第4話 メンドくさい
巨大な門歯に左右から迫られながら、クルチアは確信している。
(ミツキなら、きっと左右のラットリングをどうにかしてくれる)
ミツキに助けてもらうとき、クルチアはいつも何が起こったのかサッパリわからない。 ミツキの動きが素早すぎて。 だからクルチアは助けられた後、ミツキに事情を細かく問い質さなくてはならない。
(今回はどう助けてくれるのかしら? 左右のラットリングをすっ転ばすの? それとも "意識の外からのパンチ"?)
"意識の外からのパンチ" は攻撃を予期し得ないから、狙われた相手は身構えられない。 顎にヒットしようものなら確実にノックダウン。 超高速で動き回るミツキは全てのパンチが超高速で視認不可能。 だから彼の場合、普通のパンチが "意識の外からのパンチ"。 そして質の悪いことに、ミツキは好んで顎を狙う。
◇◆◇
今回ミツキはすっ転ばすことを選択した。
ただし、すっ転ばされたのはクルチア。
「えおっ」
後ろから突き飛ばされ、変な声が漏れた。
前のめりにつんのめったクルチアは頭から地面に急接近、今しがた斬り殺したラットリングの死体が目前に迫る。
「のうっ!」
クルチアは死体とのランデブーをギリギリで回避。 だが手に持つバスタード・ソードが手の中で跳ねる。 危ないっ! と思った瞬間クルチアの手から剣が奪い去られ、クルチアは無事に頭から地面に突っ込んだ。
◇◆◇
(も~、ミツキったら! なんで私を突き飛ばすの?)
地面に転んだままクルチアが後ろを振り返ると、2匹のラットリングは地面に倒れ気絶していた。 ミツキはクルチアの剣を地面に突き立て偉そうにふんぞり返っている。
クルチアが振り向いたのを見て、ミツキが近寄ってきた。 金色の花の香りをまとって。
ミツキはバスタード・ソードをクルチアに差し出す。
「早くトドメを刺しなよ」
ミツキは倒すが殺さない。 グロいのが苦手だから。 蚊は叩き殺せるがハエは駄目。 蚊に比べて圧倒的なボリュームを誇るハエの体が、潰したときに出て来るモノの多さを予感させる。 モンスターを切ったり突いたり出来ないのも同じ理屈だ。
◇◆◇◆◇
気絶する2匹の息の根を止めたクルチアは、血に汚れた愛剣を手近な雑草になすりつけながら今しがたの戦闘を振り返る。
(ダメね私。 ミツキが助けてくれなければ一匹も倒せてなかった。 逃げるしかなかった)
熟練の戦士ならラットリング5匹を相手に互角に渡り合う。 プレミア級の戦士なら10匹だって斬り伏せる。
クルチアは小さく溜息。
(フゥ 強い人は、どうやって強くなったのかしら?)
少しばかり悩むうちにクルチアの剣はピカピカになった。 名も知らぬこの雑草は血と脂を大変よく吸着する。 ハンターが刃を拭う血と脂を栄養源にしている節がある。
剣を鞘に収めるクルチアにミツキが近寄って来た。 顔に浮かべる笑みはニコニコとニヤニヤの中間ぐらい。
「今日は特に危なかったね」
(始まったか。 メンドくさい)
クルチアの心の中で面倒くささが鎌首をもたげる。 だが、その気持を顔には出さない。 面倒くさい顔1つで、ミツキは簡単にすねる。
クルチアは穏やかな表情を心がける。
「そうね」
答えながら彼女はナップサックを開き、インスタントカメラを取り出した。 インスタントカメラは "カメラ" と呼ばれる魔道具の一種。 魔力の働きにより、その場で写真が現像される。 退治したモンスターの写真をハンター協会に持っていくとおカネをもらえる。
「オレがいなかったら、どうなってたことか」
ミツキにも恩着せがましい自覚はある。 でも仕方ない。 クルチアが感謝の表明に意欲的じゃないから。
「本当ね。 ありがとうミツキ」
素直に感謝の言葉を述べるクルチア。 意欲的じゃなくても素直ではある。
だがミツキはこの程度では満足しない。 彼は貪欲だった。
「オレがいて良かったね」
「そうね」
クルチアは忙しそうにラットリングの死体を写真に収める。 パシャパシャ。 あ~忙しい。
「助かったよね?」
「ええ、本当に」 パシャリ
クルチアは辛抱強く応答。 ミツキに命を助けられたのは否定できない。
「クルチア死んじゃうとこだったんだぞ。 オレがいたから良かったものの」
「そうね フゥ」
ミツキがクルチアの顔を覗き込む。
「いま溜息ついた?」 メンドくさいの? ねえ、ねえ?
クルチアの声音に混じる微量の溜息を、彼の鋭敏なレーダーが感知した。
「大丈夫よ、ミツキ」 大丈夫。 ぎりぎりセーフだから心配しないで。
「本当?」
「ええ大丈夫」
クルチアがニッコリ笑い亜麻色の頭髪を撫でると、ミツキはようやく満たされた。
クルチアが1匹も自分で倒せなかった場合、このやり取りにミツキの小言が加わる。 神速の妖精クイックリングを父に持つミツキは、比類なき戦闘力を誇るクリーチャー。 だがその反面、とてもウザい。 ミツキのウザさに耐えミツキを使いこなせるのは世界にわずか数人。 クルチアはその稀有な数人の1人だった。