⑦魔法の教えを乞う養い子
自宅の台所で朝食の支度をしていると、じょうろを片手に持ったネムが勢いよく駆け込んで来た。
「ルシェリ。外の薬草に水やってきたよ」
「ありがとう。それじゃあ、じょうろを置いて手を洗ったら、布巾でテーブルの上を拭いてくれる? 朝食にしましょう」
「ハーイ」
元気よく返事をすると、ネムが私の横をすり抜けて水瓶の方へ向かう。
すでにネムの背丈は私の胸の辺りまである。
この分だと、ネムに身長を抜かされるのも時間の問題だろう。
◇ ◇ ◇
赤ん坊のネムを森で拾ってから、そろそろ一年が経つ。
それなのに、現在のネムは七~八歳くらいの見た目をしている。
どうやら、知能も見た目相応くらいあるらしく、最近では簡単な計算や読み書きも問題ない程度に出来るし、簡単な家事の手伝いもしてくれるようになった。
また、心身の成長に伴い、魔力もどんどん強大になっている。おそらく純粋な魔力量だけならすでにネムの方が上だろう。
もし、外で正体不明のこんな恐ろしい魔力を感知したら、私は間違いなく踵を返して一目散に逃げる。だって、万一そんな奴に目を付けられたら怖いではないか。
『やっぱり、このくらい強い魔力だと通常の成長速度では身体が魔力を受容できないのね』
私はふぅとため息を吐くと、数ヶ月前に届いたロジィの報告書を思い返す。
ネムから求婚された日に届いた郵便物。あれがロジィからの報告書だった。
その日の夜、ネムを寝かしつけた私は、報告書の入った大きめの封筒を持って書斎に行き、一人掛けのソファーに深く腰掛けると、逸る気持ちを落ち着かせながら、ペーパーナイフでゆっくりと封筒の口を切る。
中から出てきた分厚い紙束は紐で綴じられており、私はゆらゆら揺れる蝋燭の灯りの中、報告書と大きく書かれた一番上の紙を静かに捲った。
最初に書かれていたのは魔族の子供についての記述だった。
何故、魔族の子供のことが書かれているのかと疑問に思ったが、ロジィに依頼した内容が『異常な速度で急成長する赤ん坊』だったことを思い出した私は自分のミスに気付いてガックリと項垂れる。
「たしかに『人間の赤ん坊』とは指定してなかったわね……」
まさか、報告書が来るまでやたらと時間が掛かったのはこのせいなのか?
つまり私は、的確に依頼内容を伝えてなかったせいで、お金も時間も余計に使ったと。
「……考えるのは止めよう。悲しくなる」
深呼吸をして気を取り直すと、私は改めて報告書へ目を向けた。
せっかく調べてもらったので、一応後学のために魔族の子供に関する記述も少しだけ読むことにする。
報告書によると、魔族の子供は人間の子供に比べて何倍もの速度で成長するらしい。
その理由として、魔界という環境と体内の魔力バランスが考えられるという。
まず、魔界は弱肉強食の世界で弱い者から死んでいく。もちろん魔族にも親子関係というものは存在するし、子供が独り立ちするまでは親が子を守る。
しかし、親が殺される場合もあるし、なんらかの理由で親に捨てられる場合もある。
そうなった時、自分で身動き出来ない赤ん坊だと、その子供は死ぬしかない。
だが、ある程度自分で動ければ、僅かながらも生存の可能性が出てくる。
「こっちの世界でも鹿とか山羊とかは生まれてすぐ自分の足で立って歩くものね」
そうしないとすぐに肉食獣に襲われて食べられてしまうからだ。
魔族の子供も同じようなものなのだろう。
それと、もう一つの理由。
生まれつき絶大な魔力を持つ魔族にとって、赤ん坊の小さな身体では、自分の魔力を受容しきれないらしい。そのため、体内の魔力量に合わせて身体も急速に大きくなるのだとか。
そのあとも魔族の子供についての記述が続いていたが、そろそろ飽きてきたので、読まずに紙をパラパラと捲る。
そして、ようやく人間の子供についての記述を見付けて、紙を捲る手を止めた。
報告書によると、長い歴史の中で過去に二例だけだが、ネムと同じ症例の子供がいたという記録が残っているらしい。
どちらも生まれつき魔力が強く、おそらくは魔族の子供と同じように自分の魔力を受容できるように身体の成長が早かったのだろうと考えられているそうだ。
ちなみに、どちらの子供もある程度まで成長した後は、身体の成長が周りの子供より緩やかになり、最終的には同年代の人と同じくらい生きたとか。ただし症例が少ないため、この二人がたまたまそうだっただけなのか、この症例の全ての人に当てはまるのかは解明されていない。
それでも、過去に同じような子供がいたことがわかって、しかも普通の人と同じくらい長生きしたことが知れて、少しだけ心が軽くなった。
◇ ◇ ◇
「ルシェリ。テーブル拭いてきたよ」
気付けば、いつの間にか布巾片手にネムが隣に立っていた。
どうやら私は、少し物思いに耽っていたらしい。
「ありがとう、ネム。さぁ、座って。朝食にしましょう」
食事を両手に持って、ネムと一緒にリビングへ移動する。
もともと私ひとりが使っていた木のテーブルは二人で使うには少し狭い。それでも買い換えるお金がもったいないので、そのまま使用している。
私は何回か台所とリビングを往復して、私とネム二人分の食事を運んだ。
メニューは、切り分けたバゲットと野菜サラダと昨夜の残り物の豆のスープ。
バゲットには、家の近くで採れた木苺を使ったジャムをたっぷり塗っていただく。
飲み物は、私が紅茶。ネムが山羊のミルク。
もちろん、ネムはすでに乳離れしているが、山羊のミルクは栄養満点で体に良いので、今でも与えている。
「美味しそう。いただきます」
私が席に着くと、今までおとなしく木の椅子に座って待っていたネムがニコニコと笑いながらたっぷりジャムが塗られたバゲットに手を伸ばしてかぶりついた。
「美味しい! このジャム、すごく美味しいよ」
口の周りをジャムで汚しながら、ネムがパクパクとバゲットを頬張る。
美味しそうに食べるネムを眺めていると、なんだか心が温かくなって私の頬も緩んでいくが、すぐに気を取り直して顔を引き締める。
「ネム。口周りが汚れてるわよ」
手を伸ばして、ネムの口をハンカチで拭いてやる。
「それとバゲットだけでなく、サラダとスープもちゃんと食べなさい」
「はーい」
私の注意を素直にきいて、ネムは手に持っていたバゲットをいったん木のお皿に置くと、湯気の立った豆のスープを食べだした。
木のスプーンで器用にスープを飲むネムの姿を見て、ついこの間まで私が赤ん坊のネムに木のスプーンで山羊のミルクを飲ませていたのになぁと懐かしく思う。
現在ネムの食器は、すべて木でできた子供用の物を使用している。
最初は普段私が使っている陶器の食器を使っていたのだが、一度ネムがミルクを飲んでいた時にカップを落として割ってしまったので、それからすぐ子供用の木の食器を買ってきた。
木の食器なら丈夫で軽いから使いやすいし、もし落としても陶器のように粉々になることがないので、怪我をする恐れも低い。
「どうしたの? ルシェリ。食べないの?」
「えっ?」
急にクリッとした水色の瞳を向けられて、思わず動揺する。
しかし、ネムに気を取られていて、まだ食事に手付かずだったことに気付き、さりげなくバゲットに手を伸ばした。
「ちゃんと食べてるわよ」
木苺のジャムを塗ったバゲットをかじって見せた後で、話を変える。
「そういえば、今日は午後から出掛けないといけないから、いつものようにお留守番よろしくね」
「えぇー。すぐ帰って来る?」
思った通り、ネムが食いついてきた。
早く言うとネムが駄々をこねるので、本当は昼食の時に言おうと思っていたのだが、この際仕方ない。
「依頼人の内容次第ね」
今日は依頼人の話を聞くだけのつもりだから早く帰れるとは思うけど、急ぎの用件だったり、二時間以内で終わるような簡単な依頼だったら今日中にやってしまいたい。
「まあ、遅くても日暮れまでには帰るようにするから」
「……早く帰って来てね」
ネムがしょんぼりと肩を落とす。
これまでのネムなら「イヤだ! 行かないで、ルシェリ」と私に取りすがって大泣きするところなのに、身体だけでなく精神まで成長しているということだろうか。
聞き分けがいいのは喜ばしいが、そうなると罪悪感がすごい。
「ネム。そのかわりと言ったらなんだけど、今日は昼食の時間まで一緒に遊んであげるわ」
「本当?」
しぼんだ顔をしたネムが私の提案を聞くなり、笑顔の花を咲かせる。
「もちろん。何して遊ぶ? 鬼ごっこ? かくれんぼ? それとも、お絵描きとか?」
「…………ルシェリ。僕はもう大きいんだから、そんな子供っぽい遊びはしないんだよ」
ぷうっと頬を膨らませて抗議するネム。
私は辛うじて「まだ子供でしょ?」という言葉を飲み込んだ。
「そっか。それじゃあ、ネムは何がしたいの?」
私の質問にネムが即答する。
「あのね。僕、ルシェリに魔法を教えて欲しい!」
「魔法を?」
「うん。僕もルシェリみたいにホウキで空を飛べるようになりたいの。そうしたら、どこにだって行けるでしょ?」
キラキラと水色の瞳を輝かせて笑うネムは、まだ見ぬ世界へ憧れているかのようだ。
ネムは外の世界を知らない。
この家と、せいぜい家の周辺だけがネムの世界の全てだ。
限られた世界しか知らないから、ネムは私を頼り、甘え、好きだと言う。
私の本性に気付く事さえなく。
今までは、それで上手くいっていたのに何故いきなりそんなことを言い出したのだろうか?
とりあえず、遠回しに探りを入れる。
「ネムは、どこか行きたい所があるの?」
最近ネムは、絵本では物足りないようで、書斎に置いている私の書物をこっそりと読むようになった。
書斎にあるのは、魔法関係の物と地図と図鑑類、それと料理本や生活の極意が書かれた主婦の味方だけだ。
子供が興味を示しそうな物はほぼ無いが、見られて困るような物でもないので黙認している。
もしかしたら、たまたま見た図鑑に載っていた動物が見たいとか、案外そんな理由かもしれない。
しかし、ネムは私の質問に首を傾げた。
「別に行きたい所なんてないよ?」
予想外の答えに、今度は私が面食らう。
「で、でも、ホウキで空を飛びたいってことは、どこか行きたい所があるからなんじゃないの?」
「行きたい所なんてないよ。ただ僕がホウキで空を飛べたら、ルシェリと一緒にお出かけできるでしょ?」
その言葉に、ハッと気付かされた。
いくら聞き分けが良くなったからといって、寂しい気持ちが小さくなったわけでは無いのだと。
「ねぇ、ルシェリ。ダメ?」
「……いいわよ」
正直なところ、ネムに魔法を教えるのはまだ早い気もするが、どうせいずれは教えるつもりだったし、何より本人にやる気があるのなら、多少前倒ししても構わないだろう。
「そのかわり、いきなりホウキで空を飛ぶのは無理だから、まずは基本の物を浮かせる魔法の練習からよ。それでもいい?」
「うん! ありがとう。ルシェリ」
「それじゃあ、まずは残りの朝食を食べてしまいましょう。慌てず、よく噛んで食べるのよ」
「はーい」
ネムがパクパクと急いで朝食を頬張る様を眺めながら、私は少しぬるくなった紅茶を喉に流し込んだ。