第5話 人間様の恐ろしさ
休憩を終えて、クルチアは立ち上がった。
「まだ時間はあるわね。 次の亀裂に行ってみましょ」
老朽化が進むゲータレード市の防壁に生じる亀裂は1つではない。
「まだやんの?」 危ない目に遭ったばかりなのに。
「もちろん」
クルチアは写真持ち込みで小銭を稼ぐハンターにとどまるつもりはない。 彼女の志望はプロのハンター。 依頼を受けてモンスターを退治する正真正銘のハンターだ。 そのために必要なのは実戦だと信じている。
◇◆◇
2つ目の亀裂には先客がいた。 4人のハンターがラットリング4匹と戦っている。 4人とも若い。 学生だろう。 クルチアの同類だ。
「あー、先を越されちゃってた」
他のパーティーが戦闘中のモンスターに手を出すのはご法度。 獲物の横取りと見なされトラブルになる。
「仕方ないわね。 次の亀裂に行きましょう」
防壁の亀裂は1つや2つではない。
◇◆◇
3つ目の亀裂では防壁の上に7~8人の集団がいた。 亀裂に群がるラットリングに怒鳴ったり物を落としたりしている。
「何してるのかしら?」
近寄ると、集団の中にスーツ姿の人物が数名。 明敏なクルチアはそれで察した。
「ようやく防壁が修繕されるのね」
防壁の上の一団は、防壁の状態を調べる市の調査団だった。
調査団との距離が近づき、彼らの発する言葉が明確に理解できる。
「あっちへ行け、ネズミどもめ!」
「テコの原理とは生意気だぞ、げっ歯類のくせに!」
防壁の上から投げる物が尽きたらしく、数人がラットリング目掛けてツバを吐き始めた。 ペッペッ。 大変な敵愾心だ。 市の運営に携わる彼らは市を愛する心も人一倍。
だがラットリングは意に介さない。 頭上から降って来る物がツバだけとなった今、頭上で騒ぐ人間は完全に無視。 本能の命ずるまま亀裂の拡大に邁進する。
「やめろって言ってるだろうが!」
感極まった1人が、おもむろにズボンのチャックを下げた。 人間様の恐ろしさを思い知らせてやるッ!
クルチアは何が行われるかを予期し、女の子らしい悲鳴を上げる。 キャッ。 同時に両手を両眼にあてがい視覚情報をシャットアウト。
耳を澄ませるクルチアのもとに、予想に違わぬ水の音が届き始める。 ジョボジョボ
「もー、やだー」
水の音に連動してラットリングが嫌がる声が聞こえる。 ギュッチギュッチ。 効果はあるようだ。
新たな水の音が加わる。 ジョボジョボ。 効果ありと見て真似る者が出たと見える。
しばらく続いた鳴き声と水音が途絶え、再び罵り声。
「くそっ、また掘り始めやがった」
もう大丈夫かしら。 クルチアは顔を覆う手をどけた。 防壁の上に目を向けると、調査団の数人がクルチアを見ていた。
そのうちの1人が声を上げる。
「おおい、そこの女の子。 あんたハンターだろう? こいつらを退治してくれんかね?」
クルチアは凍りつく。 えっ、私が戦うの? オシッコまみれのラットリングと?
「無理です! ごめんなさい」
男に叫び返し、クルチアは返答を待たず踵を返した。
「帰るわよ、ミツキ」
その後を追いながらミツキは尋ねる。
「戦いたいんじゃないの?」
クルチアは足早に現場を遠ざかりながら答える。
「あんた戦いたいの? オシッコまみれのラットリングと」
ミツキは首を横に振った。
◇◆◇
去りゆく女子ハンターを引き留めようと懸命に叫ぶ調査団。 その中に1人、遠ざかる2人連れに異なる興味を抱く者がいる。 グレーのスーツに身を包み銀縁メガネをかけた中年男性だ。 エリートである彼は広い視野で物事を見るから、壁を掘るラットリング数匹の撃退に執心しはしない。
男性は防壁の上から、鎧を着た少女と小柄な少年の背中を見つめる。
(子供2人でモンスター退治? しかも少年はジャージ姿。 あんな格好で、なぜ平気で野外をうろつける?)
◇◆◇◆◇
ゲータレード市の門をくぐると、周囲の喧騒を圧する大声が響き渡っている。
「ウィークリングさん、ゴメンなさい! お許しください妖精さま!」
ヤケクソな声が耳障りなことこの上ない。
声の主は大柄な若者。 武装していないが鍛えられた体つき。 察するに戦闘職だ。 怒ったような目で中空を睨み、こめかみに脂汗を浮かべている。 顔が赤い理由は怒りか羞恥か。
「この通り反省しています! 許してください!」
虚空に向かって謝罪を続ける若者。 彼の周囲では数人の仲間が、集まった野次馬を威嚇している。 見世物じゃねえ! アニミテンダ ゴラァ! 散れ散れ! 集まってくんじゃねーよ。
クルチアとミツキは野次馬の傍らを通り過ぎる。 その折に、野次馬に混じる中年の男性のつぶやきが聞こえる。
「馬鹿な奴らめ。 あんな態度じゃウィークリングの反感を買うだけさ」
男性の声には愉悦が混じっていた。