第57話 トイレ①
第2グループの試合が始まる頃、ミツキが言い出した。
「ションベンしたい」
「じゃあ今のうちにトイレに行っとこっか」
ミツキの試合は第4グループ。 トイレに行っておくには手頃なタイミングだ。 クルチアも、まあまあトイレに行きたい。
「じゃあ私も」
アリスが参加を表明した。 アリスの試合も第4グループ。 トイレに行っておくには良い頃合い。
サクラノヒメが、アイシャドウの乗った切れ長の目をすっと細める。
「アリスよ、お主まことに尿意を催しておるのか?」 厠への道すがらミツキを勧誘するつもりではあるまいな?
アリスが目をそらしたので、サクラノヒメもトイレに付いて行くことにした。
サクラノヒメは隣のベンチのサホウに声を掛ける。
「サホウよ、お前も今のうちに厠へ行っておけ」
サホウの試合は第3グループ。 今のうちにトイレに行っておけばいい。
こうして5人は連れ立ってトイレに行くことになった。
◇◆◇
トイレへの道中でサホウが疑問を口にする。
「サクラさん、どうして盾を持ってきたんです?」 目立って仕方ないです。
「お主が持たぬからじゃろうが!」
怒ったように答えるサクラさんの足元には水たまり。 水使いである彼女は、いつも水たまりを連れている。
「ベンチに置いとけば良かったんですよ」 ほら、みんなこっちを見てる。
「盗まれたらどうする? このように貴重な物を」
コミカグラ・サホウの盾はエテルニウム製。 世にも希少な戦闘貴金属で作られたこの盾は、サホウとサクラノヒメの事業所の名前『金の盾』の由来である。
「よければ私が持ちましょうか?」
クルチアが親切に申し出た。
サクラは手短に拒絶。
「よい」
クルチアはがっかり。 エテルニウムに触れてみたかった。
(あ~あ、残念。 せっかくの親切なのに。 嗚呼、エテルニウム、エテルニウム。 この世で最も硬く、美しく、汚れを知らぬ金属よ。 高熱でも酸でも衝撃でも決して破壊されず傷つかず色褪せない永遠の金属。 至高の戦闘貴金属...)
「クルチア、ヨダレが出てるよ」
ミツキに指摘され、クルチアは唇の端をハンカチで拭う。 やだ、私ったら。
◇◆◇
室内競技場のトイレまでやってきて、5人は愕然とした。
「うわあ、人がたくさん」
トイレの前に行列ができていた。 2回戦が終わった後のトイレは空いていたのに。
「決勝は観客が増えるからのう」
だからトイレ利用者も多い。 ダレノガレ競技場で現在トイレに行きたい人の7割が、室内競技場に最寄りのこのトイレに集っている。
「どうする? やめとく?」
クルチアの尿意はさほどでもない。
しかしミツキは尿意が切迫していた。
「並ぶ」
こうして5人はトイレ待ちの列に並んだ。
◇◆◇
トイレの順番を待ちながら、ミツキはクルチアに訴える。
「クルチア」
「なあに?」
「オシッコしたい」
「知ってる」
ミツキとクルチアの他愛のない会話。 しかしコミカグラ・サホウは、その会話から2人の関係性を把握する。
(う~ん、カスガノミチくんはイナギリさんにべったり。 これは引き抜きは無理か)
サホウは少し考えて思いつく。
(いや、発想を逆転するんだ。 イナギリさんを引き抜けば芋づる式にカスガノミチくんが付いて来る。 いなぎりハンター事業所をウチに吸収すればいい)
「イナギリさん」
サホウに声を掛けられ、クルチアは大喜び。
「はい、なんでしょう♡」 キャッ、コミカグラさんが私に直々にお声を!
コミカグラ・サホウは頻繁にメディアに取り上げられる超有名ハンター。 プロのハンターを志すクルチアは当然かねてより彼を知り、憧れてもいる。
「考えたんだけどね―」
サホウは腹黒くない人物なので、自分の思惑を率直にクルチアに打ち明けた。
◇
サホウの話を聞いて、クルチアは楽しそうに笑う。
「聞いたミツキ? あなたおイモさんですって」
実直なサホウは、自分の思考を一字一句ほぼそのまま伝えていた。
「それならクルチアは蔓じゃないか」
無益な言い合いが始まり、サホウは反省した。
(比喩が適切じゃなかったか。 何か適切な言い回しは... そうだ、将を射んと欲すればまず馬を射よ)
新たな口げんかの火種を含むその表現をサホウが口にせんとするとき、サホウに声を掛ける者がいる。
「よう、コミカグラ」
声の出どころにサホウが目を向けると、そこには長身のサホウより1回り大きな男性。
「カエデガリ先輩。 ご無沙汰してます」
カエデガリはサホウがかつて所属した大手事業所で先輩だった人物だ。
「余裕だなサホウ。 オレとの対戦を前に、女連れでトイレに並ぶとは」
◇
カエデガリはサクラとアリスに愛想を振りまき、お喋りを始めた。 クルチアはカエデガリに話しかけられるのを今か今かと待ち続けるが、彼の視線は一向にクルチアに向けられない。 まるでクルチアを視界に入れるのを拒むかのよう。
(私とは... お話したくない?)
カエデガリは話し上手で、気難しいところのあるサクラとアリスをしきりに笑わせる。 楽しげな笑い声を聞きながら、クルチアはズルズルと惨めな気持ちに陥る。
(たしかにサクラさんは美人だしアリスちゃんは可愛いけど... やっぱり私がポッチャリしてるから? 死ぬ気でダイエットしてれば、こんな目に遭わなかった?)
クルチアの表情を観察していたミツキが、おもむろに悪態をつき始める。
「あいつってさあ、ブサイクだよね」
「あいつって?」
「あのカエデガリとか言うヤツ」
「ブサイクかしら?」
サホウほど男前ではないがオシャレで精悍で剽軽で、女性にモテそうだ。
(あんな男の人に話しかけられる女に生まれたかったなー)
後ろ向きなクルチアの思いを断ち切るかのように、ミツキは力強く断言する。
「ブサイクだよ。 耳に飾りをつけたり髪型を工夫したりしてカッコよく見せてるだけさ。 それに、ああいうヤツは性格が悪い。 女を泣かせるタイプだ」
根拠の怪しいカエデガリの酷評をミツキに聞かせ続けられるうちに、クルチアは気付いた。
(そっか、ミツキは私を慰めようとしてるのね。 カエデガリさんの悪口で)
ミツキの締めの言葉が、クルチアの推測の正しさを裏付ける。
「だから気にすることないよ」
ミツキの幼稚な慰め方も、クルチアの気を紛らわせる一定の効果はあった。
「私を慰めてくれてたのね。 ミツキ」 慰め方が難解だったけど。「ありがとう」
お礼にクルチアはミツキの頭を撫でる。 ミツキはクルチアの手の感触を一生懸命に味わおうとする。 しかし味わえない。 クルチアの撫で方が妙にあっさりしている。 クルチアの撫で気が薄いのだ。 ミツキは危機感を抱いた。 このままでは、すぐに撫でられ終わってしまう。 あっダメ、今にもクルチアの手がオレの頭を離れそう! ミツキはクルチアを撫でさせ続けようと、懸命に慰めの言葉をひねり出す。
「アイツはさあ、きっとほっそりした女の子が好みなんだ」 クルチアがあいつの好みに合わないだけさ。 だから気を落とさないで。
頭を撫でるクルチアの手はピタリと動きを止め、ミツキの頬に移動した。
◇
ミツキの頬をつねったというのに、クルチアの心は晴れない。 つねって実感したことがある。
(ミツキのほっぺた、ずいぶんお肉が落ちてる。 月曜日につねったときは、まだ十分プヨプヨしてたのに。 このぶんじゃ、きっとお腹の肉も...)
クルチアは学校でクシナダさんから報告を受けていた。 ミツキのダイエットを始めた、と。 食物繊維が多く満腹感を得られやすいお菓子を与えたり、室内でできる運動をさせたりしているとのこと。 それにしても痩せるペースが早すぎる。
(どうしてミツキは簡単に痩せちゃうの? どうして私の脂肪はなくならないの? 私だって腕立て伏せとかしてるのに。 私もほっそりしたい...)




