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ミルキーウェイ

作者: 桜木 彩音


 キスしようとしてた、

 あのときわたしが目を開いていたら。






 「お弁当買っといたよ」

 そう言って彼はガラスでてきたテーブルの上に、茶色いコンビニの袋を置いた。

 ありがとうって笑いながらいつもの大きめのお弁当と、2種類のお茶のペットボトルを取り出す。

 いつもわたしが好きな方のお弁当を選んで、お茶はお互いに決まったものを無意識に取る。

 黒いラグの上に適当に座って、大型のテレビでサブスク動画を見ながら夜ごはんを食べるこの生活が習慣化したのは、ほんのひと月前のことだ。

 

 別にわたしは彼女でもないのだけれど。


 はじまりは本当に単純だ。

 その夜、ネットで知り合った男とごはんを食べに行ったら驚くほど退屈で自信がなく男尊女卑の考えに満ちた相手が現れた。

 苦痛の2時間ほど食事を済ませ、相手を自分の連絡先から消去したあと、わたしはネットで話していた名前も覚えていない、顔も知らない男たちの中からただひとりにこう連絡したのだ。

 「今から会えますか」

 時刻は21時を回ったところ。

 よほどでない限り、返事なんて来ないと思っていた。

 彼を選んだのはただ、音楽の趣味が合いそうだったという以外にない。

 着飾って食事に行った自分を、ただ誰かに昇華してほしかった。

 「会えます、どうしますか?」

 返事はすぐにきた。

 わたしは自分から問いかけたのに、なんだか信じられない気持ちのまま、ドライブに行きたいとだけ伝える。

 それからはすぐだった。

 わたしの指定した場所に黒い乗用車に乗って現れたのは、そのときに味わっていた退屈な男とは全く違う、優しく丁寧に話を続けてくれる、まるでどこかのテレビで見たような端正な顔立ちの男だった。

 星が1年で最も情緒的に輝く夜、わたしは彼に出会った。

 ただドライブして、星を見て、家に帰る。

 それだけの時間が、あの日確かにわたしを掬い上げたのだ、夜の底に落ちてどろどろと泳ぐわたしを。



 そして、わたしと彼の名前のない関係は続く。

 わたしが伺いを立てた日に、ただ彼のワンルームに行き、夜ごはんを食べながら動画を見て、眠くなったら一緒にベッドで寝る、それだけだ。

 体の関係さえない、付き合ってもいない、ただそこにいて、ただ同じ時間を過ごす。

 わたしが何も伝えなくても、彼はわたしが眠そうだと思えば動画を停止させて、寝ようかと優しい声で問いかけてくれる。

 セミダブルのベッドに寝転がれば、布団とマットレスの間に感じる自分以外の体温で簡単に微睡んだ。



 だから、恋に落ちてはいけないのだ。


 彼に「女」という存在を感じた時、薄暗い悲しみと同時にストン、と何か腑に落ちた気がした。

 何も言わなくても察してくれる柔らかさと、柔らかい睫毛に縁取られた綺麗な二重を見れば、そんな結論に最初から辿り着かなかった自分の浅はかさを恥じるしかない。

 彼と一緒にいる異性は倍率でいえば、株式上場企業に内定をもらうようなものだ。

 いつでもさみしさでネットの海を当てもなく漂うわたしとは違う。

 顔写真を送ればほぼ一発、彼の網にかからない人間なんていないのに。

 

 わたしがそのことに気づいたのは、すでにわたしは彼の悪戯ぽく笑う顔に心臓の柔らかいところを掬い取られた後だった。

 

 よくない男に引っかかった。

 自分が釣り糸を垂らしたつもりだったのに、いつのまにかその針に刺されていたのはこちらで、彼はいつも何かを隠すように微笑みながらただ優しい低い声で相槌を打つだけ。

 

「寝られないんだけど」

 はじめて同じベッドに寝転がり手を繋いだ時、彼は困ったような声でそう溢した。

 わたしは自分のするべき役割を思案しながら、小さく笑って目を閉じた。

 彼の硬い二の腕がただわたしを抱きしめて、瞼に息を感じながら、そのあとに何も起こらないことに気づいて目を開く。

 薄く白い光が灯った部屋で、彼が優しく離れていくのがわかった。

「寝よっか」

 

 自分が、彼の全てのチェックリストから外れたことに気づいた。

 全てを隠すように笑う笑顔が憎らしい。

 柔らかく笑って、空気を震わせる低い声で囁かれたらわたしはひとたまりもないのに。



 だからわたしは今日も目を閉じる。

 空調のよく効いた室内で、何も言わずにただその時間が過ぎ去るのを惜しみながら。


 あの日見た天の川の光は、一体わたしたちのどこを照らしていたのか、闇に溶けた体ではもう感じる術さえ持っていないのに。

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