⑥調査を依頼する魔女
自宅の書斎にある書き物机に向かった私は、頭を抱えて唸る。
いくら忙しいからといって、いつまでもネムの異様な成長速度について目を瞑ってはいられない。
「やっぱり、学者の街に行くしかないかしら?」
静かな部屋に自分の独り言が響く。
学者の街は通称で正式名ではない。専門学校や研究所が集まって出来た街で、世界各国から学者や研究者、その卵達が集まって来る場所だ。
その街に住む約九割は、学者か研究者か学生というから驚きだ。ちなみに残りの一割は学校や研究所などの職員らしい。
「学者の街の大図書館なら、何か分かるかもしれないんだけど……」
学者の街の中央にそびえ立つ大図書館には、この世界で発行されたありとあらゆる書物が所蔵されていると聞く。
そこなら、異様な速度で成長する赤ん坊のことも何か分かるかもしれない。
実はこれまでも何度か大図書館に調べに行こうと思ったことはあった。
ただ、そうなると問題がひとつ。
「遠いのよね」
ハァとため息を吐く。
学者の街は、ここからホウキで飛んでも半日掛かる。つまり往復だと丸一日。
しかも、学者の街に入る手続きと大図書館を利用する手続き、それに大図書館で資料を探す時間などを考えると、数日は留守にすることになる。
さすがに、そんな長期間ネムを一人にするわけにはいかない。買い出しのために一~二時間留守にするのとは訳が違う。
しばらく頭を抱えて、うんうん唸った後、私は決断した。
「仕方ない。ロジィに頼むか」
ロジィは贔屓にしている情報屋だ。
灰色がかった金髪に深緑色の瞳をした男性で、年齢はたしか私の三つか四つ上とまだ若く、身長は私の頭一つ分高い。中肉中背で顔立ちも平凡。街ですれ違っても次の瞬間には忘れるくらい特徴がないのが特徴のごく普通の青年だ。
本当なら金欠だし、わざわざ金のかかる情報屋に頼みたくなどないのだが、背に腹は代えられない。
このままネムの成長速度が変わらず、あっという間に老化して死ねば大損だ。
だから、これは必要経費であり、先行投資なのだと自分を納得させる。
早速、私は書き物机の引き出しから便箋を取り出すと、卓上のペンを走らせた。
「これでよし。あとは次の買い出しの時にロジィ行きつけの店に預けておくだけね」
封筒を糊付けし、上から蝋を垂らして封印する。
これで、ネムの異様な成長速度の謎が解けると思うと、思わず頬が緩んだ。
◇ ◇ ◇
ロジィに『異常な速度で急成長する赤ん坊』についての調査を依頼してから早四ヶ月。
いまだロジィからの回答は何もない。
勿論、私以外からも依頼はあるだろうし、中には急ぎの案件もあるかもしれない。
それに、私の依頼は緊急性が低いし、優先的に調べてくれる特別料金をケチったから後回しにされている可能性もある。むしろ、その可能性が限りなく高い。
「それでも私は依頼料を払ってる歴とした客よ! さすがに一度、進捗情報を報告するよう催促してやるわ」
帰ったら早速ロジィに催促の手紙を書こうと心に決めて、ホウキで空をかっ飛ばし、ネムの待つ我が家へと急ぐ。
山奥の開けた場所にポツンと立つ二階建てのログハウスの前に降り立ち、年代を感じさせる木の玄関扉の取っ手に手を掛けた私はすぐ違和感に気付いた。
玄関扉には、内鍵は付いているが外鍵はない。そのため、留守中は家全体に結界魔法をかけてある。
結界魔法は外からの侵入を防いでくれる魔法だ。外から結界を破るにはかなりの実力者でないと難しい。ただし、内側からなら誰でも簡単に破れる。だからネムには、私の留守中に誰かが来ても絶対に玄関扉を開けないようにと、きつく言い聞かせてある。
それなのに、今日は結界が破られていた。
「ただいま、ネム」
「ルシェリ、おかえりっ」
平静を装い、いつも通りに玄関扉を開けると、玄関口で待ち構えていたネムがいつものように抱きついてくる。
最初は何故、いつも私が帰って来るのが分かるのか不思議だったが、どうやら人一倍強い魔力を持ったネムは、他人の魔力にも敏感なようで、私が近くまで戻って来ると、私の魔力を感知して玄関口で待っているらしい。
おそらく赤ん坊の頃、私が出掛けようとした時に大泣きしていたのも、私の魔力が遠ざかるのを感知していたからだろう。
「ただいま。良い子にしてた?」
内鍵を掛け、ホウキを玄関口へ立て掛けてから、ネムの頭を撫でてやる。
すでにネムの背丈は私のおへそ辺りまで伸びている。それに最近は言葉の発達も目覚ましく、簡単な日常会話くらいなら問題なく話せるようになった。
「うん! あのね、えほんよんでたの」
ネムが水色の瞳をキラキラさせて、笑顔で開いたまま床に置き去りにされている絵本を指差す。
おそらく、私を出迎える直前まで読んでいたのだろう。
ちなみに絵本は、育児書を買った時に五冊セットで投げ売りされていたのを見つけて、ついでに買ったやつだ。
同じ絵本を何度も繰り返し読み聞かせしていたせいか、教えてもいないのに、いつの間にか文字を読めるようになっていた。
まだ文字を書くことは難しいようだが、調味料や魔法薬の瓶に貼ったラベルなど、簡単な単語なら読める。
「そう。偉いわね」
にっこりと笑って、再度ネムの頭を撫でる。
「ところで、何か変わったことはなかった?」
笑顔でネムを問いただす。
何もなかったわけがない。
私が出掛けにかけた結界が破られているのだから。
案の定、ネムはばつが悪そうな顔をすると、おずおずと白状した。
「あのね、ゆうびんがきたの」
「郵便?」
「うん。とってくる。ちょっとまってて」
そう言って奥の部屋へ駆け出したネムは、すぐに大きめの封筒を持って戻ってきた。
「ハイ。どうぞ」
私は大きいだけでなく、厚みもある無地の封筒を受け取った後で、ネムに話しかける。
「ありがとう、ネム。だけど、この郵便はどうしたの? もしかして、配達人が来た時に玄関扉を開けて、直接受け取ったの?」
「ちがうよ! なにかこえがして、すぐしずかになったから、ちょっとだけおそとのドアあけてみたの。そしたら、ゆうびんうけになにかがはいってたから、とりにいっただけだよ」
配達人には、不用意に結界に触って怪我をしないよう、あらかじめ外から声を掛けて返事がなければ、外の郵便受けに郵便物を入れておいて欲しいと伝えてある。
だから、ネムの言うことは真実なのだろう。
しかし、肝心なのはそこではない。
私はネムの必死の弁明を最後まで聞くと、静かに口を開いた。
「ネム。私はね、ネムに誰が来ても留守番中は絶対に玄関扉を開けないようにって言ってたでしょ?」
「……」
「どうして開けちゃダメなのかも説明したわよね?」
「……うん」
「それなのに、どうして約束が守れないの? 約束が守れない子は私嫌いよ」
「……ごめんなさい」
「もうしない? 今度はきちんと約束できる?」
「うん。やくそくする。ごめんなさい」
しゅんとしたネムが素直に謝る。
「だから……」
不安そうな顔で私を見上げるネムの水色の瞳にはうっすらと涙が溜まっていた。
「ボクのこと、キライにならないで」
ネムがすがるように、私の黒いワンピースをギュッと握りしめる。
そのいじらしい様子に私は努めて優しく声を掛けた。
「嫌いになんてなるわけないでしょ? 大好きよ、ネム」
そう。大好きよ。
将来の金蔓としてね。
どす黒い本心を笑顔で隠して頭を撫でてやると、ネムの顔がパッと明るくなる。
「ボクもルシェリのことダイスキ!」
「本当に?」
「うん! だから、おおきくなったらボクとけっこんしよっ」
「結婚? 私と?」
「そうだよ。ルシェリはボクのおよめさんになるの。やくそくだからね!」
私を見上げるキラキラと輝く瞳には一点の曇りもなくて、思わず承諾してしまった。
「いいわよ。ネムが大人になったら結婚しましょう。約束するわ」
「うん。ぜったいだよ!」
こんな子供の頃のたわいもない約束。
きっとネムは、すぐに忘れてしまうだろう。
それでも私は、こんなに一途に想われていることが嬉しくて、それと同時にこの純粋な好意を踏みにじろうとしている自分が酷く汚く感じた。