④赤子に翻弄される魔女
「疲れた……」
いま買い込んできた育児道具一式を部屋の隅に置くと、私は自宅の長椅子に身を投げた。
「もう無理! もう一歩も動けない」
長椅子の上でグッタリしながら、私はこの数日間のことを思い返す。
◇ ◇ ◇
森の中で赤ん坊を拾った後、私は運良く肉食獣と遭遇することもなく、何とか日が落ちきるぎりぎりのタイミングで森の出口へ辿り着くことができた。
しかし、それからがまた大変だった。
森から一番近い村へ向かう途中で完全に夜になり、月と星の明かりだけを頼りに外灯一つない暗い夜道を歩く。
しかも、いくら森を抜けたとはいえ、夜道を女一人――正確には赤ん坊もいるから一人じゃないけど――で歩く行為はかなり危険だ。
夜行性の獣や盗賊に襲われるかもしれない。
私は疲れて棒になった足を叱咤しながら、ひたすら足を交互に動かし続ける。
黙々と歩いていると、腕の中のネムが突然泣き出した。
「ちょっと、何!? どうしたの?」
思いの外、辺りに響く声にビビりながら、腕に抱いたネムの顔を覗き込むが、顔に虫がついているなどの異常はない。そうすると、考えられることは。
「ミルク? それともオムツ?」
よくよく考えてみれば、ネムを拾ってからすでに三時間以上は経っている。たとえ、私がネムを見つける直前にミルクをもらっていたとしても、そろそろお腹が空く頃だろう。それにオムツも交換しないと汚れていると思う。
しかし、どちらにしろ今の私にはミルクもオムツもない。
「ネム。もう少し我慢して。村についたら、何とかするから」
泣いているネムをあやしながら、声をかける。
「わかったら泣き止んで。泣き声で獣や盗賊に気付かれるでしょ?」
もし今、獣や盗賊が襲ってきたら、ネムを置き去りにして逃げよう。きっと囮になってくれる。さっき拾ったばかりの赤ん坊のために、私が体を張る必要はどこにもない。
そんなことを考えながら、ネムをあやしつつ、先を急ぐ。
いつ獣や盗賊が襲って来ないかと、ビクビクしながら夜道を歩いていたので、村の灯りが見えた時は思わず泣きそうになった。しかし、涙をグッと我慢して村へ向かい、村の出入口で警備をしていた二人の若い男へ事情を話し、今夜一晩だけ村へ泊めて貰えないかと頼むが、私のことをかなり警戒しているらしくすんなりとは通してくれない。
二人の男のうち、一人が村の中へ駆けていき、もう一人はそのまま私を怪しそうに上から下までジロジロと眺めている。おそらく、黒いとんがり帽子に黒いマント、黒いワンピースに黒いブーツという、いかにも魔女ですという格好のせいだろう。
この世界では、魔力を持つ者は少ない。
そのため、色々と偏見を持たれることが多い。
都会の方ではそれほどでもないが、田舎の方だとよりその傾向が強く、一昔前なら異端者として処刑されることも間々あったらしい。
ただ、私がいかにもな魔女の格好をしているのには訳がある。理由は簡単。一目で自分が魔女だと周囲にアピール出来るからだ。
魔力がない者は、当然ながら他人の魔力を感知することが出来ない。つまり、大多数の人間は魔法使いや魔女に依頼したくても、それを見分ける術がないのだ。
そのため、大抵は仲介者に頼むことになる。しかし、仲介者を挟めば仲介料が発生するわけで、仲介料分魔法使いや魔女の手元にくる報酬は少なくなる。
だが、一目で魔女とわかる格好をしていれば、用のある人間は直接声をかけてくるし、それ以外の人間は避けてくれるので何かと便利なのだ。
ただ、今回はそれが裏目に出たわけだが。
私は心の中でため息を吐くと、村の中へ駆けて行った男が村長を連れて戻ってくるまで、泣いているネムをあやし続けた。
◇ ◇ ◇
「ネム。ほら、ヤギのミルク貰ってきたから飲める?」
片手に持っていたランプを埃っぽい木の床に置き、かわりにおくるみに包まれた状態で寝かせていたネムを抱き上げると、私は大きめの木のスプーンでほんのりと湯気のたったヤギ乳をすくい、ネムの口元へ持っていった。ネムは啜るようにして少しずつ飲んでいく。
可能なら、もらい乳を頼みたかったが、魔女の連れた子供なんて触りたくないと拒否された。
「美味しい?」
スプーンの中のヤギ乳を溢さないように注意しているが、抱きながらスプーンで飲ませるのは案外難しい。
それでも何とか飲ませ、ゲップをさせるとオムツを替える。
オムツは赤ん坊のいる家から使い古しの物を譲ってもらった。
正直、ミルクのやり方もオムツ替えの方法も全くわからなかったが、遥か昔に私より年長の子がまだ幼い弟妹の面倒を見ていた様子を思い出しながら、何とかそれらしくやる。
「町に着いたら育児書を買わないとダメね……」
ネムのぐちゃぐちゃになったオムツを見ながら呟いた。
「ごめんね、ネム。気持ち悪いかもしれないけど、しばらくこれで我慢して」
できれば、赤ん坊のいる家の母親にオムツ替えの方法を訊きに行きたいのだが、村長から納屋で良ければ一晩泊めてやるが、不必要に外を歩き回れば即刻村から出て行ってもらうと言われているので、危険は冒したくない。
仕方なく、不格好なオムツ姿のネムを抱き上げる。きっと具合が悪いだろうに嬉しそうにキャッキャッと両手を伸ばすネムに少し胸が痛んだ。それに気付かない振りをして、ご機嫌なネムに話しかける。
「それにしても、ネムって男の子だったのね」
ふわふわとした亜麻色の髪にクリッとした水色の瞳、ほんのり赤いふっくらとしたほっぺ。
特に理由はないが、可愛らしいので何となく女の子だと思っていたから、オムツ替えの時に発覚して吃驚した。
「きっと将来モテモテね」
何気に容姿は大切だ。同じ商品を扱っているのなら見た目の良い方から買いたいと思うのが人間の性だ。
それに、もし私の手に余り売りネムを払うことになっても容姿が良いに越したことはない。
「それじゃ、そろそろ寝よっか。明日もいっぱい歩かないと行けないし」
大型のトカゲ退治を依頼された町は、この村のさらに先にある。
とりあえず、明日は依頼された町まで行って報酬をもらい、タイミングが良ければ乗り合い馬車を乗り継いで自宅近くの町まで行きたい。
魔女が乗り合い馬車を使うのは嫌がられるが、金を積めば断られることはないだろう。
あと懸念材料があるとすれば、ネムのことだ。
いくら魔力のある者が少ないとはいえ、人の集まる大きな町では遭遇する確率が高い。
ただ、魔力があっても私のようにおおっぴらにしている人は少なく、大概は魔力を隠して生活している。
魔法薬や魔道具作成など、魔力が不可欠な依頼は誰でも出来るわけではないので、通常の依頼よりも割高になる。そのため、私は魔女であることを全面に押し出して仕事をしているが、家族や世間体を守る必要がある人は割のいい仕事を蹴ってでも平穏を望む。
だから、たとえネムの魔力に気付いても、わざわざ声をかけてくる物好きは早々いないだろう。
それに、まさか赤ん坊がこんな強大な魔力を持っているとは誰も思わないだろうから、通りすがりにチラッと見るだけなら、ネムを抱っこしている私の魔力だと勘違いするに違いない。
ひとまず安心した私は、ネムに話しかけた通り、早々に休むことにした。
隅の方だと虫やネズミがいそうなので、着けていた黒いマントを外し、真ん中辺りに敷く。
その上にネムを寝かせ、私も木の床に直置きしていたランプを近くに持って来ると、灯りを消してネムの隣に転がった。
今日一日歩きっぱなしで疲れきった私は、横になってすぐに夢の世界へと落ちていった。
◇ ◇ ◇
翌日、一泊した村をあとにして、トカゲ退治の依頼をされた町で報酬を受け取ると、乗り合い馬車を乗り継いで、数日かけてようやく自宅のある山の麓の町まで帰ってきた。
ネムを抱いての最後の山登りは、残り少ない私の体力を根こそぎ奪い、私はヒーヒー言いながら気力だけで何とか家路に着くと、すぐにネムを籠の中に寝かせる。
そのまま私もベッドへ直行したかったのだが、荷物になるので買っていなかったネムのミルクやオムツや育児書を買いにいかねばならないため、仕方なく物置にしまっていた予備のホウキを取り出し、魔女らしく空を飛んで町へと向かった。