第100話 おじいちゃんの水たまり
クズキリ・ミカとトオマス・キングズブリッジのコンビはフォーメーションがある。 トオマスが前衛で、ミカが後衛だ。 トオマスの装備は剣と盾のほか鎧兜一式、ミカの装備は槍とオシャレな緋色の革鎧。
水使いのミカは、5杯の水たまりに指示を出す。 水たまりは "1杯"、"2杯" と数える。
「行きなさい!」
ミカの水たまりは、おじいちゃんの水たまり。 祖父が作ったものが母を経てミカに受け継がれた。 長年の使用により知性とも言うべきものを備えるに至っており、細かい指示を出さなくても適切に行動してくれる。
5杯の水たまりはそれぞれ最寄りのラットリングの足に取り付き、そこから胴体を這い上がり喉元へ。 嫌がるラットリングの口と鼻に侵入する。
ギュフンギュフン! ラットリングは鼻水とヨダレを大量に溢れさせて大変な苦しみよう。 むせ返って水を吐き出そうとするが水はそれを拒み、喉頭蓋をこじ開けズルズルと気管の中へ。 肺まで侵入してラットリング5匹を溺死させた。
◇❖◇
しかし押し寄せるラットリングは5匹どころではない。 陸地で溺れた仲間の脇を通り過ぎ、続々と襲いかかって来る。 それを防ぐのがトオマスの役目だ。 トオマスはミカの前方に立ち、押し寄せるラットリングを引き受ける。
「かかって来い! 僕が相手だ」
でもラットリングは人間の言葉を理解できないので、トオマスの要請に応じない。 トオマスが剣と盾を駆使して戦いに引きずり込めたのは4匹まで。 残る5匹のラットリングがトオマスの脇をすり抜けて、後方のミカに襲い掛かった。
ミカはあっさりと5匹のうち1匹のラットリングを刺し殺す。 なかなかの槍術の冴え。 さすがは名門事業所の中堅ハンター。
「トオマス、早く〈挑発〉を使いなさい!」
トオマスを獲得した『竜の巣』が真っ先に行ったのが、彼に〈挑発〉を身に付けさせること。 ナイトリングは性格的にも能力的にも盾役に打って付けだから、〈挑発〉と極めて相性が良い。 〈挑発〉は〈気〉の技だから習得に〈真気〉が必要。 だからトオマスは滝行を経験済みだ。
「はい、ミカさん!」
トオマスの返事は良いが、未だ当初の4匹と戦闘中の身。 他の方面に〈挑発〉を放つどころではない。
ミカは自分の4匹を槍であしらいながら、トオマスをなじる。
「トオマス、4匹相手にいつまでモタついてるの! ほら私がピンチなのよ? さっさと助けに来なさい」ホラホラホラッ!
「はい、ミカさん!」
トオマスは額に汗して必死にお返事。 明らかに手に余る状況。 名門事業所『竜の巣』はスパルタ方式で新人を育てる。
◇
「きゃあっ!」「やんっ」「もうダメっ!」
ピンチを告げるミカの悲鳴が次々に上がる。 トオマスの訓練用に演出されたピンチである。
わざとらしい悲鳴だが、焦るトオマスには効果抜群。
「いま行くミカさん!」「もうちょっとだ!」「もう少し耐えてくれッ!」
ミカの演技を見抜く余裕がない。
「助けてトオマきゃっ!」
今しがたの "きゃっ!" は本心から発せられた。 ブーツの踵が、街道のレンガの隙間に挟まった。 チャンスと見てラットリング4匹が一斉に襲い掛かる。 ギュッチ、ギュッチ、チャンスダチュー
「ミカさんっ!?」
ただでさえピンチだったミカに生じた異変に、トオマスは気が気でない。 だが戦闘中の身では振り返ることあたわず。 ミカの5杯の水たまりも遠くで溺殺中で、いま呼び戻しても間に合わない。 大ピンチのミカ!
しかし心配ご無用、ミカは鮮やかな槍さばきで次々とラットリング3匹を刺し殺す。
でも3匹を刺殺するうちに、残る1匹がミカの槍の間合いの内側に入り込んだ。 門歯を剥いてミカに襲い掛かるラットリング。 ミカの槍は間に合わない! 危うしミカ!
「クッ」こうなったら。「出でよ、幻の6杯目!」
ミカの合図と同時に、彼女の豊かな胸の谷間から小ぶりな水たまりが飛び出した。 6杯目だ。 6杯目はミカの胸を足場にしてラットリングの顔面に飛び付き、鼻と口から侵入を開始。 ラットリングは水たまりを引き剥がそうとするが、水を引き剥がせはしない。
ミカはレンガの隙間からブーツの踵を引っこ抜き、地面に倒れ溺れるラットリングに目を向けた。
「今のは危なかったわね」
6杯目は、ミカが非常時の護身用に隠し持つ水たまり。 だから "幻の" と称される。
ミカは未だ4匹相手に奮戦中のトオマスに視線を移し、溜息をつく。
「呆れた。 まだあの4匹と戦ってる」