《2》
「ふわ……」
俺は口から出かけた欠伸を噛み殺した。ざわついた廊下、教室のそこかしこで生徒たちが何やら盛り上がっている。教室、窓側の席に座って、俺は周囲を見渡していた。
「卒業しても、ずっと友達だよ」
「大学、別々になっちゃうけど、遊びに行くから」
「メール、電話、連絡取り合おうね」
今日という日がそうさせるのだろう、周囲のテンションは異様なほど高かった。
2007年3月15日、陽染学園の卒業式。世間一般的にも、県内の高校のほとんどが、今日卒業式を行う。それに伴い、それぞれの進路へと進んでいくことになる。大学や短大に進学する者、専門学校で技能を身につける者、はたまた就職して一足先に社会へと踏み出す者……人それぞれの道が拡がっている。
「また会おうね」
口々に約束している声が聞こえるけれど、その〝また〟は特定不可能な未来の時間なのかもしれない。そうかもな……。これだけ騒ぐ気持ちは分かる気がする。俺にだって……。
「うぃ~」
「痛っ!」
ドン、と重い音が俺の後頭部に響き、俺は頭を擦りながら後ろを向いた。
岩田雄治。愛称はイワ。
「おま、加減しろよな?今の、地味に痛かった」
「え?」
「あのな、その『何があったの?』的な顔はムカつく」
「あはは、悪い悪い」
大して悪びれることなくイワは笑った。イワとは高校からの付き合いだが、何でも話せる親友の1人。1年の頃からクラスが同じで、何となく話した恋バナで盛り上がり、それ以降とても仲良くなった。面倒臭がりな口振りをよくするけれど、何だかんだで助けてくれる。
「今日で卒業やな」
「早かったよな」
黒板に書かれた文字。【卒業おめでとう】。赤や青、黄色など色取り取りのチョークで装飾され、その周りにはクラスメイトのメッセージが刻まれている。
【4組はサイコーだった】
【このクラスのこと、一生忘れない】
【4組の友情は永遠】
など、黒板のスペースは埋め尽くされている。ちなみに、俺は【4組のみんなの健康を祈って】と書いた。
「アレはないやろ~?」
「バ~カ。いいんだよ、あれで。人間、健康第一だ。それより、イワは何て書いたんだ?」
「書いてねー」
「は?」
「黒板まで遠い。メンドイ」
いやいやいや、別に何十メートルって距離じゃないでしょうが。
「道理で何か足りないと思ってたんだよ。ほら、卒業式始まる前に書いちまえよ。こういうのは、みんなでやるからいいんだろ?」
「お前って、変なトコロでクソ真面目だよね?」
よっこらせ、とイスから立ち上がるイワ。
「俺は基本的に真面目だぞ」
「知ってる。だから言った。余計に真面目だって」
岩田だから愛称はイワだが、その風貌もどことなく岩、大岩を想像させる。巨漢だ。物事を客観的に見る目を持ち、陽染学園の硬式テニス部の副部長を務めた。部員やクラスメイトからの信頼も厚い。加えて、雰囲気は〝日本のお父さん〟という感じがするから、親しみやすいのかもしれない。
「どうだ」
ものの数秒で殴り書きをしたイワは、戻ってくるなりドカッと音を立てて席に座った。【お元気で。また会おうや】。
「イワらしくていいんじゃない」
「まあ、あんなもんやろ」
「おはよーさん」
元気で明るい、聞き慣れた声。振り向くと、そこには他クラスの男子。
真田樹。いっちゃんだった。
「あ、おはよう、いっちゃん」
「ういっす」
「ん?凪さんなら来てないよ?」
「うぇぇい!知ってるぅ、一緒に登校したんだから」
わざとらしく聞くイワに、いっちゃんは身体をくねらせた独特の切り返しをした。
「ってそうじゃなくて。卒業式終わったら、みんなで集まろうよ。しばらくは、みんなで会えないかもし
れないし、どう?」
「え?卒業式終わった後って……凪さんと2人きりにした方が親切やろ?周哉もそう思うやろ?」
「へ?あ、えっと……まあ、そうかもしんないけど……」
急に振られたため、スムーズにノることが出来なかった。
「こらこら!周哉もノんなくていいっての。ナギもそう言ってるんだよ。みんなに会いたいって」
「ああ、日中はオレらで時間潰して、夜は……って感じか」
ポンと手を叩くイワ。
「イワは放っておこう。周哉、どう?」「おぉい~」というイワの声はスルーされた。
「うん、俺もみんなで一緒にいたいな」
「よし、じゃあ決まり」
ニコッと笑ういっちゃん。
「終わる時間がHRも含めて12時頃やから……12時半くらいに一旦学食にでも集まろうか。今日なら学食も混まないやろ」
先程までの軽口を叩いていた様子はまるでなく、イワは真面目に話に入ってきた。さすがだな、と思う。
「ん、分かった。ナギにも伝えとく。んじゃ、また後で」
そう言って、いっちゃんは背を向けて歩き出す。少しだけ右足を引き摺るようにしながら、いっちゃんは教室を後にした。それを見届けた俺は口を開く。
「右足、やっぱり、治らないのかな……」
「難しいんやろな……。て言うよりも、あそこまで歩けるようになったのが凄いと言うべきやろ」
この陽染学園において、真田樹の名前を知らない者はいない。
今年度の夏の主役だった男。野球部不動のトップバッターとして地区大会を制し、最後の夏に甲子園初出場。夏の甲子園ではベスト8の原動力となった、〝高校野球界のイチロー〟と言うべき存在だった。
毎試合の猛打賞、捕手のスローインを掻い潜る盗塁、野球センスに溢れるそのプレーは、観客を魅了し、今年のドラフトの目玉とまで言わしめた。
しかし……それは夏の幻となる。
日米交流試合に選抜され、練習に励んでいたある日のこと。連日の練習にて疲労していたのが仇となり、自転車で下校途中、誤って車との接触事故に遭ってしまい、運悪く右足を壊してしまったのだ。
『ま、仕方ないさ』
いっちゃんは笑っていたけれど、心は想像を絶するくらい辛かったはずだと思う。大好きだった野球が、走ることが、もう2度と出来ないと宣告されてしまったのだから。
「もしかしたら、車イスになるかもって話やったからな……。リハビリ、相当頑張ったと思う」
「そうだよね。いっちゃん、凄いよな……」
いっちゃんの第一印象は〝友達にはなれない型〟。
それは決してマイナスな意味合いではなくて、だ。いっちゃんとも、1年の時に同じクラスだったのだが、彼の持つ雰囲気がそうさせるのか、最初からクラスの人気者だった。クラスの中心にいる存在。この地球を照らす太陽のように輝き、周囲を照らす明るさを放っていた。人付き合いがさほど得意じゃない俺にとって、俺の目には眩しすぎて、近づいたら〝イカロスの翼〟宜しく、火傷してしまうだろうと思った。
「あれだけ部活を頑張って、センター試験も余裕でパスするんだから、凄い努力だよね」
スポーツが出来て勉強も出来る、文武両道。その学業の部分をきっかけに、いつの間にか親友と呼べる仲になった。英語の課題、和訳に直す問題が分からずに悩んでいたら、何気なく話し掛けてくれたのが始まり。それからは気軽に話せるようになり、気が付いたら仲良くなっていたのだ。
「可愛い彼女も傍にいてくれるし、それで頑張れたってのもあるやろうけど」
「はは、それはそうかも」
挫けそうになった時、誰かが傍にいてくれたら、支えてくれたら頑張れる。まして、それが彼女となれば、頑張れる度合いも大きくなる。
……そう考えるのは、俺がモテないからじゃないか?
そんなことを思い、俺は苦笑する。
神凪由季。ナギって呼ぶことが多い。イワは凪さんって呼んでいる。円らな瞳、肩に少しかかる程度のショートヘアー、いつも〝元気一杯〟を地でいく女の子。学年で3指に入るくらい可愛いと、周囲での評判も高い。中学まではバスケ部だったが、高校入学と同時に野球部のマネージャーに。
ナギとも1年の頃は同じ4組だった。そもそも、ナギがいなかったら、俺はイワやいっちゃんと仲良くなることはあり得なかった。そう考えると……
「1年の頃が1番楽しかったかな」
「そうやな……4人揃ってたしな」
2年生になって文系・理系の選択があり、文系の俺とイワは4組、理系を選択した2人、いっちゃんは1組、ナギは2組とバラけてしまった。今年は、いっちゃんとナギが1組、俺とイワが4組となった。
「俺、ぶっちゃけ3人と同じクラスにはなれないと思ってたよ。イワも理系に進むもんだと思ってた」
「ん?理数系の科目は元々得意やから、文系科目を鍛えるためには当然の選択やろ」
さらりと言うイワ。したたかだと思った。その作戦通り、イワはセンター試験で高得点を叩き出し、東京の東央大へと進学を決めた。ちなみに、いっちゃんが大阪の京神大、ナギは千葉の千葉国際大へ進むこととなっている。俺は地元の蒼桜大学へ。これからは別々の道を歩んでいくことになる。こうやって、イワと気軽に話せるのも今日で最後なのかもしれない。
「……」
「どうした?周哉」
もう一度、教室内を見渡す。改めて実感する。俺は呟いた。
「今日、卒業式なんだな」