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インバディメント・オブ・デウス  作者: 名古屋市役所前
前章 〜神へ〜
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観念論(イデアリズム)



 神話と宗教は違う。

 

 いやどちらもアニミズムから発生したのだから原始的には一緒なのだろう。


 未開民族の宗教は、社会形態と一体化し、親族組織の秩序を支える役割があった。

 体系化された教義はなく、ただ神話によって信仰は表現されていた。


 都市が建設され、古代国家が統一されても、これはまだ崩れなかった。

 支配制度と宗教が結びつき、その国の国王が神、又はその子孫とされることも多くあった。

 ギリシアにおいては紀元前30世紀、エーゲの文明以降のことか。

 

 しかしここで、宗教は神話と切り離された。

 いや、宗教が神話を引き離したのか。


 インドのウパニシャッド哲学、イスラエルの預言者、諸子百家の思想、ギリシア哲学の発生である。


 ユダヤ教、キリスト教、イスラムのように、万物を創造した人格的存在としての神を中心に置いた宗教も、それは秩序を守るために作られた教義の裏付けでしかなかった。

 モーセ、イエス、ムハンマドは、預言者として神の言葉を預かり、人民に伝え、新しい世界観を示した。

 が、ここで神の存在意義は終わったのである。

 実際に日本においても、ヤハウェやアッラーよりも預言者であるイエス、ムハンマドの方が聞き馴染みがあるのも当然だ。

 これ以降は、彼らの教えを継いだ者たちが教義を広め、民の信頼を得たということだ。


 仏教に至っては死後の世界が描かれても、世界を創造した神は描かれていない。


 そして各地で発声した哲学は形而上学の中に自然哲学、やがて自然科学に基礎となる学問が含まれていた。


 神存在意義が失われかけたここに追い討ちをかけたのが近代化だ。

 

 ことの発端は15世紀、グーデンベルクの活版印刷術の発明だった。

 人々が安価に紙面で教義を手にすることができるようになり、個々それぞれでその内容の解釈の仕方が異なってきた。

 同じキリスト教といっても、私的な部分では信仰の自由を認めざる得なかった。


 このような近代化の中で、人々は神が宇宙を創造したとしても、その後の世界は自ら発展していると考えるようになり、そのメカニズムを探究しようと自然科学いう考え方が出現した。



 19世紀末、ドイツの哲学者ニーチェは、神は死んだ、と言い、ニヒリズムの到来を宣言したが、それよりも遥か昔から神は既に死んでいたのかもしれない。







 ゼウスは人間を危険視する様になっていた。


 かつて私は人間を作った。

 正確にはプロメーテウスが。

 そんなことはどうでもいい。

 そして2度、人間を滅ぼした。


 でも今となっては人間が我々神を作ったのかもしれないというのだ。

 人間が神へ信仰心を抱かなくなるにつれ、我々は以前のような力を失った。


 だから人間界と神界の行き来を封じた。

 それでも尚人間の科学技術は侵食し続け、神界を脅かそうとしていた。



 あのレオとかいう人間の小僧…

 どうするか。


 

 

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