エンディングにはまだ早いようですね
霧になった私ですが、何も風任せに移動するわけではありません。
多少の力は必要ですが、千年間の間に大魔法使いといっていいレベルまで到達していたリーリエの血から得られたものは、それを何時間も可能にするほど。相手に気付かれさえしなければ、確実に今回の件を終わらせることができます。
気配を追って空を動く。こうすれば、雲にも紛れることができて、まず気づかれることはないでしょう。
霧のまま動いて数分。すでにはるなさんの姿は捉えています。
ただ……少しだけ、不気味です。
まっとうな人間ならばまず歩まないであろう道というか……お嬢様学校に通う人が通る道ではありません。さっきから裏道ばかり……もしかして、気づいたうえで誘われている?
少しだけ、体が揺らぐ。いけない、心が乱れればそれは体に影響を及ぼす……!
……仮に、気づかれていたとして。私はどう動くべきでしょうか?
このまま家までついていっては、敵が増えます。陰陽師の家系なのですから、娘が襲われるのをはいそうですかと見過ごしてはくれないでしょう。
ならば……誘いだとしても、急襲するしかない。でも、どこから?
このまま体を元に戻して、首筋にかみつくことはできる。着地の時に両足が折れるだろうけれど、十秒もあれば十二分に治ることでしょう。でも、その時にはるなさんの首も折れてしまう……死人が出るのは、うーちゃんの望みではない。それがかつての仲であっても、親しかったのならば余計でしょう。
……コウモリに変わりましょうか。ある程度の群れにはなってしまいますが、精密な操作さえできればその中の一匹だけで首筋にかみつくことができます。
そうなると、問題は時間……もう少し夕暮れ時でないとおそらく無関係の人が怪しみます。リーリエと、うーちゃんから得た情報でSNSの情報拡散力は思い知りました。万が一吸血鬼狩り一族の目につけば、海などたやすく超えてくることでしょう。
しかし、そうなると先ほどの”家にたどり着かれては困る”と言う条件と矛盾する。急がないといけない、けれど、急ぎすぎれば後の憂いを断てない。
急襲という案を捨てる? できる範囲で体を散らせば、地上に近づいても違和感を持たれない程度の密度にはなれます。でも、そうなると集中力、そして何よりリーリエの血からもらった力がかなり消耗します。
チャンスは一度だけ……お互い敵だと分かっている今、夜になればリーリエの護符が効果を失うまでまじないをかけられてもおかしくない。むしろ、その隙を見逃すはずがないでしょう。
……やるしかありませんね。はるなさんが通ろうとしている裏道、ゴミ捨て場だからか、今までのところよりさらに人目がありません。この機を逃すわけにはいかない!
全速力ではるなさんの方へと、体を散らしながら迫る。
うう、体が散りすぎて、集中力以前に、意識さえ散りそうです……! けれど、あと五十メートル……三十メートル……十メートル……。
……ここしかない! あと五十センチで牙が届くというところで体を──
「式神」
「えっ……うぁっ!?」
なんで……読まれていたの? まさか、ゴミ捨て場にみやちゃんを忍ばせておくなんて……!
「計算通り……ありがとうございまぁす、金野先輩♡ ご協力、ありがとうございまーす……あははっ」
「リ……エ……」
「みや、ちゃん……っ! お願い、手を離して……!
「離しちゃだめですよ? その鬼は……ここで封じないといけませんから」
「リ……アマ、ツジ……!」
どうすれば……! リーリエが見失ってからの間に、支配が強くなっている? 腕力も、私への敵意も……普通じゃない!
「あーあ、人を襲うような悪鬼の類は封じないといけませんよねぇ? 陰陽師として当然の職務ですから?」
「そちらから手を出しておいて、何を……!」
「何のことですかぁ? ちょっと寝てもらうだけなのに、人の血を吸おうとするような吸血鬼、本当なら蚊みたいにプチ、ってつぶしてもいいんですけど?」
ボグ、と嫌な音が鳴り、肩に激痛が走る。関節を外された……!
「うあっ!」
「あっはは! 鬼の類でも人と同じところが弱いんですねぇ! せんぱーい、可愛い後輩からのお願いなんですけどぉー……逃げられないよう、足の関節も外しちゃってください?」
「みやちゃん──」
足に手をかけられ、すさまじい力を加えられえ、呼びかけに効果がないのを確認する。
私が力を使える時間も、残りそうない。なら、できることは一つだけ……!
「──ごめんなさいっ!」
「逃がすかっ! リエ=ウヴァロヴァイト・アマツジ!」
おそらく、私の動きを封じるまじないのために放たれた言葉。しかし、その名前はうーちゃんが用意した偽の名前。
陰陽師自身の行動がかかわるまじないでない以上、私を封じることはなく──
「リ……あ? ひ、あ……ん、っくぅ……い……ッ!」
──霧になった私は、みやちゃんの拘束をすり抜け、後ろからその首筋にかみついていました。
ごめんなさい、みやちゃん。けど、式神らしき気配は吸いきれたし、ついでにこんな世界の記憶も吸いだしておきましたから……。
「あとは……あなたです。安倍はるなさん。私の恋人と、友達と、私自身の安らぎのために……少し、痛い思いをしてもらいます」
みやちゃんに対しての吸血で付与したのは、最も手軽で、代償を必要としない性的な快楽。痛みすら超越するそれは、吸血をためらわない同族が良く使っていましたが……これから彼女に与えるのは、痛苦。何も付与せず、ただ首筋に牙をつきたて、命を奪われる側にあると理解せざるを得ない。そして、二度と歯向かう気が起こらないほどのそれは、下手をすれば命にすらかかわるでしょう。
けど、今の私にとってそんなの、どうでもいい。
私を狙ったのは、おそらく先祖代々の役目だったのでしょう。だから、それはまだ見逃してもいい。
けれど……私の恋人を怯えさせ、友達を利用した。それは、絶対に許せない!
「偽名まで使うなんて、追い詰められたものですね、吸血鬼!」
「お互いさまでしょう!」
とっさに懐から形代を取りだしたはるなさん。それは鳥獣戯画のような獣に姿を変えて私に襲い来るけれど、みやちゃんの血と、憑りつかせていた式神の力を取り込んだ私には及ばない。
しかし、その寸隙を縫って放たれたはるなさん自身の打撃が私のみぞおちに食い込む。
「とった!」
勝利を確信したかのようなはるなさんの声。胸元の護符が反応したところから見て、何らかのまじないが込められていたのでしょう。危なかった……!
寸隙を縫うのは、今度はこちらの番。みぞおちを突かれて吐きそうなのをこらえて、勝利の確信──油断から生まれた隙をついて、はるなさんの腕を取り、先ほどまでの私と同じように、地面に倒れさせ、行動を封じる!
「かはっ……!?」
少し力を籠めすぎたのか、はるなさんは口から血を吐く。けれど、そんなこと知ったことじゃありません。
容赦なく、その首筋に牙を突き立てる。
「うああああああああああああっ!?」
怒りから、痛苦を倍増させているのに気付き、それを解除する。どうなってもいいと思えるほど憎い相手ではありますが、なにも命を奪いたいわけではないのですから……。
「く、はな、せ……っ! けがれた、吸血鬼……!」
……けれど、まだ暗示がかけ切れていませんね。もう少し苦しんでもらわなくては──。
「……あるじ、様……最期の献身、ご照覧、あれ……っ! 先に逝って待っているぞ……ツェツィーリエ・ベヒトルスハイム!」
「…………!?」
しかし、牙に流れ込む血液の質が急に変わる。
熱く、体を焼き尽くすような感覚に、思わず牙を抜く。
それと同時に、はるなさんの姿はかき消える。
「けほっ……ごほっ……うう、気持ち悪い……けれど、いったい何が……?」
はるなさんが陰陽師だったはずでは……? けれど、消える間際、彼女はあるじ様、と口にしていた……まさか、彼女すら式神だったというの!?
「……私の本名も知られましたか」
こちらの情報がすべて白紙に返る。そして、敵はこちらの情報を手に入れた。
友達を救えた、という安堵こそありますが……代償は、とても大きなものでした。




