迷宮撤退
「すまない! 一時の気の迷いだ! 許してくれ! 頼む!」
そう言って地面に頭を擦り付けている幼馴染みの飯沼を俺は冷ややかに見下ろしていた。
――どうしてこうなってしまったんだろうな。
先史時代、青木ヶ原樹海と呼ばれていた深い森の奥、小さな洞窟の入口付近で情けない姿を晒す飯沼に、先ほどまでの激情は嘘のように引いていった。幼馴染みで無二の親友。俺はそう思っていたのだが、こいつにとっては単なる同僚の一人ということだったのだろうか。自分の命を優先し、俺達の命を盾にしようとした男の薄汚い命乞いが幼い日の思い出を汚す。
思わず大きな溜息を付いてしまい、慌てて背後を振り返った。
「いくら……隊長のご友人だからといっても限度があります」
「ああ、そうだな」
俺の表情を見て副官のサキが静かに現実を告げる。任務中は冷静な態度を崩さない彼女なのだが、俺と奴の関係をおもんばかってか声が少し震えていた。だがサキの言うとおりだ。確かに限度を超えてしまっている。
「ひっ……」
腰に下げていた軍刀を抜いたことで飯沼は小さく悲鳴を上げ、腰砕けに後ずさろうとするが、取り囲んでいた俺の部下達により動きを止められてしまった。
「隊長、お願いします」
「ああ」
部下により無理矢理頭を押さえ付けられたことで飯沼の首筋がハッキリと見えるようになった。この後をやりやすいようにするためか、あるいは、親友を本当に処断できるのか試されているのか。しかし直前まで助命を請うためだった姿勢で最期の時を待つというのは皮肉な話だな。
「な、なんでぇ! 俺達、親友だろ。幼馴染みだろ! これまで一緒に戦ってきた仲じゃないか。嘘だろ? 冗談だよな? な? 助けてくれよ! 本当に反省しているから……なぁ、殺さないでくれ!」
顔を地面に押しつけられたまま、飯沼は必死に声を上げた。
「片桐、沼田、佐戸井、大内、熊田、佐藤、宮永、北村、鈴木、山本、是永、重田、黒木」
「な、なにを……」
「全部で13人だ。お前らのせいで死んだ俺の部下は」
「俺の部下だってほとんど死んだよ! 同じじゃないか!」
「ああ、そうだな。命令を無視して街から馬鹿馬鹿しくも娼婦を連れ帰ったお前達。それに巻き込まれた俺の部下……みんな死んでしまったな」
「お、おい! 待て! 俺はまだ生きてっ」
飯沼の言葉を最後まで聞くことなく、俺は頸骨に当たって刃先がこぼれないよう慎重に延髄の部分へ軍刀の切っ先を沈めた。飯沼は一瞬だけ身体を痙攣させると、そのまま動かなくなる。その周囲では飯沼隊の生き残りも俺の部下達の手で後を隊長の追っていた。
「飯沼小隊は遭遇戦の末、我が隊とともに果敢に戦い全滅した」
「はい?」
俺の言葉にサキが疑問の声を上げる。
「すまん、卑怯な話だがこれまでの武勲もある。奴らの家族のためにも、せめて名誉だけは守ってやりたい」
「わかりました」
墓穴は飯沼隊に無理矢理準備させてあった。そこへ埋葬するようサキが指示を出す。渋々といった感じで動き出した部下達に俺は黙って頭を下げた。こいつらのせいで仲間を失ったばかりだ。物を言わぬ骸になったとは言え憎かろう。
「た、隊長! 頭を上げてください」
「いいっすよ。守る名誉もクソも俺達が生き残って帰れればの話ですし」
「こんな所に置いておいたら獣が近づきますからね。その辺に埋めてしまうのが一番ですよ」
ああ、俺は良い部下を持った。
「それでどうしますか?」
サキの声に俺は俯いていた顔を上げた。作業を終えた部下達も俺の言葉を待つ。
「撤退する」
「……どこへですか?」
サキの疑問に俺は洞窟の奥を――
□■□
帝国の第三王女が国境近くの街を巡察中との情報を得た軍部は俺と飯沼の小隊に拉致を命令。移動中に急襲し王女を攫った俺達は追ってから逃げながらまもなく国境を越えるというタイミングで夜営中だった。ここならば安全だと指定されたエリアであり、明日には帰国できるはずだったのだ。陽動を指揮していた飯沼が油断をしなければ――
「敵襲だぁ!」
誰かの叫び声に反応して俺達はすぐに灯りを消し武器を取った。そこへ別ルートで脱出中だった飯沼が僅かな部下を引き連れ飛び込んで来たのだ。
「何ごとだ! なぜこっちに来た!」
「敵襲だ! 俺達以外は殺されてしまった! 頼む、助けてくれ!」
陽動の役割は囮だ。俺達の隊が見つかりそうになった際に、敵を引きつけその場で交戦して時間を稼ぐのが仕事だ。それなのに、なぜこちらに助けを求めてくる? 俺の疑問は飯沼に続いて飛び込んで来た兵士の言葉で氷解する。
「飯沼隊長が娼館から女を攫って……ふぐぅ!」
飯沼は焦ったように追従してきた男を殴りつける。
「飯沼! 貴様、女に入れ込んだ挙げ句、敵に付けられてきたのか!」
「そ、そんなことはどうでもいい! すぐに敵が来るぞ、貴谷!」
お前が連れてきたんだろう!
その言葉が喉から出かかったが、飯沼の部下の頭が吹き飛ばされたことで、それどころではなくなった。
「物資は現時点で放棄。荷物は連れて行く。総員撤退!」
□■□
―― だが、その撤退戦で13名の大切な部下を失いながらも俺達はこの洞窟へ逃げ込むことが……いや、追い込まれたと表現した方が正確か。
「隊長! この先は駄目です。ここは単なる洞窟じゃありません!」
俺の視線を見てサキが悲鳴のような声を上げる。
「ああ、そうだな。敵が周囲を囲んだまま攻めてこない所を見るとここは間違い無く裂け目だろう」
「だったら……」
「どうする? 降伏するか?」
「降伏は……ありえません」
帝国の捕虜になった兵士の運命は明快だ。その場で殺されるか、過酷な労働の末の死だ。投降は自殺と同じ意味を持つ。それくらいだったら戦った方がマシだ。
「突破できる可能性は?」
「無理だと思います」
「なら答えは一つだ。ここを抜けよう」
俺の言葉にサキが目をギュッと閉じた。まるで恐怖に耐えるような様子を見せたことに部下達が慌てて励ましの声を上げる。
「サキちゃん。俺達なら覚悟はできているぜ」
「隊長もいるし余裕じゃないっすか?」
「サキちゃんと隊長は俺達が護るから任せろよ!」
「俺達は隊長とサキちゃんの結婚式に呼ばれるまでは死ねないしな」
「馬鹿もの! 私のことは副官殿と呼びなさいと何度も……! それに隊長とはまだそんな関係じゃない!」
囃し立てられサキが顔を真っ赤にしながら部下達を殴り飛ばした。普段は冷静なサキも俺のことで弄られるのは苦手なのだ。しかし細身の身体のどこに力があるのかはよく分からないが隊の中で一番強いサキにられた部下は綺麗に吹き飛んでいく。いずれにせよ恐怖を克服できたみたいでよかった。
「諸君。俺達はこれより地獄へ入る。食料も水も全て現地調達だ。魔物の肉を喰らい、その血を啜りながら第二層を抜けて本国へ帰るぞ」
覚悟を決めた部下達の表情に笑みが浮かんだ。続いて俺は奥で寝かせている重傷者の所へ行く。
「今井、松田」
「隊長、これを……」
名前を呼ぶと二人は震える手で認識証を差し出してきた。それを受取り、皆から集めたありったけの銃器と弾薬を並べる。
「この先は魔素が多いから俺達は銃を使えない。気にせず全部使ってくれ」
「任せてください。最後まで良い仕事をしますよ」
「ああ、信頼している」
そう言ってから立ち上がり、こちらを優しく見つめているサキに視線を合わせる。
「隊長……いえ、先輩。生き残ったら結婚してくださいね」
「そういう関係じゃないって言ったばかりじゃなかったか?」
照れ隠しに俺は頬を掻く。
「この先は一瞬で命を落とす戦場です。だったら今しかないじゃないですか」
「そういうものか」
「そういうものです」
なるほど。
ならば、死ねない理由が増えたな。
俺の答えにサキは満面の笑みを浮かべた。
「それと……荷物はどうしますか?」
「連れて行く」
「わかりました……では、今から目隠しと猿轡を外します。大声を出したら舌を抜きますよ。いいですね」
サキの言葉に、重傷者の横に座らされていた荷物が小さく頷いた。目隠しを外すと、気丈にサキを睨み付けてきた。その瞳の色は帝国人特有の真紅。そして金髪は王族の証だ。
「殺しなさい」
「断るわ。あなたを連れ帰るのが任務だもの」
「今殺さねば近衛がどこまでも追ってくるぞ」
「この地獄に? それは楽しみだわ」
「帝国はそなた達のことを許すまい」
「何をいまさら、さぁ、歩きますよ」
サキは両手の拘束も解き王女を立たせた。気丈に見えた少女の足は恐怖で震えている。それもそうか。確かまだ13歳だったはずだ。
「隊長の貴谷です。少し遠回りになりますが御身は必ず御守りします。どうかご安心を」
「ここがどこかを知っていてそんなことを言っているのか。A級の魔物がモブ扱いの地獄だぞ。誰も再び地上に出ることは適わぬわ」
「前例はありますよ」
「お前らの物語の中ならな」
「あれは実話ですよ。俺もその部隊出身ですし」
「なに?」
「まぁ、ここは大船に乗ったつもりで俺達に任せて下さいよ」
軽くそう言って立ち上がり、準備ができた部下達に号令を掛けた。そして唖然としたままの王女に背を向け洞窟の奥へ向って歩き始める。向かうは最上級の地獄。偶然にも地球と異世界が繋がってしまった裂け目。先史時代を滅ぼすことになった災厄の地。
色々な呼び名があったが、俺達は先祖達が遺した名前を好んで使っていた。ただ、迷宮と――