契約
「…」
二度目の目覚め、部屋は同じだった。
痛む体を動かす気力はなかった。現実を受け止められるほど強くはないのだと認識した。
「お目覚めかい?」
声の主に目をやるとそこには見知らぬ影があった。そう思うほどに暗闇に溶けるローブを羽織った女は続けて語りかけてくる。
「災難だったね」
月の光に照らされ、ぼんやり光る室内に声だけがこだまする。
「君の話は聞いたよ」
「…誰」
掠れていた声はなおも掠れる。振り絞った声は微かに相手に届く程度だった。
「しがない占い師だよ、そして今は君の唯一の理解者になれると思う」
理解?理解と言ったのか?私の何を理解するのだ。
「…帰って…あなたに何がわかるの?」
「君の痛みと、そして真実を」
凛とした声が響く。ローブの奥にはまっすぐな瞳が氷のように光っていた。
ローブの女は低位の治癒魔法を私にかけた。痛みは多少残っているものの立ち上がり歩ける程度までは効果があった。
「転移魔法で私の事務所に向かう、話はそこでいいかい?」
転移魔法。私の知る限りでは最初に術式を発動した地点に戻るだけの魔法である。遠征する兵士の一隊の移動や、拠点を持つ行商人が使うものと聞いているが。
「…別にいい」
もう帰る家も場所もない。私は静かに答える。
「わかった、転移門起動、コラプス」
女の詠唱に合わせ身の丈ほどのゲートが現れる。何色とも形容できない鮮やかな色を放ちながら光る。
「少し眩暈がする程度だが、大丈夫だと思う」
女に手を引かれゲートをくぐる。一瞬体全体を強烈な浮遊感が襲う。思わず目を瞑る。
「さぁ到着だ。」
気がつくと目の前には暖炉と蝋燭の火で明るく照らされた部屋が広がっていた。壁には見たことのないような装丁の本が所狭しと並び、威圧感すら覚える。
「昼になればある程度の日当たりはあるんだ、暗いと少し狭く見えてしまうよね」
こちらの意を汲むように自嘲気味に話しながら、ティーポッドに手をかける。
注がれたお茶から上品な香りがあたりに立ち込める。
「うちの従業員が淹れたんだ、変人だがお茶淹れの才能だけはあるはずだよ」
「…それより教えて、あなたは何を知っているの?」
「まずは座りなよ、長くなるから」
言われるがままに椅子を引く。ギギギと重く響く音に、薪の弾ける音が重なる。
「まず結論から伝えよう、君の家族を襲った悲劇。あれは飛竜の仕業ではない」
「…じゃあ…何だと言うの」
隠しきれない動揺が声にのって伝わる。
「あれはね、人為的なものだよ」
「ありえない!」
私は無意識に机を叩いて反論した。
「落ち着いて」
「あれが人為的な!?私は見たわ、あの火球は飛竜のそれよ!それに仮にそうだとしたらいったい何の理由があったって言うの!?」
声を荒げ捲し立てる。
「理由はわからない、だが人の犯したことだと言うのは確証あってのことだよ、それにこちらは犯人の素性も掴んでる」
薪の音を鳴らしながら、暖炉の炎は燃え上がる。
「話が見えてこない、詳しく教えて」
埒があかないと見えて、腰を下ろす。
「少し落ち着いたかな?」
「…まぁ…」
「なぁアンジュ君、もし仮に犯人が生きていたら、どうする?」
「…どういうこと?」
「君の家族を奪った人間が、何も知らずに生きていたら、君は許すのかい?」
押し黙る。目をやったお茶の水面は微かに揺れていた。家族とのひと時には母がお茶を淹れてくれていた。母が家の裏に植えていたお茶の葉はきっと高級品には及ばないが、私は好きだった。
だが、もうその木はない。全ては灰燼に呑まれたのだ。
瞬間だった。自分の体に確かに生まれた。仄暗い、黒く、重たい、塊のような、言い表せぬ感情が。
「…君、きっとそれは殺意なんじゃないかな」
女の声に我に帰る、女は心配そうな表情を浮かべ話を続ける。
「綺麗な顔が台無しになるくらい恐ろしい顔をしていたよ、まるで人を殺したようなね」
女は肩をすくめてみせた。
「…もし、これが人の手によるもので…その人間が今も生きているのなら…私は…許せない…」
力の入った拳は膝の上で震えていた。
「復讐したいかい?」
「……それは…」
醜悪な感情が、体を呑み込んでいた。しかし同時に家族のことを思い浮かべる。
果たしてそんなことを望むのだろうか。私の家族たちが。
「そういえば、君の枕元にこれがあったよ、家族のものだろう」
女は小さな袋から鈍く光るネックレスを机に取り出す。
忘れるわけがない、家族のネックレス。
「一つ、あくまで私個人の考えなんだがね、復讐は生者の特権だよ。死者はそれを望まないなんて言うが、それを言うのはいつも関係のない第三者さ。当事者の側には立てないのさ。」
薪は弾け、炎はより強くなる。
「生者が何一つ溜飲が下げられないなら、それこそ死者は浮かばれないだろう。もう一度聞くよ、君はどうしたいんだい?」
「…私は」
家族の顔が浮かぶ。私の家族は復讐なんていうものは望まないだろう。
しかし、それを黒い情念が覆う。怒りや憎しみが幾重にも重なったそれはうねり、私の中でのたうち回った。
これは殺意だ。
混じり気のない、心の奥底から湧き出した純粋な殺意。
「殺したい」
暖炉の炎は煌々と燃え上がっていた。
「わかった、君の意志は伝わったよ」
「…それを聞いて、いったい何が目的なの?」
女は少し安心したようにため息をついた。
「いや、追い込むような真似をして済まないね。ただ、君の目的と私の目的が同じであると確認したかったんだ」
「…あなたも犯人に何かされたの?」
「いや、何かをされたわけじゃないんだ。ただ、何かをされる前に排除したい思っているんだよ」
「…どういうこと?」
「その前に、一つ契約を結びたい」
「契約…いったい何の?」
「私は君の復讐をあらゆる面で支援をする、だから…」
女は言い淀む。
「…何?」
「…今後、私の元で特殊な人間を暗殺する仕事をしてほしい」
女は意を決したようにまっすぐな視線を向ける。決して冗談で言っているようではないのが伝わる。
「…暗殺」
ぼそりと呟く。国の要人などが狙われるという話は歴史の授業にも出てきていたが、ますますこの女の目的が見えてこない。
「…あなたは、国を転覆させるようなことがしたいの?」
現在のモーテリス王国は諸外国と比べてそこまで力があるとはいえない。一度戦争が始まれば亡国の運命は免れないだろう。
「いや、どちらかというと、今のままの状態でいいのさ。力があまりないこの状態がいいのさ」
「ますますわからないわ、目的は何?」
「単純な話さ、いきすぎた力が生むものを私は知っているからね」
「…あなた、人から話が回りくどいって言われない?」
先刻からあまり会話が成り立った実感が得られない。
「そう焦らないでくれよ、契約上あまり詳しいことは今は伝えられないんだよ、守秘義務ってやつさ」
あくまで契約を結ぶまでは真に迫ることはないのだろう。
暗殺を生業にすることへの想像はできない。たかが村の娘に目の前の女は何を思っているのだろうか。身の上への同情なのか、お互いの目的の一致なのか。
いくら考えてもわからない。だが、少なくともこれを呑まなければ私は復讐することもままならない。そう思うと憂いはいつのまにか消えていた。
「わかった、結ぶわ、その契約」
出されたお茶はすっかり冷めていた。
「…ありがとう、契約書にサインをもらえるかな?」
女がベルを鳴らすと扉が乱暴に開けられた。給仕の女だろうか。乱暴に机に羊皮紙とインクとペンを叩きつけると、部屋から出ていってしまった。
「…すまないね、いささか乱暴ではあるんだが、料理の腕は本当に一流なんだよ」
「…そう」
「さっ、その契約書の下にサインを書くところがある」
ペンを手に取ると何ともいえぬ色のインクが滴り落ちた。契約書には既に1人の名前が雇用主として書かれていた。
『百首野 歌留多』
「これ…あなたの名前?見たことのない字だけど…」
「あぁ、ヒャクシュノ・カルタというんだ、言語的には読めなくても仕方がないよね」
いったいどこの辺境の言葉なのだろう、そんなことを考えながら契約書にサインをする。
『アンジュ・トレイル』
「これでいい?」
「問題ない、そうしたら早速今回の標的…つまるところ、君にとっての仇の話をしようか。それとも今日はもう休むかい?」
サインされた契約書を懐にしまうとカルタは尋ねた。
「私は別に構わない、眠くはない」
そう、と頷き私のカップにはお茶が注がれた。
ほとんど真夜中まで意識を失い、今、人としての道に背く重大な決断までしたのだ。目は既に信じられないほどに冴えている。
「なら少し、彼の…いや我々の話をしよう」
本題からは逸れるがねと苦笑しながらカルタは続ける。
「質問はまとめて聞くよ、長くはなるが疑問は少し心に留めておいてくれよ」
頷く私を見てカルタは目を閉じ手を虚空に伸ばす。
「情報開示『鈴木指揮』」
「共有」
するとカルタの手には半透明の板のようなものが出現した。大きさは大体先程の羊皮紙大だろうか。
「結論から言おう、私もそして今回の標的も、元々この世界の住人ではない」
カルタは淡々とした表情で半透明な板をこちらに投げてきた。慌てて取ろうとしたが不思議なことにそれは宙に浮いていた。
「あぁ、安心してくれ、それは地面には落ちたりしないよ」
「ごめんなさい…ただよく意味が…」
「文字通りに受け止めてくれ、本当に別の世界からこの世界にやってきたのさ」
やはり騙されたのだろうか。自分の判断力を呪う。
「馬鹿なこと言わないで」
「そこに映っているのが君の家族を奪った張本人だよ」
渡された半透明の板を見るとそこには様々な文字や数字が刻まれていた。そしてそれは夥しいほどの情報だった。見慣れない文言もあるがそれが個人の情報であることは一目瞭然だった。
そして左上には
まるで貼り付けたような薄っぺらい笑顔の男がいた。
その横には
「氏名『鈴木指揮』」
と刻まれていた。
「…これが…」
怒りで手が震えていた。自分の意志とは別の意志で動いてるように感じた。
「…なんて読むの…?この名前は…」
「それはスズキタクトと読むんだ」
お茶を啜りながらカルタが答える。
「…スズキ…タクト…」
何度も反芻する。決して飲み込めぬ事実と怒りが混ざり合う。




