《14》
「えいっ!」
「あ、取れん。周哉!」
「俺!?マジかよ!?」
イワの頭を抜くナギの山なりのボールを、俺は懸命に追い掛ける。
「ひ、人使い、荒いって、の!」
息を切らしながらボールを拾ったのだが、
「お、チャンス!」
ボールはネット際にいたいっちゃんの下へと落ちていく。
「おいしょ!」
いっちゃんはラケットを打ち下ろす―スマッシュで俺とイワの間を切り裂くように決めてしまった。
「周哉~」
「いや、無理だろ、今のは!」
膝に手を置きながら俺はイワに反論する。
やべ……けっこう限界。
「やった~、また勝ったね♪」
「今の試合が6―3で、さっきの試合が6―4か……そろそろ、周哉、体力的にキツイんじゃないか?」
いっちゃんが少し心配そうに俺のことを見やる。
「あ、うん……ちょっと、休みたい」
「えぇ~、オレ、やっと肩温まってきたよ?」
イワはこれ見よがしにグルグルとラケットを振り回す。
「ねえ、イワさん。私にフォアハンド教えてよー」
「凪さんのフォアハンドか~。エエよ、じゃあ球出ししたる」
「宜しくお願いしまーす!」
「じゃあ、ちょっと休もうか」
「うん、ありがと。助かったよ」
俺はいっちゃんと一緒にコートの横に備えられている屋根付きのベンチに座る。
ああ、疲れた……。
12月29日。風邪を引いてしまった日から3日が経っていた。
患った風邪は思ったよりも重たくて、翌日も微熱が続いた。身体もダルくて、鼻水もひどく、風邪の部類としては最悪だったが、八木と宇佐美が3日間とも看病しに来てくれたため、今では運動が出来るくらいには回復していた。
まあ、〝出来る〟ってレベルでだけど……。
当然のことながら体力は落ちていたので、まだ大して動いていないものの既に限界に達してしまっている。
「違う、違う。もっとラケット振り抜いて」
「う~ん、こうかな?」
コートを見ると、イワが丁寧にナギにフォアハンドの指導をしている。
今朝、イワに誘われてテニスをすることとなり、家から自転車で20分ほどの距離にある大塚スポーツ公園に来ていた。テニスは完全な素人だったが、テニス部副部長のイワ(いずれだが)に教わって、基本のストロークとボレーが少し出来る腕前となった。
ちなみに、いっちゃんとナギもイワの指導でメキメキと上達している。特に、いっちゃんは野球をやっていることも手伝い、サーブとスマッシュは経験者並みに打てるようになっていた。
「何だかんだ、イワって面倒見がいいんだよな」
「あー、うんうん。最初は『無理』とか言うんだけどね」
スポーツドリンクを飲みながら言ういっちゃんに、俺も同調するように答える。思わず笑みが零れた。
「そうそう!面倒くさがるんだけど、最後には手を貸してくれるんだよな。『しゃあない』って」
「あはは。まあ、そこがイワのいい所なのかな~?本当は優しいんだから」
「コラぁ~、全部聞こえとるっちゅーねん!周哉、元気そうやし、オレの飲み物買ってきといて」
コートで球出しをしていたイワが声を上げる。少し照れくさそうで、顔が緩んでいた。
「はいはい」
「周哉、もしキツかったらおれ行くけど?」
「ううん、大丈夫。ちょっと疲れてるけど、これくらいどうってことないよ。身体動かさないと、体力落ちたままだから」
俺の体調を危惧して声を掛けてくれたいっちゃんに笑いかける。
「そか。んじゃ、頼む」
「りょーかい」
俺は財布を片手にコートを出た。
「ん~……まあ、無難なところで」
自動販売機を前にしてポカリのボタンを押す。一瞬、〝激甘!バナナ&チョコシェーキ〟という面白そうな飲み物に興味を注がれたが、さすがのイワでもキレる気がして冒険するのをやめた。排出口から顔を覗かせたペットボトルを手に取り、俺はコートへ戻るために歩き出す。
「……寒っ」
時折吹きつける風が汗をかいた身体に当たると、芯から冷やされるようで体温が一気に低下する。真冬だから当たり前なのだが、俺としてはついこの前まで春の風を浴びていたので、余りにもその寒暖差は大きかった。元々、季節の変わり目には弱いので、体調を崩してしまったのは必然なのかもしれない。
さっさとコートに戻ろう。また動けば身体も温かくなるし、何より楽しいし。『みんなの所に早く』。そう思っていた時だった。
「舞華ー、待ってよー」
え……?
聞き覚えのある声、その名前に、俺は瞬間的に身体を強張らせる。前方から向かってくる自転車3台。乗りこなしているのは3人の同年代くらいの女子。近づいてくる3人の顔がはっきりしてくると、それはまた見覚えのある顔だった。
「ダーメ。急がないと、佐藤クンの演奏始まっちゃうでしょ」
この声は……。
続いて聞こえた声に、口の中が干上がるように乾くのを感じる。徐々に近づいてくる自転車。俺と彼女たちの距離が縮まっていく。
「もぉ、舞華が遅れたのが悪いんだよ?支度に手間取ってとか言っちゃってさ」
「だから、ゴメンって。しょうがないでしょ?今日はバッチリ決めてかないとさ。絶好の機会なんだから」
「でも久々だよねー。舞華がこんな張り切るのって」
もうほんの数メートルの距離。冬休みのため、散歩客もいる公園の簡単なトラック場。陸上の競技場のように整備された円形のコース、そのコースよりも内側は薄緑色の芝生が植えられ、そこではたくさんの子供がキャッチボールをしたり、サッカーをしたりして遊んでいる。様々な声が飛び交っていたが、俺にはそれがどこか遠い所で聞こえているような気がしていた。お互いが逆行するようにすれ違う瞬間、俺は顔を伏せた。
「ふふふ、そうだねー。やっとって感じだけどー。カレくらい格好良ければイイかなって」
「確かに。格好イイよね、佐藤クン。ランクも文句ナシでしょ?」
「うん。Aランク。絶対落としてみせるんだから♪」
「頑張れ、舞華」
吹き抜ける一陣の風のように、俺のすぐ横を彼女たちが通り過ぎて行った。道端に落ちている石ころのように、俺のことには全く気がつかなかったのが救いだった。
水野舞華……。
顔を伏せるその前、チラリと見えた真ん中の自転車に乗る女子。間違いなく、その人だった。打ちつけられた楔が、心の奥底で音もなく振動している。ゆっくりと、じわりじわりと、心が抉られるように、鈍い痛みが拡がっていく。
……もう吹っ切れてるはずなのにな。
「あ、危ない!」
え……?
自分自身に苦笑していると、不意に発せられた警告の声と共に、俺の後頭部に誰かに殴られたような衝撃が走った。景色がぐらりと揺れて、テレビの画面が消えるように目の前がぷつりと真っ暗になった。