カプセル魔王と呪われた歴史研究家は空を舞う
空に溺れている。
はっきりと言おう。全くもって不愉快である。
何せ、直径十センチ程度の魔法硝子球の中で、しっちゃかめっちゃかにされているのだ。私でなければ、妖精の一匹や二匹ぐらいスプラッタになっているだろう。
目まぐるしく上下左右の感覚が変わる状況下、私を腰に据えた男は、それはそれは楽しそうに目をキラキラさせながら笑っていた。
「ははは、すごい、全く制御できない! これが重力波浪……! 重力の嵐か!」
──最悪である。
こいつの持っている呪いが特上でなければ、食い殺しているところだ。
「なぁ、ムカイ。制御できないのは理解してやったが、せめてこの乗り心地くらいはどうにかならないのか?」
私は苦情を申し入れるが、爽やかさに限っては素晴らしい笑顔のまま、ムカイは首を左右に振った(ように見えた)。
縦横無尽に身体を振り回される中で、器用に腕を伸ばし、バックパックの下端から伸びる、gas-boosterと刻まれた金属の筒を小突く。
「もう推進剤はすっかり空っぽですよ! ああ、それよりも音声を残さなきゃ、この感動を! せっかくの重力波浪だ!」
やはり最悪である。
辟易極まってため息が漏れた。
――重力波浪。
重力異常により空に浮かんだ天空都市特有の自然現象である。
多かれ少なかれ、質量を持つものは重力子を持つのだが、それらが何らかの特殊相互干渉を起こすことで、天空都市の重力異常が加速し、重力の嵐を起こす。これが原理だ。
巻き込まれた物質は重力の方向性を乱され、渦を巻きながらどこかへ飛ばされてしまう。
滅多に起こらない現象であることから謎が多く、研究者も注目している。ムカイもその一人──などではない。
単なる興味本位で自ら巻き込まれたアホである。
巻貝式の魔声録音機に声を吹き込むムカイ。通常であれば命の危機なのだから怯えて当然なのだが、こいつにそんなものはない。否、不要なのだ。
全くもって能天気。
また一つため息をついたところで、急激に私たちの動きが止まった。まるで風船にめりこんでいくかのような感覚だ。
「これは――」
ようやくまともな空の景色を拝めたが、喜んでなどいられない。
「まさか、重力境界線!」
「そのようだな。突き抜けるぞ!」
「うっひゃー!」
私が強い警戒をもって言ってやったのに、ムカイはむしろ高揚した。なんなんだ、もう。
重力の違和感が変わる。
押し留められていたはずが、突き飛ばされるような感覚になった。境界線を越えたのだ。
急激に動きが穏やかになった。
安堵を入れてから、私は異様な気配を感じる。ぞわぞわと、全身が粟立つ。この喜びを味わって笑顔を隠せるはずがない。
すると、何かを感じ取ったか、ムカイが一気に表情を凍らせた。
「あ、あの……クズノハさん。いきなりそんな魔王みたいな笑顔やめてもらえません?」
「魔王みたいなとは失礼な。私は紛うことなき魔王だぞ。頭をモウロクさせるな愚か者」
心外な申告を、私は辛辣に返す。
「それよりも、さっさと探索しろ」
「物凄く嫌な予感しかしないんですけど。まぁ良いですけど、僕もちょうどやろうとしてましたから。──探索」
目を細めつつも、ムカイは手を掲げて探査魔法を発動させた。浮かんだ魔法陣はサンライトイエローの光を放ちながら砕け散り、波紋となって広がっていく。
しばらくすると、ムカイは集中するために閉じていた目を見開いた。
「この反応は!」
「そう。この濃厚な瘴気は、呪い」
「誰かが、飛ばされている!?」
「そっちか! そっちなのか!?」
「当たり前じゃないですか! まさかこの重力波浪に巻き込まれたか?……急がないと!」
前のめりになりながらムカイは腰のベルトを触る。瞬間、バックパックの下端から生える金属筒の先端から噴射が始まった。
っておい。
ついさっき、もう推進剤がないとかほざいていなかったか? もしかしなくても私は謀れたのか? こんな若造に? 魔王である私が?
私はギロリとムカイを睨みつける。
「おいムカイ」
「今は人命救助最優先っ!」
「……喰わせろよ?」
殺意を乗せて名を呼ぶが、ムカイに構う様子はない。知っている。いつもそういう男だ、こいつは。
だからせめて言質を奪うのだ。
「拒否しても喰らうでしょ、勝手に」
ごもっともだ。
苦笑する合間にも、景色が加速していく。
やがて見えてきたのは、段差のあるトレーラーハウスの群れと、それを繋ぐキャットウォークと少しの街路樹と言う小さな浮遊島。
そこから少し離れた場所に、人が飛んでいた。ムカイが見つけたのは、あの冴えない白衣の白髪男のことだろう。
男は何やら必死にもがいている。頑張って島へ戻ろうとしているようだが、魔力は感じられない。
無駄だ。魔法も使わずに、どうやって空中から島に戻るつもりか。
私は目を細め、魔力で重力境界線を探る。
このままでは間に合わない。ムカイが追いつく前に男は境界線に衝突し、スプラッタになるだろう。あの境界線は、外から内へはやんわりと通すが、内から外へは逃がさずに凶悪なまでに弾く代物だ。
男もそれを知っているからこそ、足掻いているのか。
「大丈夫ですか!」
そんな男へ、ムカイは飛び寄っていく。
とたん、男はムカイを見つけて必死に叫んだ。
「た、助けてくれ!」
「大丈夫です、ちゃんと助けますよ!」
「早く助けてくれ、このままじゃあ!」
「だから大丈夫ですよ。貴方が死んだら、ちゃんと助けますから」
白髪男の顔面が凍り付いた。当然だ。必死の叫びに対して、ムカイが笑顔で言い放ったのはあまりに常識外のものだ。
「おい、それ」
意味を悟った男は声を漏らし、境界線に触れた。
「ぎゃっ」
男は凄まじい勢いで弾かれ、けたたましい音と共に血の霧と化す。短い断末魔だ。
それを見届けたムカイは笑顔のまま懐からナイフを取り出し、躊躇いなく首筋に押し付けて走らせる。
ぶしゅっ。とケレン味の帯びた音が響く。
こっちは悲鳴などない。
私としても都合が良い。いちいちコイツの悲鳴など聞きたくなどない。飽きた。
ムカイの命が潰えていく中、私は大きく口を開ける。さぁ、呪いを喰らう、食事の時間だ。
▲▼▲▼
呪い。
それは生命の原罪の濃縮であり、背負った者の宿命であり、私の食糧でもある。
ムカイはその呪いを背負いし者だ。
しかも不死という極上の呪いの所持者だ。私がムカイに付き合ってやっているのは、ムカイがその呪いを活用して人助けをする酔狂者だからだ。
ムカイは非力だ。
強大な魔法を使えるわけでも、特段戦闘能力が高いわけではない。もちろん、多少の魔物くらいは追い払えるが、決して英雄などではない。
それでも助ける。
ムカイは、呪いとは別に、《自分の命と引き換えに誰かを助ける》という特殊能力を持っている。本来であれば、たった一度しか使えないポンコツ能力だが、不死の呪いによって何度でも使えるようになった。
だが、その能力の発動条件は、《一度目の前で死んだ生命に限る》という点だ。
故に、一度は助けたい者の死に立ち会わなければならない。実に滑稽である。
だが構わない。
私の腹は、その度に満たされるのだ。
「……生きてる?」
キャットウォークの端で、白髪男とムカイは目を覚ました。運んだのは私である。魔法を使えば簡単な話だ。
「良かったですね、助かって」
不思議そうに自分の腕を確かめる白髪男に、ムカイは人懐っこい表情で語る。
「あ、あんたが助けてくれたのか」
「ええ。助けると言ったでしょう」
「それはそうだが……いや、今は良いか。礼を言わなければ。ありがとう」
丁寧に白髪男は頭を下げた。応じてムカイも頭を下げる。
「どういたしまして。大丈夫です。お礼に金銭とかそういうのは求めませんから。でも、でもですよ、どうしてもお礼がしたいとおっしゃっていただけるなら」
「おい待て俺はまだ何も」
「この島のことを教えて下さいませんか? とっても面白そうなんです!」
白髪男とキスするまで三〇センチという距離まで顔を近付け、ムカイは矢継ぎ早にまくしたてながら、目をキラキラと輝かせた。
歴史研究家。それがムカイの職業だ。
「この島の……?」
「はい! だって、今も。ほら、不思議。下から雨が降ってくる」
ムカイはキャットウォークから、下に広がる雲と、雨に目をやって感嘆する。
確かに私も長年生きているが、下からの雨は初体験である。
「なんだかスゲェ変な奴に助けられた気がするが」
男よ。それは大正解だ。
「とにかく島のことを知りたいなら教えてやる。でも、まずは家の中に逃げてからだ。急がないと奴がやってくるんだ」
白髪男はいそいそと立ち上がる。
「奴?」
「ああ。《人殺しの歌姫》だ」
「人殺し……?」
「そうだ。その歌を聴くだけで命を奪われるんだよ」
私とムカイは同時に怪訝になった顔を見合わせた。歌姫にはそんな力など備わっていない。ただの歌好きの精霊だ。
と、いうことは。
「まさか……呪い?」
私は高揚に身震いした。
人を殺す呪いとなれば、相当の上位な呪い。さぞや私の舌と腹を満たしてくれることだろう。私の感知した呪いはこれだ。
「ムカイ。このままいろ。私の飯だ」
本能のまま、私はムカイに命令した。




