⑧正体の片鱗を垣間見た魔女
朝食後、ネムに急かされて家から出ると、頭上には青空が広がっていた。今日もいい天気だ。
「ルシェリ。早く早く!」
「はいはい。準備するから、ちょっと待ってて」
私の腕を引っ張って催促するネムをいなすと、きょろきょろと周囲へ視線を向ける。
親指の先くらいの大きさの小石を見付けて拾い上げると、都合よく近くにあった切り株の上にそれを置き、十歩ほど離れる。これで準備完了だ。
「ネム。これから切り株の上に置いた小石を浮かせてみせるから、よく見とくのよ」
わくわくが止まらないといった様子のネムに一声掛けると、小石を置いた切り株に向き合う。
そして、深呼吸をして気持ちを整えた私は、両腕を伸ばし、切り株の上の小石へ手のひらを向けた。
いつもなら、片手でちょちょいっとやってしまうのだが、万が一にも失敗したら目も当てられないので、今回は基本に沿って忠実にやる。
まずは、目を閉じて自分の体内を流れる魔力を感じとる。
次に両目でしっかりと目標物を確認したら、魔力を手のひらに集中させ、放出した魔力で切り株の上の小石を包み込む。
上手く包み込めたら、小石を包んだ魔力を変質させる。
今回の浮力魔法は、魔力を風の性質へと変化させ、下から上に押し上げるイメージ。
これだけ聞くと簡単な気がするが、放出した魔力量や性質変化の質、変質した魔力の制御、この内のどれか一つでも間違えれば魔法は正しく発動しない。
ちなみに高位魔法ほど、より正確な魔力量、より正確な変質、より正確な制御が求められる。
しかし、今回は基本中の基本の簡単な魔法なので、かなり大雑把でも発動できる。
逆にいえば、この魔法が発動できなければ、魔法を使う素質がないということだ。
「すごい! 浮いてるっ」
ネムの肩くらいの高さまで浮かせた小石を見て、ネムが歓声を上げる。
だが、この程度で驚いてもらっては困る。
私はさらに意識を集中して、小石をもっと高く上げていく。
そして、私の背丈の二倍くらいの高さまで上げると、私とネムの頭上をくるりと一周させてから、また元の切り株の上にそっと戻した。
「すごい! ルシェリ。すごい!」
水色の目を輝かせて、ネムがパチパチと拍手を送ってくれる。まだ興奮が冷めやらぬのか、ぷにぷにとした頬が赤い。
「ありがとう。さあ、今度はネムの番よ。こっちにいらっしゃい」
私が手招きすると、すぐにネムが駆け寄ってきた。
「ルシェリ。さっきのどうやるの?」
「これから説明するわ。でも、その前に魔法について少しだけ教えるわね」
「うん」
「まず、魔法には大きく分けて、直接魔法と間接魔法の二種類があるの」
「それって、どう違うの?」
「直接魔法は文字通り直接魔法を使うことよ。例えば、魔力の塊を火の性質に変化させて火の玉で攻撃したりするとか。今回教える浮遊魔法も直接魔法よ」
「へぇー」
「一方、間接魔法は道具に魔法を付与して使うの。魔法薬とか魔道具がそうね」
「そうなんだ」
正直なところ、こんな話つまらないとネムが早々に駄々をこねるかと思っていたのだが、意外と興味深そうに聞いている。
「ねえ、ルシェリ。どうして間接魔法が必要なの? 直接魔法を使ったら、間接魔法って要らないんじゃないの?」
思いがけないネムからの質問に、私は少し驚きながら答えを返す。
「直接魔法と間接魔法は、それぞれメリットとデメリットがあるのよ」
直接魔法は、事前準備が要らないため状況に応じて柔軟に対応できるし、間接魔法より威力もある。
ただし、一度に使う魔力量が多いうえ短時間で魔力を正確に変質しないといけないため、扱いが難しい。それに魔女や魔法使いといった一部の者しか使うことができない。
その点、間接魔法はあらかじめ道具に付与した魔法を簡単な手順で発動させるだけなので、魔力のない人でも使える。それに道具に付与する際に使う魔力量も直接魔法に比べて少なく、時間をかけて慎重に魔力を変質させることができる。
ただし、あらかじめ素材や道具を用意する必要があるし、威力も直接魔法より劣る。それに付与された魔法は決まっているので、状況に応じて魔法の効果を変えるといった柔軟な対応はできない。
「だから、状況に応じて魔法を使い分けることが必要なのよ」
それぞれの魔法のメリット、デメリットについて簡潔に説明した後でそう付け加えると、ネムは神妙な顔で頷き尊敬の眼差しを私へと向けた。
しかし、ネムには偉そうなことを言ったが、私が直接魔法を使うことはほとんど無い。
もともと魔力量が少なく、変質の速度も遅い私は直接魔法が苦手なのだ。
そんな心の声を隠すように、すかさずネムに魔法を使う際の手順を説明した。
「とりあえず、まずは実際にやってみましょう。深呼吸して、気持ちを落ち着かせて、自分の中を流れる魔力を感じとるの」
私の言葉に従って、ネムが目を閉じて集中する。
体内の魔力の流れを感知することは、それほど難しいことではない。
ネムも少し集中しただけで、すぐに魔力を感じとれたようだ。
「ルシェリ。魔力の流れがわかったら、次はどうするんだっけ?」
「目を開けて、切り株の上の小石をしっかりと見ながら、両手を小石に向かって伸ばして。そしたら、魔力を両手のひらに集めるの」
「わかった。――――こう?」
即座に体内の魔力操作のコツを掴んだらしく、ネムが言われた通りに魔力を手のひらに集める。さすが成長期だけあって、飲み込みが早い。
「そうそう。上手よ。それじゃあ、次は集めた魔力を小石に向けて放出してみて」
「放出?」
「手に集めた魔力を自分から切り離すの」
「それって、どうやるの?」
「……さあ?」
魔力の放出、変質、制御をする時の感覚は一人一人違う。
そのため、こればっかりは自分自身でコツを掴むしかない。
実は、魔法を習得するうえで一番難しいとされるのが、この魔力の放出だったりする。
もちろん、変質や制御も難しいことに変わりないが、言ってみればこれらは応用にあたり、基本である放出の習得にかかった時間の半分以下で習得可能だと言われている。何事も最初が一番難しいのだ。
通常、放出の習得までにかかる時間は三ヶ月ほどと言われている。
ちなみに、あまり魔法の才能に恵まれなかった私は習得までに五ヶ月近くかかった。
「とにかく、コツを掴むまで何度も試行錯誤するしかないわ。頑張って」
「うん。わかった」
そう答えると、ネムは大きく息を吸い込み、まっすぐに切り株の上の小石を見た。
その真剣な横顔はずいぶん大人びて見える。
『私にもこんな頃があったわね』
もっとも、私の場合は生きるために仕方なくやっていたことだが。
不意に昔の記憶が頭をよぎる。
なんとか魔法を習得したものの、もともと魔法の才能に恵まれなかった私は常に落ちこぼれだった。魔法薬や魔道具のノルマを達成できず、ほぼ毎日のように一人だけ鞭で打たれていた。
まさか、そのおかげで助かる日が来るなんて思ってもみなかったけれど。
逃げた後は、死に物狂いで魔法の腕を磨いた。寄る辺ない少女がたった一人で生きていくためには、魔法に頼る他無かった。
それでも生活は苦しく、時には粗悪品の魔法薬や魔道具を大量に売りつけ、バレる前にとんずらしたことも一度や二度ではない。
身軽だからこそできることだが、今でもその地へは恐くて近寄れない。
遠くに行っていた意識を戻すと、ネムはまだ先程の体勢のまま頑張っていた。
そうとう意識を集中しているのだろう。
ネムの額にはキラリと汗が光っている。
「ネム。私は少し家に戻るわね。出掛ける用意や昼食の支度をしないといけないし。何かあれば呼んで」
集中していて聞こえていないかもしれないが、いちおう声を掛けてからネムに背を向けた。
その瞬間、ネムが弾むように私を呼んだ。
「ルシェリ。見て!」
「何?」
振り返ってネムを見て、ネムの視線の先へ目を向けた私は思わず絶句した。
「ほら、浮いてるでしょ?」
誇らしげなネムの言葉が私の耳を素通りしていく。
小石は確かに浮いていた。
私が手本としてみせたように高々とは上がっていない。せいぜい私の人差し指の長さ分くらいの高さだが、それでも確かに浮いてる。
「ネム……」
信じられない思いでネムを仰ぎ見た私はさらに息を飲んだ。
ネムの瞳が紫色に光っている。
「ネム!」
「!」
いきなり大声で名前を呼ばれたネムの体がビクッと強張り、小石が小さな音を立てて切り株の上に落下した。
「何? どうしたの? ビックリしたぁ」
そう言って、私を見上げるネムの瞳はいつもと同じ水色をしていた。
もしかしたら、見間違えたのだろうか?
いや。私は確かに見た。
「――――ねえ、ネム。もう一度、あの小石を浮かせてみせてくれる?」
少し考えた私は、集中力が切れたせいで魔法が解け、切り株の上に落ちた小石を指差す。
私の考えが正しければ、これで先程のが見間違えかどうかが分かる。
「いいよ。よく見ててね」
機嫌の良さそうなネムが二つ返事で了承して、再度集中力を高め始める。
私はその様子を確認してから、切り株の小石へ注意を向けた。
そのまま、じぃーと見つめ続けること数分。
一瞬、小石が小刻みに揺れたと思った次の瞬間、ふわりとわずかに浮き上がった。
『まさか本当にこの短時間で魔法が使えるようになるなんて……』
一度だけならまぐれかもしれないが、二度目も成功したのなら、それはもう本物だ。
驚きで、しばし思考の止まっていた私はハッと本来の目的を思い出して、勢いよく術者であるネムの方へ視線を向ける。
額から汗を流しつつ、一心に自分が浮かせている小石を見つめるネムの瞳の色は――――紫色だった。
「ネム。もういいわよ」
私の声に反応してネムが力を抜くと、小石の落下音がかすかに聞こえ、ネムの紫色の瞳が徐々に元の水色へと変化していく。
「ルシェリ。どうだった? 上手く出来たでしょ」
ネムが笑顔で私に抱きついてくる。
私は、私の中に渦巻く疑惑が大きくなっていくのを感じながら、それでもいつものようにネムの頭を撫でてやった。