「護衛? あー、ウチはそういうのやってないんで」「ハイ」「ハイ、どうも」
乱暴に受話器を戻すアリスに、ミツキは疑わしげな視線を送る。
「今のも依頼でしょ?」
さすがにミツキも気づき始めた。 アリスの仕事に対する姿勢に問題があることに。
「まあね。 でも護衛の仕事だったの」
「なんで護衛は嫌なの?」
「だって雇い主とずっと一緒だよ? 気疲れしちゃうじゃん」
「でも借金があるんだし、少しは我慢しないと」
クルチアが言いそうなセリフ。 それをミツキが言うなんて。
「大丈夫だって。 まともな依頼が来れば5千万ぐらいすぐ簡単に返せるし」
「さっきから断ってばかりじゃないか」 どんな依頼なら "まともな依頼" なのさ!
ミツキの小さな胸中に小さな不安がわき起こる。 大丈夫なのかな、この事業所?
◇
ルルルッ! またもやテレホン。 ダレノガレ武術大会での準優勝は、大変な宣伝効果だ。
アリスは即座に受話器を取り上げた。 もしもし。
「ハイ、そうです」「え、またラットリング?」「いや、こっちの―」
次の瞬間、受話器はミツキの手の中にあった。 ほのかに香るキンモクセイの匂い。 ミツキが加速してアリスの手から受話器を奪い取った。
「おテレホンお代わりました」
クルチアが言っていたセリフを真似てみた。 でも、少し間違っている。 正しくは "おテレホン代わりました" だ。
通話の相手は怪訝な声。
「えーと、どちら様?」
無理もない。 ミツキの声は小学生のソプラノボイス。
「ご心配なく。『セレスティアル・ドラゴンズ』のパートナーです」
「いやでもあなた...」子供だよね?
ミツキは、せいぜい重々しい声を出す。
「私はカスガノミチ・ミツキ。 パートナーとして法務局に登録済みです。 信じられないなら法務局に問い合わせてみてください」
「いや、そういうことなら」
通話相手はミツキの説明を受け入れた。 子供という点ではアリスも似たようなものだし。
◇❖◇
ハンター協会との通話を終えたミツキに、アリスが尋ねる。
「依頼を受けたの?」
ミツキをなじる風でもない。 アリスも本当は分かっていた。 仕事を選り好みしている場合じゃないと。 誰かに背中を押して欲しかった。
「受けた。 ゴードー任務って言ってた」
「えー、合同任務?」 やだな。
「ゴードー任務って何?」
「モンスターの数が多いときに、複数の事業所が合同で退治するの。 で、任務の詳細は? ちゃんと覚えてるの? ミツキくんメモ取らなかったでしょ」
「えーと...」
任務の詳細を思い出しながら、ミツキは重い疲労感を感じていた。 不慣れな、そして性に合わぬ真似をした疲労感である。




