《2》
「みんな、本当にありがとね」
玄関にて俺は頭を下げる。
「いいっていいって。気にすんな」
ニッと笑ういっちゃん。
「良かったね、元気になって」
陽だまりのように笑うナギ。
「今度、フライドチキンでも奢って~」
冗談っぽく笑うイワ。
「ああ、分かった」
元の世界に帰れたら、になるけど……。
「じゃあまた」
「大晦日にね」
「ほいじゃな」
「うん」
3人はそう言って、ドアを開けて帰っていった。12月27日。
一昨日、鳴りを潜めていた風邪は、昨日になって少しだけ重くなった。
咳と鼻水が止まらなくて四苦八苦したのだが、いっちゃんが家に風邪薬を取りに帰ってくれ、それが効果覿面だった。もちろん、みんながついててくれたおかげで、良くなったのだけど。
「こほ……」
まだ、若干治りかけの状態だが、これくらいならさして問題はない。
早速、行動に移らないと。
「えっと……青井悠介さん、で良かったよな。住所は確か……」
呟きながらリビングへと移動する。
電話帳を引っ張り出して電話番号を検索する。
「う~んと……あった、これだ」
電話帳を数ページ捲り、お目当ての電話番号を見つける。
9時44分。
ちょっと時間経っちまったけど……まだ大丈夫か?
俺は電話の受話器を手に取った。
「ここだ……」
実をいうと行き慣れた場所でないと迷ってしまう恐れがあるほど、土地勘に乏しい俺だったが、記憶を頼りになんとか青井の家に無事辿り着けた。そのことに安堵の息をつく。
……よし。
―ガチャッ。
インターホンを鳴らそうと手を伸ばし掛けたその時、ドアが勝手に開いた。俺の手は空を掴んだ。
「じゃあ、おとうさん、いってくるねー♪」
小さな女の子が満面の笑顔で出てくる。
確か……ほのかちゃん、だっけ。
「ほのか、慌てると怪我するわよ。あら?」
続いて青井の奥さん、もとい、ほのかのお母さんが出てきた。
えっと……陽子さんだったよな、たぶん。
「あなた、さっきの電話の生徒さん?確か、久遠くん」
「あ、はい。青井さん、いらっしゃいますか?」
陽子に尋ねられ、俺は丁寧に答える。
「ええ、ちょっと待って。あなたー、久遠くんいらしたわよー」
陽子の声が家の中に響くと、程なくして青井が玄関先へと歩いてきた。
青井の顔には赤と黄色の絵の具がついている。
どうやら、青井はそのことに気がついていないようだった。
「お待たせしました」
「あなた、左の頬っぺたに絵の具ついてるわよ」
「え、どこ?」
「もう、拭いてあげるから」
そう言うと、陽子は下げていた鞄からポケットティッシュを取り出して、青井の頬をすっと拭いた。
絵の具は綺麗さっぱり落ちてなくなる。
「悪い」
照れ臭そうに青井は笑う。
「おかあさん、はやくいこうよー」
「あ、ごめんね。じゃあ行ってきます」
ぶすっとした顔のほのかに急かされて、陽子は出掛けていった。
家族、か……。
一連のやり取りを眺めていた俺は、温かくていいな、と思った。
「ごめんね、何かドタバタしちゃって」
たはは、と笑って青井は頬を掻く。
「いえ」
「じゃあ、上がって。ちょっと散らかってるけど」
「あ、はい、お邪魔します」
家に上がっていいのか。
前回と違うことに多少戸惑いながら、俺は青井の後に続いて家の中へと入っていった。
「粗茶ですが」
「あ、お構いなく……」
リビングに通された俺は、ふかふかの長ソファに座っていた。
ダイニングとキッチンが併設された大部屋で、部屋の壁には所々に額に入れられた絵画が飾られている。
フローリングの床には子供の玩具だろう、ママゴト遊びの道具や積み木などが玩具箱と化した段ボール箱に片付けられて置かれている。
青井が危なっかしい手つきでお茶を差し出してくれた。
「さてと」
正面のソファに座って青井がふぅと息を吐く。
「それで、話って何かな?」
「はい、実は……」
俺は前と同じように、校則違反をした生徒がいるために29日から特別学習が行われるという、真っ赤な嘘を青井に説明した。
そうして、前回と同じように偽造した文書を青井に手渡した。
イワが文書を作成している時、その手順をしっかりと見ていたのが功を奏した。
あの時、イワの傍にいなかったらと思うとゾッとする。
所々、青井に質問されたが、俺は前と同じ回答をして乗り切った。
「うわ~、それじゃあ君たち災難だな」
青井は十分納得がいったようで同情する笑みを浮かべた。
「ええ、まあ……。それで、青井さん家から近い所に住んでる俺にちょっと行ってきてくれということでして」
俺が苦笑しながら言葉を継いだ。
ふぅ、何とかなるもんだな……。
「分かった。あ、ちょっと待った」
「どうかしました?」
何かを思い出したような青井に俺は聞き返す。
あれ……俺、何かやらかした……?
「実は、学園長さんに頼まれてた物があって、それを宿直の時に持っていく予定だったんだ。元旦には顔出すみたいだから、それまでに用意しておかないといけないんだけど……これ、君に頼んでもいいかな?」
「あ、ああ、はい。大丈夫です」
そうか、そうだった。うっかりしてた……。
俺は気づかれないように息を吐く。
「良かった、助かるよ。ちょっと持ってくるね」
そう言って、青井は席を立つ。
まずは、第一関門突破だ……。
青井の後ろ姿を見て、俺は安堵の息を漏らした。
これで、少なくとも青井さんが殺されることはない。
だけど……大丈夫だろうか?
言い知れない不安が俺の脳裏を過る。
学園という閉鎖された空間で、もう一度鬼塚と対峙したら……と考えると、やはり嫌が応にも身体が強張ってしまう。
……。
……いやいやいや。
俺のアホ!別に、まだ遭遇すると決まった訳じゃないだろ。
ただ、その可能性があるってだけ……。
「何か悩み事かい?」
「え?」
ふと顔を上げると、いつの間にか、青井が鍵と頼み物を手にして戻ってきていた。
「はい、これなんだけど。学園長室に置いておいてもらえれば大丈夫だから。宜しく頼みます」
「あ、ありがとうございます」
俺に件の物を手渡した青井はよっこらせと再びソファに座る。
「難しい顔してたね?どうかしたのかい?」
「い、いや……まあ、ちょっと」
俺はしどろもどろに誤魔化そうと試みる。
「遠慮しないでいいよ?僕で良ければ話を聞くし、何か力になれれば」
コーヒーを一口飲み、青井はふっと微笑んだ。
話してごらん、と青井は俺の口が開くのを待っている。
い、いや、悩みって……正直に話せる訳ないし……ど、どうする?
……そうだ。
俺は必死に考えた末、口を開いた。