第105話 本気になったクルチア
いまクルチアは学校だ。 休み時間を利用して、学校の図書館で借りた本を読んでいる。 ゲータレード市立高校の図書館は200万冊を超す蔵書を誇る。 蔵書には剣術指南書も多数。 そのうちの1冊をクルチアは今、読んでいる。
「フムフム、そういうことなのね」
休み時間の騒がしい教室で、クルチアは学級委員長ならではの集中力を発揮して読書に励む。 フムフム
そこにクシナダさんがやって来た。
「イナギリさん、今日の練習テーマは決まった?」
クシナダさんは、ミツキがアパートに戻らぬと伝えられ悲嘆に暮れたが立ち直り、クルチアと一緒に強くなって精鋭事業所『セレスティアル・ドラゴンズ』に入所すると言い出した。 昨日からクルチアと共に、放課後の運動場の片隅でトレーニングに励んでいる。
クルチアは集中を解き、クシナダさんに顔を向ける。
「えっと、今日はこれを練習しよっかなって」
練習テーマは日替わり。 クルチアが剣術指南書を読み漁り気になった箇所を練習する。
クシナダさんはクルチアが読んでいる指南書に視線を落とす。
「すり足? なあにコレ?」
「フットワークの一種ね。 足の裏で地面を擦るようにして、静かに歩くの」
「変わったフットワークね」
剣術の授業で教わるオーソドックスなフットワークに、すり足は含まれない。
「ええ。 でも、きっと役に立つ気がするの」
「わかった。 じゃあ今日はすり足の練習ね」
クシナダさんは目下、クルチアの判断に全幅の信頼を置いている。 クシナダさんとクルチアは中学時代からの付き合い。 "マジ" になったクルチアがプチ・ミラクルを起こすのをクシナダさんは経験経験済み。 そして今クルチアは "マジ" になっている。 だからクシナダさんは、クルチアが剣術部に入らず自己流でトレーニングすると言い出したときも追従した。
◇❖◇❖◇
トレーニング開始から一週間、クルチアは放課後の自己流トレーニングに手応えを感じていた。 実地訓練として行うラットリング退治では、第1世代なら3匹同時に相手取るまでに成長。 腕立て伏せは連続100回を達成した。 戦闘時に要求される勘をダウジング用のペンデュラムを使って養う訓練も、まずまず順調に進んでいる。
「いける! 私も強くなれる!」
これまでクルチアは "本気" じゃなかった。 今にして思えば、遊んでいたも同然。 だから一向に強くならなかったのだ。
ミツキが去り強くなろうと決意してから、クルチアの脳裏に繰り返し飛来する鮮明なイメージがある。 イメージの中の自分は、一流の剣技と〈真気〉を習得し華々しく戦う。 戦う相手は何故かタメリク帝国。 クルチアの隣には黄金の剣と盾を持つコミカグラ・サホウ。 クルチアはサホウと肩を並べ最前線で戦っているのだ。 そしてクルチアが身に着けるのは、緋色の全身ミスリル鎧...
そのイメージに向かって、クルチアは着実に強くなっていた。
◇❖◇
トレーニング開始から8日目、クシナダさんが音を上げた。
「あのねイナギリさん、私もう掃除係でいいかなって...」
「へ?」 掃除係?
クルチアの口から素っ頓狂な声が出た。
「ミツキちゃんの事業所は掃除係なら強くなくても入れるんでしょう?」
クシナダさんはハンターじゃなく掃除係として『セレスティアル・ドラゴンズ』に入所するというのだ。
「強くなるのを諦めるの?」
「ええ。 私イナギリさんみたいに強くなれないし...」
クルチアはハード・トレーニングに順応する体質。 頑張れば頑張るほど強くなる。 でもクシナダさんは、そうじゃない。 頑張り過ぎると体を壊してしまうタイプだ。 現に、この一週間でクルチアが ポッチャリ ながらに精悍さを増したのに対し、クシナダさんはヤツれた感がある。
「そう... それは残念ね」
クルチアはクシナダさんの主張を受け入れた。 無責任に励ますわけにもいかない。
しかし確認しておきたい。
「でも、そうするとクシナダさん、掃除係になるために学校を辞めるの? 言っておくけど、バカみたいに安い時給よ?」
「いくらなの?」
「私がオファーされたのは600モンヌ」プンスカ
金額を聞いたクシナダさんの口から小さな悲鳴が漏れる。 ヒイッ
「600っ!?」
コンビニのバイトでも時給800モンヌのご時世なのに。
「ねえクシナダさん、やっぱり掃除係のために学校―」
クルチアの言葉を遮り、クシナダさんは呻くように宣言した。
「ありがとうイナギリさん。 でも私はミツキちゃんのところに行く。 600モンヌでも構わない」