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永遠の7days  作者: 真里貴飛
【1時限目】
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《1》

『……』


『そんな顔しないでよ、あいちゃん……』


『……だって、だって……』


あいちゃんの目から大粒の涙がぽろぽろ零れる。零れ落ちていく涙は夕陽の光を纏わせ輝いていた。


『ぼくだって……ぼくだっていやだよ。に……あいちゃんがいなくなっちゃうだなんて……』


出来ることなら、なんとかしてそれを無かったことにしたかった。

えんぴつで描いた落書きを消しゴムで綺麗さっぱり消してしまうように、最初からなかったことにできるなら、ぼくはどんなことでもしたいと思った。


きらいだったニンジンだってちゃんと食べるし、お片付けだってしっかりやるし、お母さんのお手伝いだって、なんだってやる。だけど……。


今、ぼくの目の前にある落書きは、消しゴムで一生懸命こすっても消えない、油性ペンで描かれてしまったものだった。ぼくにはどうやって消していいのかわからなかった。どう頑張っても、ぼくの持っている消しゴムじゃ消せないのだ。


なんで消せないんだろう……?どうして……どうして……。


あいちゃんはこんなにも嫌がっているというのに。こんなにも涙を流して拒んでいるというのに。

どうしてぼくは、それをただ見ていることしかできないのだろう。


『ねえ、しゅうくん』


嗚咽を漏らしながら、あいちゃんが口を開いた。


『わたしは……わたしはぜったいに忘れたりしないから。しゅうくんのこと、ぜったい忘れない』


『ぼくだって!あいちゃんのこと、ぜったいに忘れないよ。やくそくだってちゃんとしたもん』


ぼくは指切りをしたように小指を立てる。いつの間にか、ぼくの目から涙があふれていた。


『そうだよね!やくそく、したもんね』


エヘヘ、と笑うあいちゃん。オレンジ色に染められたあいちゃん。泣き笑いの表情で、涙の筋が光っている。とても綺麗だと思った。


『いつか……いつかまた、会えるよね……?』




不思議な感覚だった。目が覚めた時にそう思った。今日で一区切りがつくから、という訳だけではなくて、何かが起こるような、そんな胸の騒めきを俺、|久遠周哉≪くおんしゅうや≫は感じていた。


「もしかして……」


脳裏に浮かぶのは学園にある大きな桜の木。その下で向かい合うように見つめ合う、俺と|磯ヶ谷七海≪いそがやななみ≫。桜の木は満開で、桜の花一片一片が風に舞って、ゆらゆらと落ちてくる。


『ごめんね、呼び出して』


少し緊張した面持ちで、上目遣いに俺の方を見やる。その瞳が潤んでいる。桜の花と相成って、それは図らずも心を惹きつける光景だった。


『いや、別にいいけど……』


期待感に溢れた胸はドキドキと音を立てて高鳴る。俺は顔に出さないように、ただ冷静な風を装う。この状況で思うことはたった1つしかない。


『うん……あのね』


すっと息を吸い込み、意を決したように話し出す。


『ずっと想ってて、でも、怖くて言えなかった。……だけど、今言わないと、絶対に後悔するから』


強張る顔。その目は不安な色に染まっている。それでも尚、七海は言葉を紡いだ。


『……私、久遠くんのことが好き』


衝撃的な言葉。一瞬、見えない何かに押されたかのような、圧力を感じてよろめく。ガッツポーズを決めたい衝動に駆られる。もちろん、俺の答えは……

……。


「アホか」


綿あめよりも甘すぎる妄想を、俺は一言で掻き消した。そんな夢みたいなこと、100%あり得ない。あの磯ヶ谷七海からだなんて……。

こういう妄想力なら自信があるんだけどな。俺はため息をつく。他にこれと言って、自信を持てることなんて何もない。

いくら頑張ったって恋愛なんて俺には無理すぎる。数学の2次方程式みたいに、公式を当てはめれば解ける答えのあるものならまだしも、こればっかりは公式も答えも、ましてや模範解答なんかないのだから。

……。


「未練がましいか……。そんなこと、諦めてるってのにな」


窓から覗く、風に揺れる満開の桜の木を見ながら、俺はもう一度ため息をついた。




薄い桃色が咲き誇る桜並木を見ながら歩く。


「通い慣れたこの道も、こうやって歩くのは今日で最後か」


そう思うと、寂しい気持ちが沸いてしんみりしてくる。はらはらと舞い落ちる桜が、余計に俺の気持ちを増長させる。春、なんだな……。

改めて実感する。今日という日のことを……。目を閉じれば甦る、数々の記憶。入学式、合唱祭、体育祭、学園祭、修学旅行、普段の日常だって、大切な思い出。

そして、今日を迎えた。立ち止まって見上げた桜が散る様子と、記憶の回想が見事にシンクロした。桜の花びら一片ずつに思い出が詰まっているように。


「おはよう」


「うぃ~す」



声がした方、前方に向き直る。


「あ、八木さんと宇佐美さん……おはようございます」


|八木優子≪やぎゆうこ≫と|宇佐美志緒≪うさみしお≫。どちらも学園のOGで、今は看護学校に通っている。


「どうした?久遠。毒素が抜かれた顔して」


ぐいっと顔を近づけてくる宇佐美。自慢のロングヘアーが桜風に揺れた。女性特有の甘い香りが鼻腔をくすぐる。正直、慣れていないせいか、ドキリと胸が鳴った。


「ちょ、毒素ってどういう意味ですか?俺の顔ってそんなに毒々しい?」


「う~ん、そうだね……顔の80%は毒づいてるよね?」


腕組みをしながら、宇佐美は事もあろうに当の本人である俺に同意を求めてくる。


「いや、『よね?』って俺に同意を求めない!……まあ、確かに、ある意味そういう顔をしてたかもしれません。この桜を見てたら、何となく」


俺は桜を見上げる。優しいけれど、悲しい色がそこにはある。


「卒業式、だよね?今日」


ショートヘアーを小さくまとめたポニーテールがちょこんと跳ねる。八木が続けた。宇佐美が「そういえば」と思い出したように呟いた。


「久遠、ちゃんと卒業出来たんだ?」


「そりゃあ、出来ますって!俺のこと、どう思ってたんですか!?」


「ドジでどことなく抜けてるもんだと」


八木がしれっと答えたことに、俺はその通りで何も返せなかった。八木とは家が近所で幼馴染みと言っても過言ではない。3個先輩で、何か困ったことがあった時はいつも頼っていた。聞いてるのか聞いてないのか、表情は全く崩さないけれど、俺の話は必ず最後まで聞いてくれて、その度に温かい言葉を掛けてくれたっけ。

ただ……それは、2人でいる時の限定みたいで。今日みたいに、他に誰かがいる時は、〝話さない〟もしくは〝言葉が厳しい〟のどちらかだ。


「大丈夫っす。俺、勝負所ではけっこう強いから」


「普段からワーワー騒がず、落ち着いていればもっとまともなのに」


「でもさー、そうなると久遠じゃなくなるかな?」


「たはは……」


「お、そうそう。久遠、彼女できた?」


唐突に繰り出された質問。宇佐美だった。


「……無理です」


「こら、ちゃんと恋愛しろって言ったでしょ~?」


コツンと俺の額を軽く小突く。


「だって、こればっかりは難しいですよ」


「はい、言い訳をしない。青春出来る時に青春しないと、後で絶対に後悔するんだから。好きな人くらいはいるんでしょ?」


「……」


俺は黙秘権を行使する。しかし、この場合の黙秘は必然的に〝肯定〟を意味してしまう。


「おぉ、いいじゃんいいじゃん。じゃあ、その娘に告白しちゃいなよ。卒業式が終わった後、桜の木バックにさ『アナタノコトガスキダカラ~』って」


「それ、絶対アウトでしょ」


両腕を広げ、以前に流行った某韓流スターを真似する宇佐美に、俺は鋭く突っ込む。


「ま、今のは冗談だけど。それでも、告白はした方がいいって。今日が高校生最後の日なんだから。心残りになること、やり残したことがないようにしなくちゃ」


「……はい」


真面目に言う宇佐美に、俺は素直に頷く。宇佐美は2個上の先輩で、八木を通じて知り合った。八木の親友。八木とはタイプが違うが積極的にアドバイスをしてくれる優しい先輩。


「あ、そろそろ行かないと。行こう、やぎっぺ」


腕時計をチラッと見た宇佐美が促す。どうやら、少し話しすぎたようだ。


「うん」


授業の支度もあるのだろう、宇佐美と八木は歩き出す。


やべ、俺も悠長なことしてらんねー。卒業式の日に遅刻とか、さすがに勘弁したい。


「久遠」


走り出そうとした俺は、後ろから呼び止められる。八木の声。俺は振り向いた。


「卒業、おめでとう」


「いっぱい泣いてきなさい」


八木に続いて宇佐美も言葉を贈ってくれる。満開の桜に劣らない2人の笑顔だった。



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