タッデン・エヴスン・レオイ・アヴ
――あと七つ。
はああと君は、息を吐く。
重傷だ。
受けた拳は、ただ一度。
盾と左腕と、左の肋。それがまとめて砕かれた。
ああ、なんと強い男だったのだ。
男は未だ、諸手を広げ立ち尽くす。
君よりも頭二つは高い身長。淡く光る翠の覆面で顔を隠し、鍛え上げた上半身を晒している。
左胸に折れた剣が突きたち、全身の肌に無数の傷が走っている。
口元からは血が零れ、しかし絶命の瞬間まで、笑みを浮かべたまま。
男の背中には、たった一つの傷もない。
君の心臓は、まるで耳元にあるようだ。
戦いの興奮。
闘争の緊張。
復讐の絶頂。
それが過ぎ去った君の身体には、一つも力が残っていない。
ああ、彼はたいそうな強敵だったことだ。
それもそのはず、さもありなん。
まったくもって当然だ。
今しがた、君が殺した彼こそは、この国の英雄の一人。
たった今、君が斃した彼こそは、竜退治の七傑の一人。
――《剛腕》のマスクドメロン。
掛け値なしの、大英雄。
正体不明、一切不明のマスクマン。
その拳は地を砕く。
その脚は雲を裂く。
その肉弾を受ければ、山すらも砕けよう。
さしもの竜も、その拳を受けてはひとたまりもない。
彼は真っ先に躍りかかって、竜のあぎとを殴り砕いた!
翼をひっつかみ、地面に叩き落した!
尻尾を掴み、回転して投げ飛ばした!
豪胆、豪傑、豪放磊落、男の中の男!
――おお、だが、見るがいい!
猛き者も、遂には滅びぬ。
無敵の者などいないのだ。
いかな英傑、かのマスクドメロンと言えども、永訣を免れえぬ。
残るは六つ。君ならば、あるいは殺せることだろう。
君には彼らを殺す理由があり、君には彼らを殺す力があり、君には彼らを殺す意志がある。
それを命じた王にすら、あるいは手が届く。
おお、神よ。神と等しき《神王》よ、ご照覧あれ――彼こそがその身を脅かす唯一の刃。
母の仇を取らんと戦う男の名は、《暴竜》の名を継ぎし男の名は!
「……うるッせェな、カナエ」
「おおっと。ごめんよ、職業病だ、許しておくれよ。歌い囀るのが私の職業なんだよ」
……折角気分よく歌っていたのになあ、と、私は息を吐く。
まあ、仇の一人とは言え、人を殺したんだ。決して愉快な気分じゃあないだろう。
彼は、話によれば、一年くらい前まで、母と二人で暮らしていた普通の少年だったわけだ。
その後の一年の話は、彼が仇を全て討ったら歌にするとして。
それまでは、殺生とは――少なくとも人殺しとは、縁のない生活をしていたという。
今彼は、最初の一歩を踏み出した。
踏み出してしまった、と言うべきなのかもしれない。
あるいは――もう少し正確に言うなら、踏み外した、か。
「ああ、君は本当に、よく頑張ったね。よくぞ殺したものだ。一対一なら、恐らくこの国で最強の男を。これで、あと六人――でも、いいのかい? それを命じた《神王》を殺さずとも」
言ってみると、彼は面倒くさそうな視線を私に向けてきた。
黒衣を纏った、薄汚れた少年だ。
よくよく見れば瞳孔が縦に伸びているけれど、特別人から外れた特徴があるわけでもない。
疲れが残っているのか、睨むような視線だけれど、癇癪で人を殺すような人じゃあないとは、短い付き合いで分かっている。
殺した後の感情を聞けるのは、今をおいて他にない。
「別にこの国に滅べっつってんじゃねぇよ、って言わなかったか」
「ああ、聞いたね。けれど、それが変わっていないかって言うのは、私としても気になるのさ。もう少し詳しく聞きたくもあるんだ。そう、命じた《神王》だけじゃない。《暴竜》を殺せると予言したって言う、《神託》についてもそうさ。君はこの二人についても、復讐する理由があるんじゃないかな、って?」
「実行犯はこの筋肉ダルマ含めて七人だ。王様と予言者は……まァ、余禄だな」
「王様がお母さんを殺せって言ったわけだけど? それでもいいのかい? 諦めても本当にいいのかな?」
彼は、へ、と笑って、立ちあがる。
折れた剣を捨てて、砕けた盾も放り投げる。
左腕は、既に治っているようだった。
「逆に考えろよ。俺一人で国一つ潰せるか?」
「ふむ。流石に今の君では、難しいだろうね。君は一騎当千ではあれど一人だ。勿論将来的には可能になると信じてはいるけれど!」
国一つを単身で滅ぼすと言うならば、それこそ竜の力が必要だ。
彼は強いが、まだ未熟で、国一つを滅ぼすにはとても足りない。
「俺もな、流石にコレと同格六人ぶっ殺して無事で済むとは思ってねぇよ。そもそもぶっ殺せるかも分からねぇ。だけどな、俺が英雄を半分もぶっ殺したら、この国はどうなる?」
「うん、弱くなるね。間違いない。……なるほど、《暴竜》の全身から作った武具があれど、それを使う英雄がいなくなっちゃあお終いだ。隣国にも、竜退治の七人に勝るとも劣らぬ英雄豪傑星のごとく、だしね」
「ああ。だから、それでいいんだよ」
彼はそう言って、ふらつきながらも歩き出す。
英雄の一人を殺したのだ――単独行動を行う三人のうちの一人であり、この私が見張っていた以上、目撃者もいないと言えど、あまり長く滞在して良いことはない。
大英雄、《剛腕》のマスクドメロンを殺したと言うのに、全く何とも、普通の対応だった。
「滅ぼされる国を夢見ながら死ねればそれでいいって? ……性格が悪いねぇ!」
「うるっせぇ。ただでさえ一人相手にギリッギリなんだ。そのくらいの妥協はさせろ」
「妥協って分かってるんだ? 偉い偉い」
横に並び、黒髪の頭を撫でようとつま先立ちになって手を伸ばしたけれど、鬱陶しそうに払われた。
右手は比較的に無事だ。
休んでいる間に、浴びた血もしたたり落ちたか、乾いたか。
それでも、私の煌びやかな衣装の袖に、紅い染みが付いてしまった。
あ。と、彼は目ざとくそれに気づき、申し訳なさそうに目を伏せた。
「……悪いな、商売道具の衣装に」
「いいのさ。このくらいは必要経費だ。旅する以上塵埃は避けがたいしね。それよりも、私の服よりも、君の服だよ。《剛腕》の血も浴びてしまったし、そもそもボロボロだ。いい機会だ。君、この私が、服を繕ってあげよう」
「要らねぇよ」
「そう? ボロボロで、どこの戦場帰りだって感じだよ、君。目立つのは、好みじゃあないだろう?」
ぬ、と唇をひん曲げるその表情は、全く何とも、普通の男の子だ。
少しだけ可愛いと思いながら――思わずの笑いを漏らしながら、外套を翻し、金の長髪をかき上げポーズを取る。
「なぁに、心配することはない。後で私が歌うのに困らないよう、君に竜殺しの英雄殺しに相応しい衣装を繕おうじゃあないか!」
胸を反らして、胸を張って、胸を叩いて、自信満々に請け負う。
まあそこまで反らしても、胸のふくらみは薄いわけだけど――事実、胸元を開いていると言うのに、彼は不自然なくらい視線を寄せてこないけれど――私の今のやる気の前では、そんな哀しみなんてどこ吹く風、だ。
「……何でもいいけど、目立つのは好みじゃねぇからな。分かってんだろうな」
「無論分かっているとも。目立たず、でも格好いい! それを体現させてあげようじゃあないか」
「格好いいは余計だ」
「ふっふふふ。照れるな照れるな、男の子?」
今度こそあたまを撫でると、表情がぐにぐにと動いた。
およそ復讐なんてやるメンタルじゃない――だからこそ、復讐に走るのか。
復讐する激情を持たず、しかし復讐はせねばならないと理性で判断した少年。
人殺しを忌避する男の子であり、母の死を悲しむ少年であり、ただ理由を持っただけの青年だ。
ああ、と、未来を歌い、囀る。
職業病の通りに――まるで本職の、吟遊詩人のように。
「――君の復讐は、きっと余禄にまで届くことだろう!」
竜殺しの七人。
《金城》のヤマ。
《月狼》のソーガ。
《月弓》のミラルタ。
《抹消》のルル・ルル。
《葬送》のインプレッサ。
《剛腕》のマスクドメロン。
《無謬》のファルスサジーク。
そして竜殺しの七人の、八番目。
《神託》のカナエ――そして同時。
《神王》のダビデである、この私に!