《8》
「よっし、ノーアウト一塁!ここで追加点取れれば決まりだな」
「くそ~!今のはアウトやろ」
「周哉、待ってろ。次、おれとだからな」
ゲームも終盤に差し掛かり、最後の盛り上がりを見せていた。
8回裏が終わって、7―4でいっちゃんのリード。
実在するプロ野球チームを題材にしているこのゲーム、いっちゃんの勧めで始めたのだが、これが中々に面白い。すぐにハマった。コントローラ―を駆使して、ゲームの中の選手が投げる、走る、捕る、打つ……実際の試合さながらの楽しさがある。
野球をやったことはないけれど、野球のことが段々と好きになる。事実、大して興味がなかったはずの俺が、野球中継を見るまでになったのだから。
「うぉぉぃ!今のアリ!?」
「ははは、ラッキー♪」
1番から始まった9回表、一塁に四球で出塁した鈴本を置いて、2番松木が三塁線ギリギリに転がるセーフティバントをして、オールセーフ。無死、一、二塁で打席には3番の大笠原。
「やべぇ~、ピッチャー代えようかな」
「大笠原なら誰でも打てるよ?」
焦るイワ、余裕を見せるいっちゃん。ここで1点でも取ろうものなら、大勢はほぼ決まりだろう。
「よぉし!行け、球一」
「守護神登場……ここで打てば、おれの勝ちだな」
リリーフカーに乗って出てきた、守護神・球一。
『サードゴロ、トリプルプレーだ』
……え?
何だ、今のは……。
球一がリリーフカーを降りた瞬間、誰でもない誰かの声が俺の頭に響いた気がした。その言葉に、俺は戸惑ってしまう。意味が分からない。なんで、そんなことを思ったのか……。
だけど、それよりももっと不思議なのが、『サードゴロ、トリプルプレーだ』、この言葉がとても確信に満ちた響きを伴っていたことだった。
……いやいやいや、あり得ないだろ。
俺は軽く頭を振った。きっと、俺の幻聴だろう。そう思うことにして、再びテレビ画面に視線を戻す。ちょうど、球一の投球練習が終わったところだった。
「抑えろ~、球一!」
球一が投球動作に入る。流れるようなフォームから、第一球が投じられた。
「待ってた、この火の玉ストレートを!」
大笠原がバットをフルスイングする。鈍い打球音がして、ボールが飛ぶ。
がしかし……
「おぉっし!」
「うわ、走れ!大笠原!」
勢いよく飛んだのは折れたバットで、ボールは三塁手の古井の方へほどよく転がっていた。
こ、これは……!?
ボールを捕球した古井が三塁ベースを踏んで、二塁ベースカバーに入ったショートの鳥山に送り、更には一塁手のブブゼルへ送球する。大笠原の足は一塁ベースに今一歩届かず、アウトとなってトリプルプレーが完成した。
「くっそ、やっぱ一球見送るべきだったか」
「よし!最終回、逆転したる~!」
「すげ……」
俺の口から自然と言葉が漏れた。滅多にないトリプルプレーを目の当たりにしたことに対してと、先程の頭に響いた声のことに対してだった。後者の方が比重は格段に重かったが。
え、本当にそうなったぞ……?
いやいや、待て待て。
俺は思い留まる。こういうことも、起こらないことはないとも言い切れないではないか。思ったことが起こったって、それが不自然なことなど何もない。何も……ない。
心の中で言い聞かせるようにするのだが、釈然としないモヤモヤした感覚が俺の中に在り続けていた。
だけど……トリプルプレーなんて、滅多にないんだぞ?
……。
俺は一度目を閉じた。色々あり過ぎて、疲れているのかもしれない。炭酸でも飲んで、すっきりしよう。そう思って、目を開けてテーブルにある2リットルのペットボトルに目をやった。しかし、中身はもうほぼ空になりかけている。
7―4、9回裏、イワの攻撃。
……仕方ない。
「ん?どうした、周哉?」
「あ、うん。飲み物、取ってこようかなと思って」
言いながら、俺は席を立った。
「えぇ~!オレの逆転劇、見てろよ」
イジけた風に言うイワに俺は笑いかけた。
「はは、大丈夫。ちゃんと満塁ホームランには間に合うから」
「満塁ホームランて……それじゃ、おれ、負けるってこと?」
「……」
いっちゃんの問いに、俺は口を噤んだ。
……どうしたんだ、俺。何で俺、今、『満塁ホームラン』って言ったんだ?
分からない。分からないけど、自然と口をついて出てしまった。本当にごく自然に。まるで、予習してあった問題の答えを言ってしまったかのように。
「周哉?」
「……あ。はは、どうだろうね?じゃ、俺、冷蔵庫から飲み物取ってくる」
俺はその場を取り繕うように笑みを落として部屋を出た。なるべく音を立てないようにドアを後ろ手に閉め、階段に備え付けてある電灯のスイッチを入れる。明るいオレンジ色の光が廊下を照らした。俺は一歩一歩を確かめるように階段を下りていく。
……何だか、俺、変だ。
漠然とした気持ち。上手く言葉に出来ないのがもどかしい。でも、絶対におかしいのは間違いない。起き抜けの状態にそっくりな感じがする。目が覚めて布団から出ながらも、どこか夢見心地でふらふらして、足元がおぼつかないという朝方によくある状況。
「意味分かんねぇ」
呟いた言葉は暗がりのリビングの壁にすっと消えた。
……。
言葉にしておきながら、俺の頭の中で1つの考えがもやもやしながらゆっくりと形になっていく。
……いや、でも、まさか……。
電気をつけないまま、俺は冷蔵庫を開ける。ひんやりとした冷気が中から溢れてくる。俺は新しい2リットルのペットボトル、レモン味の炭酸飲料を取り出した。そのままキャップを外し、空のコップに注いでその分を飲み干す。シュワっと炭酸が弾ける音、爽快感が喉を通過していった。
「……美味い」
これは紛れもない現実なのに、俺の中の何かがこの現実を否定している。自分がいるこの家だって、俺の部屋にいるいっちゃんやイワだって、今口にした炭酸だって、全部幻なんかじゃなく、本物なのに……。
「……すー、はー」
俺は大きく深呼吸した。落ち着こう。疲れてるだけなんだって、きっと。
そもそも、今日はおかしかったじゃないか。卒業式だったはずの時間が、一気にこの雪が降るクリスマスになってたんだから。これをおかしいと言わず、何がおかしいと言うのか。
「……ま、要するに、俺がボケてるだけなんだろ?」
誰もいないリビングに自分に言い聞かせるように言葉を残して、俺は部屋に戻るために階段を上っていく。いくら考えても分からないことは分からないんだ。だったら、今ある状況を1つずつ確かめていくしかない。そうすれば、この違和感もきっと拭えるはず―。
「うわっ!ルクーン!?」
「来た~っ!!」
部屋に入ったその時、二死満塁のマウンドには守護神・ルクーンがいて、打席には9番代打の矢田。
ルクーンの投げたボールは変化球がすっぽ抜けたのか、力のないド真ん中。
矢田が思いっきりそのボールを叩いた。打球はぐんぐん伸びていく。
ガッツポーズをするイワと顔をしかめるいっちゃん。打球はライトスタンドへ吸い込まれていった。それと同時に、ズキリと俺の頭が悲鳴を上げる。身体に入った力がすーっと抜けていくのが分かった。
……俺、知ってる。今の、この画面、見たことがある……。
……いったいどういうことなんだ、これは……。
既視感のある光景に困惑しながら、俺はただ呆然と、テレビ画面を眺めていた。