第86話 愛を与える作業
クギナは呼吸をやめて横たわるトオマスの上半身を抱き締めて、ただ涙を流す。 死につつあるトオマスと、トオマスがクルチアに抱いていた思いの強さ。 ショッキングな事実のダブルパンチで、泣くことしか出来ない。
「どいて、オウリンさん」
クルチアはクギナからトオマスの体を奪還した。 クギナは抵抗を見せずトオマスを明け渡し、四つん這いになって泣き続ける。 ウォー、トーマスー。
クルチアは手早くトオマスの呼吸と鼓動を確認する。
(ヒィッ、ホントだ息してない)
背筋を這い上がる悪寒と絶望を必死に押し下げて、クルチアは下腹に力を込める。
(でも、まだ遅くないはず!)
愛を与えてトオマスを死の淵から呼び戻すつもり。
◇
愛を与えるには、まずトオマスの意識を取り戻さねば。 与えられた愛を感じるのに意識が必要だから。
そこでクルチアはトオマスの頬を叩き始めた。 ペチペチ、ペチペチ。 お願い意識を取り戻してトオマス先輩!
ペチペチ、ペチペチ。 トオマスの白皙が茜色に染まるころ、微かな呻き声がトオマスの口から漏れる。
「ゥ」
「先輩ッ!」 呼吸が戻った!?
大いに勇気づけられたクルチアは、いっそう熱心に頬を ペチペチ。 同時に、声掛けも忘れない。
「先輩っ、トオマス先輩っ、しっかりして!」
ウゥッ。 かすかなうめき声。 同時にクルチアは ペチペチ の手応えが薄らぐのを感じる。 トオマスがクルチアの ペチペチ を逃れるように顔を動かしている。 ペチペチ を嫌がっている! そしてトオマスの両目が薄く見開かれる。 トオマスの意識が完全に戻ったのだ。
「先輩ッ!」
◇
意識が戻ったら、次は愛を与える作業です。 クルチアはトオマスの上半身を抱き締めて、精一杯の愛情を送る。
「先輩、元気になって!」
クルチアの愛は無事に伝わったらしく、トオマスは復活した。
「ウウッ、マイ・レディー...」
腕を地面に突いて起き上がろうとするトオマス。
そのトオマスに、クギナが歓喜の声を上げて抱きつく。
「トオマスっ!」
◇◆◇
復活したトオマスは、あぐらをかいて床に座り込む。 彼の表情は暗く、元気がない。 かろうじて復活しただけである。
「申し訳ないマイ・レディー。 とんだ醜態を」
クルチアはトオマスの手を握っている。 愛情を送っているつもり。
(困ったものね。 どうしましょう)
いつまたトオマスにグラりと来られるか知れた物ではない。
(ずっと手を握り続けてるわけにもいかないし...)
悩むクルチアをクギナが押しのける。
「どけイナギリ、私がトオマスに愛情を与える」
「ちょっとオウリンさん、主君じゃないと意味がないのよ?」
「大丈夫だイナギリさん。 もう簡単にグラりと行ったりしない」
(本当かしら?)
クルチアには痩せ我慢としか思えない。 トオマスは顔色が悪く、この短時間のうちに頬がこけた気がする。 でもどの道、ずっと手を握ってはいられない。 抜本的な対策が必要なのだ。




